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2008年12月

2008年12月25日 (木)

よいお年を・・・

私の職場は明日が仕事納め。多分明日は飲んだくれて書ける状態ではないだろうし、また明日いっぱいで、今の寮の部屋からのアクセスが一切できなくなるので、今日が「書き納め」となる。ちなみに、アクセス再開は1月9日以降で、かなりのブランクが生じる。

このブログが、その第一声通り「ただ勢いだけで・・・」始まったのは今年の5月末のこと。途中、月に1度くらいしか更新しなかったりもしたが、この7ヶ月間続けてきた(と言っても、更新は月平均5回弱。。。)。特に写真も掲載しないし、ブログの体裁も至ってシンプルなので目立つこともないが、それでも、こんな「つぶやき」に付き合って下さる奇特な方々がいらっしゃる。時に「精神的ブラウザクラッシャ」な記事もあって、読んで下さる方には「イタイ」かもしれないが、本当にありがたいことである。

私にとって今年一年は。。。というのは、あまり好きではない。ただ、今年の漢字が「変」であったように、世の中が「変」であったことは間違いない。また自分自身も、年末にかけて、めまぐるしい「変化」があって翻弄された。それだけ「引っ越し」は「大事件」だった。

しかし、それをなんとか乗り切ることができたのは、本当に周囲のおかげだと感謝して終わることのできる年になったのは、非常に良かった。また、確かに意味もなく非常に辛い状態が波のように押し寄せたりすることはありつつも、精神的に割と平穏に過ごすことができた。これだけ会社を休むことのなかった年は、もう10年以上ない。もちろん、投薬を受けており、それが効いているからでもある。

ただ、やっぱりこのブログが何かしら「効いて」いるような気がする。「私は自分のことを客観的に見ることができるんです!あなたとは違うんです!」(by 福田前首相)と叫べるほどの「自信」は私にはないが、しかし、いつもどこか「自分」を第三者的に見てしまう癖がある。今まではそれを自分の中で「自問自答」していただけだったので、余計こんがらがってしまっていた。

まあ、ここでも、いつも論理が飛躍していたり、結論があいまいなまま終わってしまったりしているのだが、それでも、「文字」に落とすことによって、「視覚的」にもとらえることができ、より「客観的」に考えることができるようになったのが、いちばん大きいように思われる。

来年はいよいよ本当の「一人暮らし」が始まる。何もできない自分が、どこまで「できるようになる」のか、全く見当がつかない。このブログも続いているかどうか。しかも「本厄」(あ~あ)。私にとって来年が本当の「変化」の年となりそうだ。

それでは、これを読んでくださっていた皆様、本当にありがとうございました。皆様にとって、来る2009年が良き年になりますよう。よいお年を。

2008年12月24日 (水)

クリスマスプレゼント・・・

世の中は「クリスマスイブ」だそうである。「彼女いない歴=年齢」(この年齢までくればある意味スゴイ)という私にとっては、まだ「サンタさん」を信じていた子どものころを除けば、全く縁がない。

そんな中で一昨日、一足早い「クリスマスプレゼント」が届いた。先日ここで触れたMOKA☆さんの3rdアルバムである。今もそれを聴きながらこれを書いている。

Web先行発売で、店頭販売は来年の1月1日のことなので、あまりそれぞれの曲について詳しくは書かない。しかし、ほんの一部を聴いただけで書いた先日の印象はあまり間違っておらず、むしろそれ以上だ。

私の勝手な解釈ではあるが、短編小説集を読んでいる印象を真っ先に受けた。それもそれぞれの曲は独立した世界を持っているにも関わらず、互いに「かかわりあって」いる。

MOKA☆さんの創り出す音楽は、「コメットさん☆」のような明るいイメージの子供向けアニメのサントラであっても、どこか寂しげ(悪い意味ではなく)で、叙情的な雰囲気を持つ(それがアニメ本編の演出にも作用する)。そして、どこか我々外部の者が絶対に立ち入ることのできない、また立ち入ってはいけない「領域」がある。その「領域」のキーワードは「孤独」。彼女自身のブログでもたびたび触れられる言葉でもある。

そのキーワードは、特に今までの2枚のオリジナルアルバム「Evidence of Life」と「竜宮幻歌」で、大きなテーマとなっていた。常に自分自身と対話し、人との関係に苦悩する姿が目に浮かんでくる。ともに名曲ぞろいでお気に入りのアルバムだ。しかし、ともすると深く「ダイブ」しすぎて、聴く者の心だけでなく、創っている彼女自身の心までも掻き乱しかねないきらいがあった。

