2017年11月 7日 (火)

違和感の正体(多少毒を含みますので閲覧注意)

突然ですが、この場では話したことがないようなので、ちょっと叫んでみます。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という言葉が大嫌いです!

いろんなところで聞かされてきた言葉ですが、そのたびに嫌な思いをし、この言葉が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。確かにそうだとは思う部分もありますが、違和感がぬぐえなかったのです。

カウンセラーや産業医などにも繰り返しその旨は伝えてきましたが、その理由を聞かれてもうまく説明ができませんでした。

もちろん、心の底にある「変わりたくない」という意固地が最大の原因でしょう。また、これを聞かされるたびに、自分の「過去」を全否定された気分になって、ただでさえ後悔ばかりで嫌になっているのに、ますます追い打ちをかけられた気持ちになるからということもあります。人に聞かれた時の取りあえずの回答はだいたいこんなものだったと思います。

ですが、今朝、Twitterのフォロワーさんとのやり取りの中で、はたと気が付きました。

つまりは、この言葉は、「他人にかけるべき言葉ではない」という単純なことだったわけです。

ここからは「レトリック」の世界になりますが、こういうことです。

こういう言葉を発する人は、だいたい、社会的に成功した人とか、あるいはそういう人が書いた著作などから知恵を仕入れた上司です。実際私の場合もそうでした。

この言葉の裏には、結局「こういう考え方で生きなさい」という隠れた「命令」があります。ここでちょっと考えてみてください。

自ら「他人は変えられない」と言っているわけでしょ?自己矛盾なわけです。

だからこういう言葉は、自分で気付いたとしても誰かに伝える(特に上の立場から)ことではないのです。せいぜい許されるのは、同じような悩みを抱えている人同士か、カウンセラー、精神科医くらいなものでしょうね。しかし、それも効果はあまりないと思います。

やっと「長年の宿題」が解けたような気がしています。

まあでも、そういう考え方しかできない人間になった結果が、こうなんですけどね。

2017年10月18日 (水)

「バカになれ」とは

よく「バカになれ」と言われる。でも、どうやったらなれるのか、またそれどころか、その意味することが全く分からなかった。50年も生きてきて。

それが今日ようやく分かった。

「バカになれ」とは、

自分をバカにする人には、バカのように振る舞え。その方が楽。

ということだ。

2017年9月 9日 (土)

この半年の出来事はおいといて結局のところこうなった。

最後に更新したのが職場復帰後1週間後の4/10らしいので、じつに5か月間もほったらかしにしていたことになる。こちらではお久しぶりです。

書けなかった理由は言うまでもなく、ギリギリの状態がずっと続いていてどうしようもなかったからだ。

Twitterのプロフィールページの固定ツイートに掲載した職業センターの卒業挨拶は、たびたび「いいね」を押して下さる方がいるのだが、早く言ってしまえば、あの心構えが全くできなかったわけである。

通っても仕事はほとんどなく、与えられたとしても机に座っていることも辛くて更衣室に逃げ込むこともしばしば。周囲もあからさまに敬遠状態。もちろん、欠勤も多いという状態で、再び休職するか辞めるか、いっそのこと死ぬかの瀬戸際に追い詰められていた。

主治医、産業医、カウンセラー、保健師、職業センターカウンセラーの総がかりで私の状況を打開しようとして下さったのだが、状況は好転せず、むしろ悪化の一途をたどっていた。

その「潮目」が変わったのが、先日の火曜日である。この日は定例の産業医との経過面談があり、次の日も上司も交えて再面談すると言われ、多くの資料を読んでおくように指示された。水面下で上司と安全管理部署と産業医の間で話はついていたらしい。

資料とは例えば次のようなもの。

http://consul.piasapo.com/manual  :発達凸凹活用マニュアル

早い話が、私は「発達障害」と考えざるを得ない、という「診断」である。こういうたぐいの資料に必ずある「チェックリスト」には頼り過ぎてはいけないが、産業医はそれを分かったうえで提示したわけであるし、私自身も当てはまると判断せざるを得ないような内容だった。

