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2008年11月

2008年11月26日 (水)

一時代を築いた車両の引退・・・

昨日も「本格的日帰り出張」だった。私は北関東のさらに「外縁」に住んでいるのだが、昨日の出張先は関西。初めて「復割」の切符を手にしたように思う。

朝、最寄の駅を6時半過ぎに出る在来線特急で東京都に入り、東京駅で「のぞみ」に乗り換え、新大阪から東海道本線の「新快速」に乗り換えて、目的地に12時頃に到着した。そして半日仕事(?)をして、目的地を17時半頃の快速に乗り、新大阪で18時頃の「のぞみ」に乗り換え、東京に20時半。そして在来線特急に21時に飛び乗って、最寄駅に到着したのが22時半過ぎ。タクシーを使って自室に戻ったら23時近くになっていた。

「鉄」の方なら、時刻表をひも解けば、私がどこに住んでいて、どこへ行ったか大体見当はつくだろう。

私にも「鉄分」が含まれているので(主成分とは言えない)、出張とは言え今回、「N700系」や「新快速」に乗れたのは嬉しかった(不謹慎極まりないな)。

「N700系」は、「700系」ですらほとんど乗ったことがない自分(帰省する時は300系「こだま」)ではあるが、本当に「驚く」隙も与えないくらいの乗り心地だった。自分の仕事の関係で、いろいろ「思うところ」もあるが、JR東海とJR西日本が、「現在できうる限りの最高水準の車両」と胸を張るだけのことはある。褒め過ぎではあると思うが、まさに「魔法のじゅうたん」。ふわっと滑るように加速し、最高速度で走っていることを忘れさせてしまう。帰りは「700系」だったが、初めて乗った時に、その乗り心地に非常に感動したが、やはり比べると、格段に「N700系」は進化しているのが分かるのだ。

そして、関西自慢の「新快速」223系。残念ながら乗った区間が非常に短く、複々線の急行線を、緩行線の207系や新鋭321系を追い抜いていくシーンは体験できなかったが、在来線特急並みの120kmで飛ばしていくスピード感は、初体験でもあって感動ものだった。

こうした新鋭車両が次々と生まれて活躍していく中、引退していく車両は数知れない。新幹線でいえば、今月末に「0系」が完全に引退する。あの「団子っ鼻」と呼ばれる、今では「愛嬌」のある顔は、我々の世代では「しんかんせん」の「代名詞」のようなものだ。すでに東海道新幹線では引退して久しいのに、東京駅ではまだ、東北・上越新幹線の「200系」とともに、乗り場のサインとして使われているくらいだ。

それに比べ、最近の新幹線車両は、いろいろ「空力」とか「微気圧波対策」だとは言え、あまり「かっこいい」とは言い難い。「700系」はようやく慣れた。「N700系」はまだまだ。翻って東北・上越の「E4系MAX」に至っては「・・・・」である。

私が「0系」に乗ったのは、就職する前は家族旅行などで年に1度あるかないかくらいで、就職してからは、最寄駅が「こだま」しか停まらないこともあって、20年弱前くらいからだけだ。その後すぐに「100系」に交代し、それも長くは続かず、今は「300系」が主体。その「のぞみ」の先駆者たる「300系」も、すでに廃車が始まっている。カッコよさだけではナンバーワンの「500系」も、一部を除いて短編成化された上で山陽新幹線の「こだま」運用に。なんと移り変わりの激しいことか。

私鉄でも名鉄がいよいよ「7000系パノラマカー」を全廃する。私の地元は愛知なので、感傷がかなりあるのも事実だ。「パノラマカー」は、やはり地元の子供たちの「憧れの的」だった。独特の「ミュージックホーン」の音階は、みんなすぐに真似ることができた。また、ふさがれて、のちに交換されてしまったが、先頭車の「光電管式スピードメーター」(当時はそんな名前すら知らなかった)は、ワクワクしたものだった。

今までも確かに、お世話になった車両たちが次々に引退した時期を経験している。特に名鉄は、ほんの10数年前までは、メカニカルなことはよく分からないが「HL車」とか「AL車」とか、「電車の博物館」と言われるほど、古い車両が新しい車両に混じって活躍していた。しかし、こうした車両たちが引退していった時と、今回の「0系」や「パノラマカー」が引退していくのとは、明らかに「何か」が違う。こんなに「感傷的」になっているのは初めてだし、自分でも驚いているくらいだ。多分、それは子供のころの強い「憧れ」のせいだと思う。