今回のアルバム「森羅SOLOIST」のテーマも「孤独」だ。しかし、明らかに前の2枚とは違う。あまりこの言葉は使いたくないのだが「希望」が見えるのだ。それは、先ほど言った「それぞれの曲がかかわりあっている」という印象につながっている。彼女自身が、手繰り寄せることのできる「糸口」(きっかけ)をつかんだのかもしれない。

「森羅SOLOIST」というタイトルからも、そのことが何となく伺える。「森羅」とくれば普通は「万象」だが、このタイトルの意味するところは、「この世の中のありとあらゆるもの」の中での「ひとり」だ。確かに「孤独」ではあるが、「SOLOIST(ソリスト)」とは、ご存知の通り「独唱者・独奏者」であって、元々コンサートでは華やかで注目を集める存在だ。逆に言えば、「観客」に一番近い所にいられる。その意味でも「かかわりあい」の糸口が見える。

そして、アニメ「エルフェンリート」の主題テーマとして、しかも「幻の名曲」として有名だった「LILIUM」。この曲は「竜宮幻歌」でもセルフカバーして話題を呼んだが、今回のアルバムでも再編曲の上、ビデオクリップとして収録された。ますます荘厳さを増し、まさに「讃美歌」だ。クリスチャンでない私がこういうことを言うのは、本当は失礼なのかもしれないが、このまま教会で流せるのではないか(流してほしい)と思ったりしている。

以上、本当に私の勝手な感想をつらつらと書いてしまった。MOKA☆さん、本当にお疲れ様でした。素晴らしいものができましたね。今後はせっかくつかんだ糸を離さず、もっと新しい境地を開いていって下さい。応援しています。

2008年12月21日 (日)

あっという間の一か月・・・

今日は「冬至」だったはずだが、風はあったものの奇妙に暖かい日だった。久しぶりに少しゆったりした気持ちでこれを書いている。

「最後通牒」を突き付けられて、今日で丸一か月。引越しのことで神経の休まる日がなかった。前の週末は、私の職場の先輩二人と、両親まで来て「ゴミ掃除」。自分でもびっくりするくらいの「不用品」となったものの「山」(喩えでも何でもなく)。寮生の一カ月分(いや、それ以上)のゴミがその2日間に出た、といっても過言ではない(威張れる話ではない)。この年になって恥ずかしい話だが、母に大目玉をくらったのは言うまでもない。

本当に「無駄遣い」が多かったことを、改めて感じた。興味がなかったので持っていないが、それなりの車が買えたくらいのお金をドブに捨てたようなものだ(同時に「資源」も)。今後は嫌でも切り詰めた生活をしなければならない。その覚悟が出来ているのか、まだ自分には自信が持てない。

そして、この金曜日に電気、ガス、水道のライフラインが開通し、昨日、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、照明器具といった電化製品をまとめて「お買い上げ」。地元の量販店で全て揃えた。先ほどの先輩が詳しい方で、事前の市場価格調べから価格交渉まで、全てして下さった。ついでに、といっては何だが、レンジ台の組み立てまで。

電化製品自体は今週末にまとめて届く。ただ、唯一持ち帰った照明器具を取り付けて点灯させてみると、不思議なもので、それだけで一気に「生活感」が出る。「灯り」というものは、本当に「生活」の中心にあるのだと、実感した。

完全に引っ越すのは来月の中くらい。寮費がもったいないが、これほどの大掃除になってしまったことで予定が立てられなかったことと、今週末はもう「年末年始休暇」に入ってしまうためだ。しかも、通信もADSLを先々月開通させたばかりだが、工事の期間が取れてちょうどいいタイミングで移転できる。

聞けば、会社の来年の採用が少し増えたことで空き部屋が足りなくなり、それまで私のように(私はかなり「別格」になってしまうが)「のうのう」と居ついていた30代半ば以降の寮生に、一斉にその「最後通牒」が出されたとのこと。まあ、他の理由もあるとは思う。ただ、本当に泡を食っていて、「やけのやんぱち」で契約してしまったとはいえ、今年中に決めてしまったのは、結果的に良かったのかもしれない(後で後悔するかもしれないが)。

普段の私であったら、絶対に「結論」を先延ばしにしていて、本当の期限になって、もっと泡を食っていたろう。期限近くになれば、「需要」がどうしたって高まり、もっと決まらなかった可能性が高くなるはずだからだ。

それにしても、今回、車を持たない私のために(また、すぐパニックになる私のために)、荷物運びや、電化製品選び、それになりよりも「ゴミ掃除」までして頂いた先輩方に、本当に感謝しなければならない。今まで、私には、「会社には友人のような付き合いのできる人はいない」とずっと思っていた。確かにそれまで一緒に飲みに行ったりしてはいたけれど、こんな私のために本当に親身になってお手伝いをして頂けるとは、思ってもみなかった。これをどう「お返し」したらよいのか今は分からないけれど、これだけ(たったこれだけ)は言える。