「発達障害」については、いろいろと議論があり、まだ分からないことも多いけれど、主治医もある程度所見を認めるとのことだから、産業医もそれを追認しないと前へ進めないと判断したのだと思う。

翌日、上司、安全管理関係者、保健師を交えて再面談となった。職場としての配慮などの説明を受けた。私としても、その「診断」を受け入れた。

受け入れたことでどうなったか。肩の荷が半分下りたとはこういうことかと実感した。その晩は久しぶりに熟睡した。しかし、同時に強烈な疲れが翌々日まで続いた。あまりに疲れ果てて早退せざるを得なかったほどだった。

これは今まで見てきた風景が180度変わったということの表れだと思っている。今までは周囲があくまで「ふつう」で、その「ふつう」を受け入れられない自分が「異常」で、そして私が「異常」であると感じていたことが「ふつう」だった。これからは、自分にとっての「ふつう」はもっと違った意味を持つと考えている。うまくは言えないが、今は「異常」であることもひっくるめて「ふつう」のことなんだ、そこには他人も自分もないという感じである。

ただ、同時に「発達障害」を認めることは、「最後通告」を受け入れたということも意味する。上司は、ただでさえ緊縮を迫る会社からの指示で、余裕のない職場運営を余儀なくされているのに、こういう「治らない」人間にリソースを割かなければならない。私自身は、そういう「配慮」に最大限報いなければならない。また、組織に異動はつきものだ。その時に理解のある上司に当たるとは限らない。

昨日あたりからいろいろ仕事の指示の方法が変わってきた。これに早く慣れていく努力をしていかなければならない。

私の父は75になるが、素人の私が見ても典型的な「発達障害」だと思う。私も50目前。昔はそんな概念すらなかったので仕方がないとは言え、大人になってからの「発達障害」はたちが悪い。どんどん悪化する。だから研究の進んできた今、思い当たるふしのある方は、すぐに精神科にかかることを強くお勧めする。

ところで、明日はレイフレ。いろいろとお世話になってきた方たちにお会いできそうで楽しみにしている。そして、次のレイフレには... って宣言したい。

2017年4月10日 (月)

一週間経ちましたが

最悪です。

この4月から組織が代わり、課長が交代しました。一応職務上は前課長の部下ではありますが、前課長はほかの仕事の方が本務となったため、今は十分に働けない私の代行をして頂いていますが、たぶん、この兼務もそのうち解かれるでしょう。

新課長は、前の会社の時から同じ部署ではありましたが、私の仕事については全く分かりません。私自身も新課長との接点が今までほとんどありませんでした。

また、私の仕事自体、具体的にこれからどうなるのか分かりません。そんな中で人事考課のための目標設定などをするようの指示を新課長から受けています。たぶん、与える仕事がないんでしょう。

確かに「指示待ち」なのは認めます。ですが、私の仕事は本社の意向・方針で方向が変わり、しかも今の会社になってから、正直言って「ふらふら」し続けていて、それに振り回され続けてきました。そうしたことも調子を崩した原因の一つ、といっても過言ではありません。

周囲もはれ物に触るような感じで、ほとんど話しかけてくれません。

とりあえず今週いっぱいは半日で上がれますが、来週からは6時間、5月からはフルタイムになります。半日でもクタクタになってしまいます。

休日も満足に動けません。食欲は全くありません。感情も死んでいて、好きなことも全くできません。

全ては1月の事件のせいと思っています。12月までに傷つきながらも膨らんできた私のココロは、あのせいでガラスのように砕け散ってしまいました。もう元には戻れません。

私は死にました。

2017年4月 3日 (月)

何度目か目の卒業式と入社式

1月のトラブルからずっと更新していなかった。取りあえず一段落したので、久しぶりに更新することにする。

食欲や趣味などへの関心は全くないのは相変わらずだった。いろいろと原因を知りたくて、センターの蔵書を読んだりしたが、かなり「深刻」な問題をはらんでいて、それで余計に落ち込むこともあった。