「0系」は確かに「0系が0系を置き換える」といった特異な形で長い期間に渡って製造され、現在活躍中の車両は、もちろん新幹線開業時のことを知らない。でも、この「0系」があったからこそ、日本の鉄道は生きながらえたとも言えるし、また、ヨーロッパなどで鉄道が見直されるきっかけとなった「功労者」だ。「パノラマカー」は、まだ第1次編成が稼働中で、保存も決まったようだ。本当に「お疲れ様でした」と言いたい。

少し話が異なるが、先日の日曜日に友人と東京で遊んだ。私が帰る特急待ちの時間に、駅のCDショップで、蒸気機関車の映像を形式ごとに集めたDVDをサンプルで流していたのを、二人で見ていた。戦後生まれの蒸気機関車の花形であった「C62形式」の映像で、実際に「花形」で活躍できたのは、たったの15年足らずだったということを知り、友人が非常に「ショック」を受けていた(「もののあわれ」のようなものか)のが、忘れられない。

さあ、あすも距離は短いが、時間はかかる出張だ。予想以上に長くなってしまったので、早く寝ることにしよう。

2008年11月19日 (水)

自分の中にある何か分からないもの・・・

昨日、「コネタマ」を試みたら、今日のアクセスが非常に増えていた。これは参加すると、自動的に同じネタで記事を書いた方のブログへトラックバックが貼られてしまうためだ。アクセスした途端、あまり面白くもないブログを読まされてしまう方には非常に申し訳ない。しかし、いつもいつもネタがあるわけでもないので、たまには活用してみて、反応を確かめてみたいと思う。(余談:「コメントが付いた」などという「嬉しい」メールが届いたと思ったら、「スパムコメント」だった。)

自分の「立ち位置」を見失っていること(というより元々ないこと)に、最近、ようやく初めて気がついた。将来への「青写真」が描けない。そこまでいかなくても、会社の仕事で、とにかく「計画」を立てることができない。上司からそのことについて、いつもうるさく言われるのだが、知らぬ間に「逃避行動」(眠くなる)が出る。

「閉塞感」は感じている。しかし、その「塞いでいるはずの壁」となるべきものが「壁」らしくない。

どちらを向いているのか、立っているのか座っているのか、ひょっとしたら寝ているのか、はたまたさかさまになっているのか、宙づりになっているのか、まるで「宇宙空間」にそのまま放り出されたようでもある。ただ、「壁」はある。しかし、「ゴム風船」のようにふわふわしていて、ぶつかっても跳ね返されているのか、「手ごたえ」を感じない。

多分、「現実逃避」の末期なのかもしれない。それは、とりあえず「会社」という社会に暮らし、とりあえず給料は頂いて、「衣食住」には困窮していないということからくる「甘え」なのだろう。ただ、こういうことを言っている自分も「ええかっこしい」で、非常に嫌味で、たまらなく嫌になる。

社会に出てはいるし、少ないが友人もいる。しかし、精神的には「会社に引きこもっている」のだ。だから、非常に苦しかった時でも辞めることができずにいて、そのまま引きずってしまい、結果的に自分が「どうしたい」のか全く分からないまま、ここまで来てしまった。なんと主体性のない人間であることか。

2008年11月18日 (火)

最近のことなど・・・

先ほどは、「ココログ」が提供してくれたネタで、ひとつ記事を書いたが、このところ更新がご無沙汰で、しかも今更、「KT逮捕」とか「オバマ圧勝」でもないので、11月に入ってからの近況などを書いてみようかと思う。

◆新環境1か月

ええ、楽しんでますとも(笑)。ただ、毎日つながなければ、みたいな一種の「強迫観念」のようなものが芽生えてしまって、ちょっとヤバい気がする。

また、これだけ無限の電脳世界であるのに、意外と視野が狭くなりやすいという「矛盾」があることに、最近気が付いてきた。昔の方が、サイトからサイトへと文字通り「ブラウジング」していたように思うのだが、最近は「検索」して出たページだけを見る、というような感じになってきている。「グーグル依存症」とでも言うべき人々もいるやに聞く。論理が飛躍しているのは承知しているが、安易に「答え」を出そうとする今の風潮は、こういうことが根底にあるような気がしてならない。

