2018年5月 3日 (木)

GWの折り返し、そして明日は同窓会。

大型連休も折り返し。例年よりも早く過ぎていく感じだ。まあ、いろいろと「イベント」が多かったからである。

帰って来た翌日は祖母の23回忌の法要だった。法要とは言っても、両親と私だけ。いろいろな事情もあって、お寺へ出向いてお経をあげて頂いただけである。

その晩は妹家族といつもの食べ放題・飲み放題の店で食事会。上の甥は野球漬けだったこともあって、この春の入試にはすべて失敗し、現在予備校生。中学の頃までは「秀才」で、この街のいちばんの学校に進学できたから、彼曰く「入試を舐めていた」らしい。

それでも、打ち込めるものがあったこと、また、学校生活の一端のビデオを見せてもらった限り、青春ドラマやマンガのような「青春」できたことは私にはうらやましい。今勉強が面白いと言っているのもウソではないようだし、地頭は良い方だと私も認めているので、必ずや来春は桜を咲かせてくれると信じている(というよりそれでなければ困る)。

その翌日は例年通り「お伊勢参り」。現地の混雑は相変わらずのように思えるが、近鉄の伊勢・賢島方面の特急がかなり減便されていないか?

そしていよいよ明日、メインイベントたる「同窓会」がある。私の世代は子どもが多かったため、増築に次ぐ増築でも追いつかず、入学前と小学4年の時に分校された。そして進学先の中学も分校でできた学校だった。一つの小学校区が一つの中学校区という、実質「小中一貫」(と言っても別に当時のことだから特別なカリキュラムは何もない)。5期生だった。そういう事情もあり、1学年4クラスで、150人程度だった(次の学年からは6クラス)。

どれくらい出席するのだろうか。そして特に仲のよかった同級生以外は思い出されるだろうか。それに、今の私のことをどれだけ話さなければならないのだろうか。

懐かしく楽しみであると同時に、少し気の重い同窓会である。

 

2018年4月22日 (日)

こちらではお久しぶりです。

ここに投稿するのは約半年ぶり。2018年になってから全く更新していない。その間に50になった。

更新できなかったのは、皆さんご想像の通りである。とにかく状態が安定せず、ひどかったのである。とにかくきつかった。落ち着いたのはようやく3月下旬になってからである。

金遣いが荒く、それもちょっとここでは言いにくいものを買い集めていた。ひとえに「変身願望」からである。忖度頂きたい。

そんな中で50になってしまった。このブログを始めたのが2008年5月らしく10周年になるが、引っ越しや震災があって、私に何か「成長」があったのだろうか。

休職を2回。当然昇進・昇給はなく、収入は10年前より減っている。身を固められたわけでもない。何をしてきたのだろう。

「発達障害」を宣告されたことで、楽になったのは一瞬。逆にそれを意識し始めたら、疲れる一方になった。なぜなら、自分ができないこと、苦手なこと、配慮頂きたいことがあるから、それを頼むことになるのだが、それも言い訳がましい感じになって、気疲れがかえって強くなってしまったのである。

4月の頭に両親を再び九段・浅草、こちらのさくらまつりに連れて行った。良かれと思ったルートが思った以上に複雑でうまく案内できなかったうえに、今年は桜が早すぎて、何もきれいなものを見せられなかった。また、私の部屋にも当然来たが、フィギュア類が増えていることで、やはりお小言を頂いた。

そんな中でも、1年半ぶりに春レイフレのアンソロ企画に参加できた。いちばんきつい中で手を挙げ、完成できるか不安だったが、形になってよかった。そして会場で散財したのはいつも通りで、GWを前に頭を抱えている。

GWに中学校の同窓会がある。卒業35周年、50歳記念だそうだ。伝手で案内を頂いた。みんなそれぞれに家庭を築いて、それなりの地位を得ていることだろう。楽しみではあるし、出席はするが、たぶん気後れしてしまうと思っている。

 

 

2017年11月 7日 (火)

違和感の正体(多少毒を含みますので閲覧注意)

突然ですが、この場では話したことがないようなので、ちょっと叫んでみます。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という言葉が大嫌いです!

