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2008年6月16日 (月)

秋葉原にて・・・

10日の書き込みはやはりひどかった。内容も途中からおかしくなっている。またブログの体裁も、改行は段落を付けるとき以外はしない方が良いようだ。

もう一度、自分の整理の意味で、あの事件について触れる。以下は、自分の職場で、事件についてやりとりしたものの転載である。10日の内容とかぶるところはあるが、ご容赦頂きたい。

私の職場では毎朝、パソコンを立ち上げると、メッセージが配信されて表示される。だいたいは、「業務改革」とか称する取り組みの「プロパガンダ」なのだが、今年に入ってから、健康に関する記事も掲載されるようになった。そして、11日の朝に配信されたのが、「うつになりやすい思考の10パターン」というものであった。記事自体に引用があるので、再引用となってしまうのだが、その10パターンというのが、一つ一つの説明は省くが以下の通りである。

①全か無か思考 ②一般化のしすぎ ③心のフィルター ④マイナス思考 ⑤結論の飛躍 ⑥拡大解釈と過小評価 ⑦感情的決めつけ ⑧すべき思考 ⑨レッテル貼り ⑩個人化

私も長い間心の安定をごまかしながら過ごしてきているが、ほとんど当てはまってしまう。そして、加藤某という犯人のことを考えると、そんな思考パターンが「先鋭化」したもののように思えてならない。

初めに断っておくが、こういう思考パターンの人が事件を起こす、と言っているわけではない。世の中には、こういう話をすると、すぐに過剰反応を起こすことがあるが、それこそ「一般化のしすぎ」であり、社会全体が「うつ」状態なのではないかと思ってしまう(ほら、私も一般化のしすぎである)。

話を戻そう。私も大いに含めて、世の中の風潮として、とにかく何かに原因・責任を求めて、なすりつけようとしすぎているように感じる。もちろん、犯人の置かれた”みじめな”境遇に、「政治」や「社会」が全く関わっていないとは言えない。全てを「自己責任」にすり替えてしまう「政治」も、どこか間違っているとは思う。

ただ、すぐに「政治が」「社会が」・・・全部が悪いからこうなんだ、と直結させるような考え方が、跋扈していることは否めない。私自身、あの事件の日の夜、母親に電話してこの話をしたときが、そうだった。

しかし、その不満の矛先は、そんな抽象的で大きなものには簡単に届くわけもなく、無力感から自然とものを言わない、声の上げられない弱い方へ向けられていく怖さを秘めているのではないだろうか。「いじめ」とはそういうものではないだろうか。(決めつけが始まった・・・)

マスコミも同じ。こういう凶悪事件が起こると、その親を引きずり出すようになってきた。犯人に罵声を浴びせかけることは物理的にも不可能だし、もしそれができたとしても、あそこまで「自己完結」してしまった彼にはまず届くとは思えない。そこで手っ取り早く、「犯人の犯人」を見つけ出して、謝罪させようとする。

確かに犯人の人格形成の由来のほとんどを成すものは、彼の親のしつけや教育によるものだ。しかし、彼はもう25歳の「成人」であり、社会的には「責任」のあるものとして、法的にも扱われている。だから、本当は親は関係がないはずだ(言い方次第で問題が起きる言い方だな)。マスコミがこういう「犯人探し」を率先してやっている以上、いくら「いじめ撲滅キャンペーン」なんてやっても、なくならないと思う。

まあ、今の「成人」が本当に「成人」しているか、と言えば、私もそうではないので、あまり大きな口はたたけないけれど。でも、それこそ新聞の受け売りなのだが、極端な「自己否定」は「自己愛」の裏返しであり、その肥大化が社会的に著しいことは確かで、それが他人や社会の全否定になって、このような無差別な凶悪事件の頻発に繋がっているようではある。特効薬はない。

・・・私も「決めつけ」と「一般化」がひどいなあ。

既に長いが、もう少し。14日の土曜日に、秋葉原に行った。行くつもりではあったが、かなり行こうか行くまいか逡巡した。やはり、どこか「怖かった」のである。ただ、上手く説明が出来ないが、同じ事件が起こるのではないか、という「怖さ」とは違うものだった。

いつもより人出がかなり少ないように感じた。私がよく行くアニメショップも、いつもならレジに並ぶ列と輻輳して、まともに商品を選ぶことができないのに、ガラガラと言って良いほど空いていた。

事件現場に設けられた献花台は花や供物があふれていた。「事件を風化させまじ」というメッセージもあった。もちろん、事件に居合わせた方、被害に遭われた方の友人・親族の方もいらっしゃったと思うが、ほとんどが「アキバの住人」というつながりだけで、純粋に冥福を祈りたい人たちの行為だと思う。「アキバの住人」はともすると、他人とつながりを求めず、自分の世界だけに引きこもろうとする人のように捉えられがちであるが、わりあいとお互いに緩い「仲間意識」のようなものがあるように思う。

私も「アキバの住人」の末端にいる者として、手を合わせ、黙祷を捧げさせて頂いた。亡くなった方々の無念さに思いを馳せるにつけ、怒りと悔しさで涙が出そうになった。

日曜日の歩行者天国が当分の間中止されるという。廃止すべきという意見もあって、商店主の方々の間でも意見が分かれているそうだ。私自身は中止に反対だ。事件は「歩行者天国」だったから起きたわけではない。

週末の秋葉原の中央通りなどの歩道は人があふれ、身動きがとれない状態になる。もし、今回の事件のようなことが起きたことを考えると、逃げ場が無く、却って危険だ。また、交通量も多いので、パニックになった群衆が車道に飛び出すと、車にはねられてしまう。

それに、事件が「銀座」や「新宿」などのもっと著名で象徴的な歩行者天国で起こったら中止するのだろうか。そこには、一部で騒がれている「パフォーマンス」への嫌悪感があるように思う。

私自身は、そのパフォーマンスを見たことはほとんどないので、具体的にどういうことが行われているのかよくは知らない。行き過ぎたものはあるようだが、「自己表現」の場として機能していたことも確かだ。今回の不幸な事件をきっかけに、芽生えた「アキバの仲間意識」が、解決してくれることを願う。そういう街だと信じている。

・・・やっぱり結論が飛躍しているなあ。

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