それでも上がったり下がったりではあったが、なんとか「低め安定」で過ぎて行った。

3/29に復職面談なのは決まっていたが、同日からセンターも休講に入ることになったため、復職の可否が分からないまま、27日にセンターを卒業することとした。

恒例のお別れ会をして下さった。皆さんは私の「知識量」を褒めて下さった。私からは下記のURLにあるような挨拶(というよりスピーチ)をした。締めは、帰りの電車で一緒になってもらった方にお願いした。

※リワーク卒業挨拶: http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7987697

3か月(体験コースを含めて4か月)だった予定が結局延びに延びて、1年になってしまった。本当に感慨深いものがあった。

翌日は病院に用事が出来たので、もう一度センターに顔を出した。照れ臭かったが、前日に欠席だった方とも挨拶できたので、非常によかったと思う。

そして迎えた3/29。初めに産業医との面談をして、その後復職面談。産業医からの説明が主だったが、上司だけでなく人事総務、安全衛生の担当者も集まったので、緊張が半端なかった。上司からの質問には私から答える必要がある場合があったが、極度の緊張や核心(触れてほしくないこと)に触れると意識が遠のくのは相変わらずで、そのことは説明できたと思う。そしてOKがでた。

翌日からは、気が抜けたせいか、ほとんどぐったりした日々だった。翌日はカウンセラーとの面談だったが、起きられない上に、電話がかかってきても何だか分からず、というような感じだった。

そして、新年度とともに、復職となった。昨年竣工したビルの席に初めて座った。今日は朝礼と、昨年の引っ越しの際に詰めた段ボールの荷ほどきで終わった。ネットワークIDなどいろいろが変わってしまったのと、それに対応できなかったので、今日はパソコンも立ち上げられなかった。

復職はしたが、まだ「完全」ではない。まず今日から2週間は午前中のみの半日、その後2週間は6時間、それから1か月は残業なしのフルタイムで勤務し、再び面談があって完全復職である。しかもその「トライアル期間」中は、「理由の如何を問わず」、欠勤はもちろんのこと、遅刻・早退も欠勤扱いとなり、80%以上の出勤率が義務づけられる。病院に行くためや、休職の事由となった病気(私の場合はうつ)以外で休んでもダメという厳しいものである。それがかなりプレッシャーになっている。

もう私も明後日で40代最後の年を迎える。リセットばかりでほとんど前に進めなかった。これからは、もう進みたくてもかなわないことが多いだろうし、私もあまりそれを望まない方が良いと思っている。とにかく一日一日を踏みしめて行こうと思う。

2017年1月15日 (日)

少しでも前へ

行きたいけれど。

寒い週末だった。

昨日はそれでも動けた。布団を干した。古新聞を片づけた。買い物をした。

それと自分にとって大きいと思ったのが、「カレンダーの掛け替え」。

昨年用のアニメカレンダーは「姫プリ」と「きんモザ」。しかし、どちらも一枚もめくらずに年を越してしまった。謝りつつ入っていたビニール袋に戻して、新しいカレンダーに掛け替えた。

今年のアニメカレンダーは「まほプリ」と「ガルパン」。表紙をめくって「今年はよろしく」とあいさつ。

それ以外にも7月で止まっていたカレンダーなどを掛け替えた。

お酒も飲んで穏やかに過ごせたのだが。

今日は自分の甘えからほとんど動けなかった。寒いことは言い訳にならない。

食欲は回復していない。太っているので誤差の範囲だが、体重もあの出来事から1.5kgの幅で乱高下。昨日は5年ぶりくらいの75kg台を記録したが、今日は動かなかったこともあり、約1kgリバウンド。まだ夕飯を食べていないが、作る気力も片づける気力もなく、また近くのコンビニが改装のため休業中で、もう少し先の吉野家かと思っている。

新しいカレンダーのように早く気持ちを切り替えて前へ進みたい。

2017年1月13日 (金)