いろんなところで聞かされてきた言葉ですが、そのたびに嫌な思いをし、この言葉が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。確かにそうだとは思う部分もありますが、違和感がぬぐえなかったのです。

カウンセラーや産業医などにも繰り返しその旨は伝えてきましたが、その理由を聞かれてもうまく説明ができませんでした。

もちろん、心の底にある「変わりたくない」という意固地が最大の原因でしょう。また、これを聞かされるたびに、自分の「過去」を全否定された気分になって、ただでさえ後悔ばかりで嫌になっているのに、ますます追い打ちをかけられた気持ちになるからということもあります。人に聞かれた時の取りあえずの回答はだいたいこんなものだったと思います。

ですが、今朝、Twitterのフォロワーさんとのやり取りの中で、はたと気が付きました。

つまりは、この言葉は、「他人にかけるべき言葉ではない」という単純なことだったわけです。

ここからは「レトリック」の世界になりますが、こういうことです。

こういう言葉を発する人は、だいたい、社会的に成功した人とか、あるいはそういう人が書いた著作などから知恵を仕入れた上司です。実際私の場合もそうでした。

この言葉の裏には、結局「こういう考え方で生きなさい」という隠れた「命令」があります。ここでちょっと考えてみてください。

自ら「他人は変えられない」と言っているわけでしょ?自己矛盾なわけです。

だからこういう言葉は、自分で気付いたとしても誰かに伝える(特に上の立場から)ことではないのです。せいぜい許されるのは、同じような悩みを抱えている人同士か、カウンセラー、精神科医くらいなものでしょうね。しかし、それも効果はあまりないと思います。

やっと「長年の宿題」が解けたような気がしています。

まあでも、そういう考え方しかできない人間になった結果が、こうなんですけどね。

2017年10月18日 (水)

「バカになれ」とは

よく「バカになれ」と言われる。でも、どうやったらなれるのか、またそれどころか、その意味することが全く分からなかった。50年も生きてきて。

それが今日ようやく分かった。

「バカになれ」とは、

自分をバカにする人には、バカのように振る舞え。その方が楽。

ということだ。

2017年9月 9日 (土)

この半年の出来事はおいといて結局のところこうなった。

最後に更新したのが職場復帰後1週間後の4/10らしいので、じつに5か月間もほったらかしにしていたことになる。こちらではお久しぶりです。

書けなかった理由は言うまでもなく、ギリギリの状態がずっと続いていてどうしようもなかったからだ。

Twitterのプロフィールページの固定ツイートに掲載した職業センターの卒業挨拶は、たびたび「いいね」を押して下さる方がいるのだが、早く言ってしまえば、あの心構えが全くできなかったわけである。

通っても仕事はほとんどなく、与えられたとしても机に座っていることも辛くて更衣室に逃げ込むこともしばしば。周囲もあからさまに敬遠状態。もちろん、欠勤も多いという状態で、再び休職するか辞めるか、いっそのこと死ぬかの瀬戸際に追い詰められていた。

主治医、産業医、カウンセラー、保健師、職業センターカウンセラーの総がかりで私の状況を打開しようとして下さったのだが、状況は好転せず、むしろ悪化の一途をたどっていた。

その「潮目」が変わったのが、先日の火曜日である。この日は定例の産業医との経過面談があり、次の日も上司も交えて再面談すると言われ、多くの資料を読んでおくように指示された。水面下で上司と安全管理部署と産業医の間で話はついていたらしい。

資料とは例えば次のようなもの。

http://consul.piasapo.com/manual  :発達凸凹活用マニュアル

早い話が、私は「発達障害」と考えざるを得ない、という「診断」である。こういうたぐいの資料に必ずある「チェックリスト」には頼り過ぎてはいけないが、産業医はそれを分かったうえで提示したわけであるし、私自身も当てはまると判断せざるを得ないような内容だった。