◆実家の法事

今年は祖母が亡くなって13回忌を迎える。その法事があったので、11月の頭の3連休に帰省した。「法事」とは言っても、親類などを呼んだりはせず、両親と妹の家族、私のこぢんまりとしたものだ。この祖母は、母方で、母にはきょうだいがおらず、また、祖母のきょうだいや戦死した祖父のきょうだいも皆、亡くなっていたり高齢だったりして、集まるのも大変だからだ。

お寺さんに読経をして頂いた。祖母が亡くなった時は、私が非常に精神的に「荒れていた」頃で、祖母の危篤を知ったのは街のゲームセンターで遊んでいた時だった。小さい頃は母もパートに出ていたりして、祖母に育てられたようなものであり、また、よく可愛がってもらっただけに、今考えると、非常に「祖母不孝」したと後悔している。

私の実家は「真宗」で、子供のころから「仏壇」があったので、我が家流ではあるが、「正信偈(しょうしんげ)」くらいはお勤めをすることができる。今回の法事で、なんとなくではあるが、「信仰」の意味を考えたりするようになった。やはりどこか、「心のよりどころ」を求めるところがあるようだ。

◆初の「本格的」出張

私の職場は、基本的に「出張」はない。あっても本社での説明会だとか、研修によるものくらいだった。それが、入社して17年も経って初めて、「正真正銘」の出張をすることになった。

6日の出張は、片道4時間半。本当の用事は1時間程度。朝6時前に出発し、帰宅した時は22時を回っていた。これから毎週のように出張が続く。慣れていないだけにかなり疲れる。ただ、不謹慎ではあるが、「鉄分」の入っている身としては、普段あまり乗ることのできない路線や列車に、会社の金で乗れるだけ、得したと思うようにしたい。実際、6日の出張で使った切符(復路)は、「無効印」を押してもらって、記念にとってある。

途中間違えて、書きかけ状態で公開してしまった。はちゃめちゃで面白くもなんともないが、近況はこんなところである。

今年の漢字は「刃」

コネタマ参加中: 2008年「今年の漢字」、あなたは何にする? イベントも開催!

ブログを始めたころにも少し触れたネタではあるが、場所をお借りしている「ココログ」で新しい試みを始めたようなので、改めて触れることにする。私が考える今年の漢字は、物騒で嫌ではあるが「」だ。

土浦事件から始まって、秋葉原事件など、とにかく一般の市民が理由もなく「凶」に斃れる無差別殺傷事件が立て続けに起きた。「誰でもよかった」とうそぶく犯人を到底許すわけにはいかないが、犯人の心のうちには、「格差社会」へ「向かいたかった」との見方もある。

また、その「格差社会」を生み出した「新自由主義」と言われる「小泉改革」の負の遺産と、その元凶であるアメリカのブッシュ政権の失政により、世界経済は大混乱に陥っている。これも「市場が(やいば)を向けた」と言えなくもない。そして、次期大統領選挙におけるオバマの圧勝も、ブッシュ政権に対して、アメリカ市民が精一杯「向かった」結果だった。

「刃」という字は現在の常用漢字表では、音は「ジン」、訓は「は」としか読めない。しかし、私はあえて「やいば」と読ませたいと思う。来年は、「刃」から一画を取って「刀」とした上で、それを納める年であって欲しいと願っている。

<10:58追記>今朝、元厚生事務次官の夫妻が何者かに刃物で殺害され、今夜も元厚生事務次官の夫妻が刺されたというニュースがあった。同一人物か、または意志を同じくする者同士のグループの犯行のように思われ、非常に気味が悪い。

※「はむかう」は、「歯向かう」とも書くが、「刃向かう」の用例も辞書によれば正しい。

2008年11月 9日 (日)

嫌いなもの総ざらえ・・・

いつの間にか11月に入ってしまった。このところ少し更新がご無沙汰で、その間にも世の中には、「TK詐欺事件」とか「オバマ当選」とかいろいとあったし、個人的にも実家の法事とか、「新環境1か月」とか、はじめての「本格的」出張とかあった。しかし、金曜日からあまりにも機嫌が悪く、また昨日今日と陰鬱な天気が続いているので、少し「ガス抜き」をしたく、10/21の「今日もだめ・・・」の記事の「嫌いなもの」と、最近気がついた嫌いなものを、改めて「総ざらえ」する。これを読んで反発を感じられる方もいらっしゃると思うが、所詮「戯言(たわごと・ざれごと)」なので、ご容赦願いたい。

◆前向き、ポジティブ思考、未来志向の押し付け:そんなにムリしなくても・・・。「ネガティブ」がそんなに悪いこと?