とりあえず

生きています。

しかし、午前中まではかなり調子悪く、毎週の振り返り報告の裏にあるストレス度チェックリストの点数は、過去最高を記録した。食欲も回復しない。そんな中で昨日ブログでは書けなかった「むしゃくしゃ」を叩き付けて提出した。

午後はSSTだった。元々肌に合わないカリキュラムであるため見学のつもりだったが、問題を皆さんと一緒に考えていくうちに、バラバラになってしまっていた「思考の欠片」が少しずつ統合されていくのが分かった。

そのため、今は少し落ち着きを取り戻している。

上司の方からは一向に連絡がない。非常に好意的に解釈すれば、産業医から止められているのかもしれない。ただ、連絡があったとしても、もう返答をする気もないが。

リスケした復職面談の行方も流動的だ。というのは、私がこんな調子だということ(上司の顔も見たくないとセンターのカウンセラーに伝えてある)が最大の理由ではあるが、現実的な問題として、主治医の診断書の更新をしないとならない。そして次回の診察は来週の火曜日。予定通りであれば1か月で良いが、問題が起きそうならもっと延長しなければならない。

そのあたりは、センターのカウンセラーと産業医の間で詰めて下さっている。ビルの屋上の端に、つま先でようやく立っている私の支えになって頂いていることについて、感謝とともに、本当に申し訳なく思っている。

2017年1月12日 (木)

絶望

新年一発目の更新がこんなことになるはずじゃなかった。

もう上司が一切信じられない。詳細は省くが、昨日、産業医面談に会社の診療所に行ったら、後輩の最終復職面談の「ついでに」、私の復職面談をすることにいつの間にかなっていた。

年始に主治医の意見書を頂いて、上司に提出した。確かにそこに書いてある決まりを「四角四面に」取れば、その1週間後に復職面談をすることにはなっている。しかしその場合でも、何らかの連絡があってしかるべきだろう。

当然私はうろたえた。事態の急を知らせるためにセンターに電話を入れたが、カウンセラーは不在。アシスタントの方が落ち着くよう言ってくれた。

時間がきて産業医面談となった。復職面談はその後ということらしい。しかし、私は率直にそんな話は聞いていないと怒りをぶつけた。産業医の方も、会社と職場の不手際を認めて、中止(延期)になった。

その後はただただ呆然と帰途に就いた。途中でセンターのカウンセラーから電話があったので少し救われた。

そして今日、午前中は診療所のカウンセリングがあったので、なんとか起床して出かけた。同じ怒りをカウンセラーにぶつけた。そしてセンターに通所した。

センターには昼少し前に到着した。カウンセラーが心配して待っていて下さった。もう滅茶苦茶に怒りをぶつけた。それでも、心の空虚は埋まらない。別室で午後いっぱい休ませて頂いた。本を読んだり、Twitterを見たりして過ごした。

皆さんが全員帰って、17時になってもぼーっとしていた。それくらいダメだった。

フラフラとセンターを出た。途中で車にはねられそうになった。

取りあえず電車に乗った。最寄り駅に着いた。どうしても気持ちがざわつくので、時間外だが診療所に電話して、産業医につないでもらった。ここでも怒りをぶつけた。

そして今、どうしようもない絶望感の中でこれを書いている。

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全部上司が悪いとは言っていない。しかし、そんな騒動があってから一度もフォローがない。メールも電話もない。

また、私の人生は後輩の人生の「ついで」なのか?あるいは後輩の人生は私の人生の「ついで」なのか?

そうだろう、二人もメンタル不調で休職しているから、自分の査定に響くから迷惑としか思っていないはずだ。

相性はあまりよくないと前々から思っていた。しかし、特に「悪い人」ではないと思っていた。しかしこのことでもうどうでもよくなった。

この一年は一体何だったのか?自分の「頑張り」はムダだったわけだ。

もう絶望しかない。実行する勇気は今のところないが、「自殺」を真剣に考えたのは初めてだ。

延期にはなったが復職面談をする覚悟はもうできない。

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