「発達障害」については、いろいろと議論があり、まだ分からないことも多いけれど、主治医もある程度所見を認めるとのことだから、産業医もそれを追認しないと前へ進めないと判断したのだと思う。

翌日、上司、安全管理関係者、保健師を交えて再面談となった。職場としての配慮などの説明を受けた。私としても、その「診断」を受け入れた。

受け入れたことでどうなったか。肩の荷が半分下りたとはこういうことかと実感した。その晩は久しぶりに熟睡した。しかし、同時に強烈な疲れが翌々日まで続いた。あまりに疲れ果てて早退せざるを得なかったほどだった。

これは今まで見てきた風景が180度変わったということの表れだと思っている。今までは周囲があくまで「ふつう」で、その「ふつう」を受け入れられない自分が「異常」で、そして私が「異常」であると感じていたことが「ふつう」だった。これからは、自分にとっての「ふつう」はもっと違った意味を持つと考えている。うまくは言えないが、今は「異常」であることもひっくるめて「ふつう」のことなんだ、そこには他人も自分もないという感じである。

ただ、同時に「発達障害」を認めることは、「最後通告」を受け入れたということも意味する。上司は、ただでさえ緊縮を迫る会社からの指示で、余裕のない職場運営を余儀なくされているのに、こういう「治らない」人間にリソースを割かなければならない。私自身は、そういう「配慮」に最大限報いなければならない。また、組織に異動はつきものだ。その時に理解のある上司に当たるとは限らない。

昨日あたりからいろいろ仕事の指示の方法が変わってきた。これに早く慣れていく努力をしていかなければならない。

私の父は75になるが、素人の私が見ても典型的な「発達障害」だと思う。私も50目前。昔はそんな概念すらなかったので仕方がないとは言え、大人になってからの「発達障害」はたちが悪い。どんどん悪化する。だから研究の進んできた今、思い当たるふしのある方は、すぐに精神科にかかることを強くお勧めする。

ところで、明日はレイフレ。いろいろとお世話になってきた方たちにお会いできそうで楽しみにしている。そして、次のレイフレには... って宣言したい。

2017年4月10日 (月)

一週間経ちましたが

最悪です。

この4月から組織が代わり、課長が交代しました。一応職務上は前課長の部下ではありますが、前課長はほかの仕事の方が本務となったため、今は十分に働けない私の代行をして頂いていますが、たぶん、この兼務もそのうち解かれるでしょう。

新課長は、前の会社の時から同じ部署ではありましたが、私の仕事については全く分かりません。私自身も新課長との接点が今までほとんどありませんでした。

また、私の仕事自体、具体的にこれからどうなるのか分かりません。そんな中で人事考課のための目標設定などをするようの指示を新課長から受けています。たぶん、与える仕事がないんでしょう。

確かに「指示待ち」なのは認めます。ですが、私の仕事は本社の意向・方針で方向が変わり、しかも今の会社になってから、正直言って「ふらふら」し続けていて、それに振り回され続けてきました。そうしたことも調子を崩した原因の一つ、といっても過言ではありません。

周囲もはれ物に触るような感じで、ほとんど話しかけてくれません。

とりあえず今週いっぱいは半日で上がれますが、来週からは6時間、5月からはフルタイムになります。半日でもクタクタになってしまいます。

休日も満足に動けません。食欲は全くありません。感情も死んでいて、好きなことも全くできません。

全ては1月の事件のせいと思っています。12月までに傷つきながらも膨らんできた私のココロは、あのせいでガラスのように砕け散ってしまいました。もう元には戻れません。

私は死にました。

2017年4月 3日 (月)

何度目か目の卒業式と入社式

1月のトラブルからずっと更新していなかった。取りあえず一段落したので、久しぶりに更新することにする。

食欲や趣味などへの関心は全くないのは相変わらずだった。いろいろと原因を知りたくて、センターの蔵書を読んだりしたが、かなり「深刻」な問題をはらんでいて、それで余計に落ち込むこともあった。