◆勝ち組、「セレブ」気取り:まあ、今の経済急減速が少しは「お灸」になってくれればいいのですけど。(負け犬の遠吠え)

◆成果主義:会社の「人件費抑制」のための方便にすぎぬ。

◆整理・整頓:ごめんなさい、どうしてもできないんです。

◆自助努力、自己責任:「成果主義」と似ている。国民の生活と生命ももろくに守れぬ政府が「何もしない」ための方便。

◆数値化、「見える(見せる)化」:「数値」で表せないことの方に意味があると思いたいね。後者は、会社経営のためのキーワードらしいが、「語感」からも気持ち悪い言葉。「気持ち悪い」言葉は根付いてもらいたくない。

◆会社は株主のもの:これは「アメリカ」の価値観(幻想)の押しつけ。これのおかげで日本の企業文化はダメになったし、本家「アメリカ」もずっこけて世界が大混乱に陥っている。会社は「従業員」がいなければ何もできないはず。

◆死:自分の「悩み」の根底に澱んでいるもの。

◆地震、雷、火事(消防車のサイレンも)、血:「死」を連想させる。特に「地震」と「雷」はいつ起こるか分からないので、余計怖い。

◆犬、(一部の)愛犬家:まあ、動物は全般に苦手であるが、別に噛まれた経験があるわけでもないのに特に犬が嫌いである。前世で何か因縁があるのだろうか。後者は、「世の中の人はすべて犬が好きである(犬が嫌いな人がいるわけがない)」、「自分の【子】(この言い方も嫌い)がいちばん」という思い込みが嫌い。この傾向は猫好きよりも強いような気がする。

◆ニュースショウ、医学番組:大げさすぎて、何も「報道」していない。後者は、どんな生活をしていても、あまねく「死」を招くらしい。

◆路上喫煙・歩行喫煙:たばこを吸うなとは言わない。ただ、関係のない非喫煙者に煙を吸わすな。後者は、やけどを負わせる恐れも高い。

◆蛍光管が切れかかっている看板や一部が点灯しないネオンサイン:「看板」でしょ?店や会社の「顔」でしょ?メンテナンスできないのなら出すな。

◆MacDonaldのハッピーセットのCM:CMというのは得てして「あざとい」ものだが、それを子供が演じているから、なおさらいやだ。大したおもちゃでもないのに、「Wow、Wow」と叫ぶ(叫ばせる)のもね。

◆ディズニーアニメ:色遣いが気持ち悪い。最近はフルCGの3Dだから余計気持ち悪い。また、お話の曲解と「感動」の押しつけも。

◆アメリカ:世界破滅の張本人。価値観の押しつけ。「ネオコン」敗退万歳!ただ、「オバマ」でどこまで「Change」できるか。

◆政治家:ま、言わずもがな。

◆おバカタレント:「演じている」とすればすごいが、どうもそうも思えなくて、存在自体がよく分からない。そもそも「タレント」って、「才能」のことでしょ?私がひっかかるのは、そこである。

◆労働組合:「政治家」になり下がっている。組合員の生活が守れないから、「政治(特に選挙)活動」へむりやり目を向けさせよう(目を逸らさせよう)としている。その「選挙活動」に組合員は「辟易」しているのに、気が付いていない。

◆○○JAPAN:サッカーや野球などのスポーツの日本代表チームを呼ぶ時に、監督の名前を「JAPAN」の前に付けるやり方のことを言っている。日本代表は別にその監督のものではない。単に「日本代表」でいいじゃないか。

◆バレーボール応援の「ニッポン・チャチャチャ」、サッカー応援の「アイーダ」:すごく嫌。「全体主義」っぽくて大嫌い。それをあおるマスコミも嫌い。ついでに、大して詳しくもないアイドルをスポーツ中継に連れてくるのも。

・・・あかん、こうやって好き勝手書いても、どうもイライラがおさまらないのはどうしてだろう。でも、第2弾以降もあるかもしれぬ。

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