「本当にありがとうございます。」

2008年12月12日 (金)

「悩み」の先にある「軽み」・・・

いつまでも、「精神的ブラウザクラッシャ」(私にとっては良い反省の機会となったが)的な記事を先頭に置いていては、かなり具合が悪いので、今日は少し別なことを書く。

以前、ここで少し触れたことのある、「MOKA☆」さんのことだ。このたびめでたく、3枚目のオリジナルアルバムをリリースすることになった。リリース日は来年の1月1日、Webでの先行発売は12月20日頃とのこと。それまでも彼女のブログで、それとなく「準備中」ということは匂わせていたが、あまりにも突然のことで、びっくりしてしまった。

ただ、非常に天使のように(決して大げさではなく)ピュアで繊細な彼女のこと、この準備期間に、何度も何度も、音楽活動のことはもちろん、いろいろなこと(特に人間関係に敏感なようだ)に、悩んで苦しんでいたのは、ブログからひしと伝わってきていたので、彼女自身、リリースを危ぶんでいたのかもしれない。

しかし、ある時を契機に、その「悩み」の一部から解放されたようだった。そこで、一気にリリースへと決心させたのかもしれない。まさに、「機を見るに敏」。こういうところは、本当に「芸術家」なんだな、と思う。

このMOKA☆サイトから、一部をサンプルとして聴くことができる。これまでの2枚のアルバム「Evidence of Life」及び「竜宮幻歌」では、どんどん彼女の「心象風景」にダイブしていくようであったが、今回のアルバム「森羅SOLOIST」では、逆にその「心の奥底」から浮き上がってくるような感覚を受けた。

一部しか聴いていない段階で、あまり断定的なことは言えないが、彼女自身の「悩み」が突き抜けていった結果、「軽み(かるみ・かろみ)」に到達できたのだと思う。何度も言うが、なんと「芸術家」であることか。

リリースが非常に楽しみである。MOKA☆さん、本当にお疲れ様でした。

2008年12月 9日 (火)

ざんげの値打ちもない・・・

この題名の曲をご存知の方はどのくらいいらっしゃるだろう。「北原ミレイ」という歌手の代表曲である。この歌をご存知なくても、「石狩挽歌」ならご存知かもしれない。「あれからニシンはどこへ行ったやら。・・・おんぼろろ、おんぼろぼろろ。。。」である。

この「ざんげ・・・」は、デビュー曲で1970年のことなんだそうだ。私はその頃はまだ幼児だったが、母親が好きな曲で何となく覚えており、歌ったことはないがたぶん歌える。なぜこんな古い曲の題名をこの記事のタイトルにしたのか、これから書いていくこととする。

先ほどの記事で、「とうとう引っ越す羽目になった」ということを書いた。その片づけやら荷物のまとめやらが終わらない。あまりにも、「いるもの」「いらないもの」がごちゃごちゃになってしまっていて、収拾がつかない。恥ずかしい話だが、今週末、両親がはるばる手伝いに来てくれることとなった。

本(おもにマンガ類)、雑誌、CD、DVDが気がつくとすごい量になっていた。雑誌類はとにかく中を見ないようにして少しずつ捨てているが、もともと捨てることができない私のこと、なかなか減らない。CD、DVDはとにかく、箱に詰めるしかない。試しに詰めてみたら(まだそれ以上にあるのだが)、重くて、ぎっくり腰になりそうだった。

どれだけ「無題遣い」してきたのだろうと、こういう時に、本当に後悔する。まあ、しても始まらないし、今ここにこうして生きていられるのも、これら「趣味」のものあってのことだ。これは、大げさでも何でもない(多少、大げさかな)。「友人」に恵まれたからである。これからは、もう少し整理して、大事にしていきたいと思う。

【!警告!】ここから先は、「精神的ブラウザクラッシャ」的な内容です。

耐えられる自信のない方はすぐに読むのをやめて、ブラウザを閉じるか、他のサイトに移動して下さい。

しかし、それ以上に、「ざんげ」しなければならないのは、「お人形」たちに対してである。私はその当時の友人の忠告と、自分自身の失敗、製造元の旧「タカラ」のお人形展開の失敗などを機に、「お迎え」は6年前くらいから抑えているが、それでも、11年前に収集を始めてたったの5年たらずのうちに、すごい人数になってしまっていた。その数、なんと100人余り。それ以外にも、ドレスの数々。

6月21日付記事「横浜にて・・・」の再録になってしまう点があることはご容赦頂きたい。インターネットをきっかけに始めたお人形収集は、やはり「寂しさ」を紛らわすためだった。また同時に、インターネットによる「友人」もでき、少し広い世界も知ることができた。文字通り「窓」が開かれて、私は確かに「自分が存在しても良い」という、かすかな「確証」を得ることができた。それは間違いがない。