それでも上がったり下がったりではあったが、なんとか「低め安定」で過ぎて行った。

3/29に復職面談なのは決まっていたが、同日からセンターも休講に入ることになったため、復職の可否が分からないまま、27日にセンターを卒業することとした。

恒例のお別れ会をして下さった。皆さんは私の「知識量」を褒めて下さった。私からは下記のURLにあるような挨拶(というよりスピーチ)をした。締めは、帰りの電車で一緒になってもらった方にお願いした。

※リワーク卒業挨拶: http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7987697

3か月(体験コースを含めて4か月)だった予定が結局延びに延びて、1年になってしまった。本当に感慨深いものがあった。

翌日は病院に用事が出来たので、もう一度センターに顔を出した。照れ臭かったが、前日に欠席だった方とも挨拶できたので、非常によかったと思う。

そして迎えた3/29。初めに産業医との面談をして、その後復職面談。産業医からの説明が主だったが、上司だけでなく人事総務、安全衛生の担当者も集まったので、緊張が半端なかった。上司からの質問には私から答える必要がある場合があったが、極度の緊張や核心(触れてほしくないこと)に触れると意識が遠のくのは相変わらずで、そのことは説明できたと思う。そしてOKがでた。

翌日からは、気が抜けたせいか、ほとんどぐったりした日々だった。翌日はカウンセラーとの面談だったが、起きられない上に、電話がかかってきても何だか分からず、というような感じだった。

そして、新年度とともに、復職となった。昨年竣工したビルの席に初めて座った。今日は朝礼と、昨年の引っ越しの際に詰めた段ボールの荷ほどきで終わった。ネットワークIDなどいろいろが変わってしまったのと、それに対応できなかったので、今日はパソコンも立ち上げられなかった。

復職はしたが、まだ「完全」ではない。まず今日から2週間は午前中のみの半日、その後2週間は6時間、それから1か月は残業なしのフルタイムで勤務し、再び面談があって完全復職である。しかもその「トライアル期間」中は、「理由の如何を問わず」、欠勤はもちろんのこと、遅刻・早退も欠勤扱いとなり、80%以上の出勤率が義務づけられる。病院に行くためや、休職の事由となった病気(私の場合はうつ)以外で休んでもダメという厳しいものである。それがかなりプレッシャーになっている。

もう私も明後日で40代最後の年を迎える。リセットばかりでほとんど前に進めなかった。これからは、もう進みたくてもかなわないことが多いだろうし、私もあまりそれを望まない方が良いと思っている。とにかく一日一日を踏みしめて行こうと思う。

2017年1月15日 (日)

少しでも前へ

行きたいけれど。

寒い週末だった。

昨日はそれでも動けた。布団を干した。古新聞を片づけた。買い物をした。

それと自分にとって大きいと思ったのが、「カレンダーの掛け替え」。

昨年用のアニメカレンダーは「姫プリ」と「きんモザ」。しかし、どちらも一枚もめくらずに年を越してしまった。謝りつつ入っていたビニール袋に戻して、新しいカレンダーに掛け替えた。

今年のアニメカレンダーは「まほプリ」と「ガルパン」。表紙をめくって「今年はよろしく」とあいさつ。

それ以外にも7月で止まっていたカレンダーなどを掛け替えた。

お酒も飲んで穏やかに過ごせたのだが。

今日は自分の甘えからほとんど動けなかった。寒いことは言い訳にならない。

食欲は回復していない。太っているので誤差の範囲だが、体重もあの出来事から1.5kgの幅で乱高下。昨日は5年ぶりくらいの75kg台を記録したが、今日は動かなかったこともあり、約1kgリバウンド。まだ夕飯を食べていないが、作る気力も片づける気力もなく、また近くのコンビニが改装のため休業中で、もう少し先の吉野家かと思っている。

新しいカレンダーのように早く気持ちを切り替えて前へ進みたい。

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