なぜなら、私がもっと別の分野(オタク的なものはもちろん、美術館巡りが大きい)へも進んだり、友人を得ることができたきっかけは、アニメ「コメットさん☆」だが、それを提供していたのは「タカラ」だったからだ。「ジェニー」の新製品情報が目当てだったとはいえ、2001年の「おもちゃショー」でタカラのブースに行かなければ、「コメットさん☆」を知ることはなかった。

しかし、たぶんそれ以上に、自分が「ジェニー」に惹かれたのは「変身願望」が大きい。当時の「ジェニー」シリーズの箱には、「JeNnY is another yourself (ジェニーはもう一人のあなた自身)」というキャッチフレーズが印刷されており、当時は非常に的を射た言葉だと感心していた。ただ、やはり「変身」=「エロチック」なこと、という図式が自分にはある。それゆえ、どんな姿にも「変身」できるお人形がうらやましく、艶めかしかった。その欲求を満たすために、やたらと買い込んだのだと思う。こうなると「お迎え」などという「奇麗事」ではない。

そのうち、自分が非常に大きな過ちを犯し、お人形に対し、正視できなくなってしまった。今回、引っ越しをするに当たって、久しぶりにほこりをかぶっていた箱を取り出し、ほこりを払って箱に詰める作業をしているうちに、自分がとうに忘れてしまっていた、当時の友人たちから頂いたりしたお人形が、手紙と一緒に出てきたりした。

過去と向き合う時が来たのかもしれない。お人形に対しては、「ごめんなさい」では済まないくらいひどい仕打ちをしてきた。特に、一番のお気に入りだった10人ほどは、この数年全く顧みられないまま、ほこりをかぶっていた。昨日、ひとりひとり、洗った。

しかし、どうしても見つからない「ひとり」がいる。それは、自分の過ちに関係のある方に「変身」させて頂いたお人形だ。昨日洗った中にいるのかもしれないが、そうであっても区別できない。多分、この中にはいない。改めて自分の罪深さを悔いた。

お人形に対する罪はたぶん、消えることはない。ただ、少しでも罪滅ぼしになるのなら、と、その10人ほどについては、昨日からお人形遊びの原点である、抱きしめと添い寝をすることとした。

引っ越し先では、少し大きな棚を買おう。そして、順番に飾ろう。それができないのなら、少しでも箱から出そう。

【12月11日追記】

見つからなかったお人形が今日見つかった。他の2人といっしょに。自分だったら絶対嫌だったであろう、暗い狭い所にずっと閉じ込めておいて、本当にごめんね。知らず知らずのうちにやっぱり、「ないことにしていた」んだと思う。見つかってくれて、本当にありがとう。

2008年12月 8日 (月)

このところの大騒ぎ・・・

12月に入ってしまった。更新が少しご無沙汰になったのは、このところ出張が重なったりして時間が取れなかっただけではない。肉体的にもしんどかったが、精神的にもかなり参っていた。その元凶は、とうとう突きつけられた「退寮命令」である。

本来の規則からすれば、とっくに退寮していなけらばならない年齢になっているのだが、私の入社直後にちょうどバブルが崩壊して採用が抑えられてきたこともあり、空き部屋にしておくのももったいないというようなことで(私の理由ではない)、のほほんと居座ってきてしまった。それが、来年の2月末までに退寮せよ、とのこと。

その命令が出たのは、11月の第4週の月曜日。その週はちょうど2回の出張が控えていて、頭の中の許容量を超えてしまった。しかし、出張しないわけにはいかないので、考えないふりをして出張に出かけたが、それ以降、妙に神経が高ぶってしまって、寝つきが悪くなった。こちらの方は、10年ほど前に服用していたことのある薬を、先日再び処方してもらう羽目になってしまった。情けなかった。

それはともかく、引っ越し先を決めなければ話にならない。私は今まで本当の「一人暮らし」をしたことがないので、「不動産屋」などというものを覘いたことがない。もう「やけのやんぱち」で、その週末に、最初に入った不動産屋で、営業の方にうまく乗せられて、3時間ほどでアパートを決めてしまった。

自慢にも何にもならないが、私は全く「生活能力」のない男である。洗濯は今でも洗濯機にしてもらってはいるが、料理は全くできない。掃除は大の苦手。金銭感覚も、少ないながら貯蓄はしているものの、結婚していないので、多分、「生活資金」の感覚はゼロに等しい。こんなことで、「生活」できるのだろうか。。。。

ただ、それはそうと、「引っ越し」が先決である。でもこの17年間に及ぶ、文字通りの「塵芥(ちりあくた)」がたまりにたまってしまっていて、おいそれと片づけられていないのが現状である。そのことについては後ほど。

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