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2009年1月

2009年1月29日 (木)

疲労困憊・・・

まったく余裕が持てません。あまりにもグロッキー状態で、注意力が低下してしまっています。自然、後戻りが多くなるので、余計に時間を費やします。職場でも仕事になりません。

いろいろしたいことがあるのに、時間がありません。よって、これを書くこともできません。ごめんなさい。

2009年1月24日 (土)

10年以上のご無沙汰・・・

寮の鍵を返して1週間。「家事」とは本当に大変だ、ということを痛感しまくっている。加えて、今まで自分が本当に「何もしてこなかった」ことを思い知らされている。毎晩の夕食の準備は、傍から見ればまるで「マンガ」だ。という訳で、これを書いたり、好きなアニメなどを鑑賞したりする時間と気持ちの余裕がなかなか持てなくて、ある意味「欲求不満気味」である。

それで何が「ご無沙汰」なのか、というと、学生時代の友人たちと会っていないことである。

会っていなくても、毎年の年賀状のやり取りは「していた」。「していた」というのは、昨年末は引っ越しでドタバタした上に、古い年賀状まで捨ててしまったため連絡先が分からなくなり(お粗末)、結果的に「欠礼」してしまったからである。本当なら、年賀状をくださった方に対して、「寒中見舞い」を出して欠礼を詫び、併せて転居のお知らせをすべきだが、この状況ではすぐに「立春」が来てしまい、「寒中見舞い」にならなくなってしまう。

そこに舞い込んできたのが、その友人の一人からのメールで、短いながら、私からの年賀状が来ていないことに対し、何かあったのかと心配してくれた内容だった。

20年以上前の思い出話をしよう。私の数少ない学生時代の友人は、ほぼ、1年次・2年次の「クラス」が同じだった人たちである。私の出身大学は、私が卒業してしばらくして「機構改革」があり、今はなくなってしまったが、当時は2年次までは「教養部」で一般教養課程を受け、3年次から学部へ進んだ。大学とは、もともと自分で講義を選んで必要な「単位」を揃えていくものなので、教養部でもそれは変わらないのだが、「語学」と「体育」だけのために「クラス」が組織され、クラス単位で受講することになっていた。

大学には「学生自治会」がある。学部ごとにもあるし、教養部にもあった。まあ、私の頃には、既にほとんど力を失っていたが、それでも「執行部」はちゃんとあって、何らかの要求を「当局」に訴えるための「タテカン」や「アジ」・「オルグ」などは行われていたし、執行部の選挙や「スト権確立投票」などという手続きがあった。教養部のクラスも、ちゃんと自治会の末端の組織に組み込まれていた。

ということは、自治会にとって「クラス」は、「最小意志決定機関」ということになる。そのためには「クラス会議」が必要で、それをまとめる人も必要である。それが「議長」。

入学して初めてのクラス単位のオルグで、「議長」を決めることになった。当たり前のことだが、自分から立候補するような奇特な人はいないし、知らない人ばかりの中で推薦することもできない。それで、クラス中で「じゃんけん」をして、最後まで負けた人が「議長」になることになった。

そして50人以上いるクラスで、じゃんけんに負け続けたのが私である。私は「めでたく」議長となってしまった。

最初の仕事は、大学祭実行委員などの各委員を決めることと、クラス全員の自己紹介を掲載する小冊子を作ること。また大学祭では、1年生がクラス単位でハリボテを作り、前夜祭で徹夜行進をしなければならない。しかし、こうしたことをしようとして会議を開こうにも人が集まらない。もともと人を統率する力に乏しい私のこと、うろたえるばかりだった。

それをいろいろと手伝ってくれたのが、今でも年賀状のやり取りをしている人たちである。だから、今でも私のことを「議長」と呼ぶ。ちなみに正確に言えば、メールをくれた友人はクラスは別だったが、自主ゼミや3年次からのゼミが同じで、私を通じて、私のクラスの友人と知り合った形になった。彼も私を「議長」と呼ぶが、彼自身のクラスはほとんど機能しておらず、当時から交流はなかったようだ。それ以上に、クラスが同じだった人たちがずっと交流を続けていること自体、非常にまれであるようだ。

卒業してからしばらくは半年に1回くらい、東京近辺に就職した仲間で遊んだりした。今でもケッサクだと思うのは、野郎ばかり5、6人で、クリスマスシーズンに「東京湾クルーズ」に乗船したことだ。しかし、一人、二人と結婚して家庭を持つようになると、そうそう会えなくなる。私は彼らの結婚式に呼ばれ、「ご祝儀」を払い続けることになる(笑)。

そのうち、私以外の友人がみな結婚してしまい、加えて私自身が心の安定を失っていくようになると、ますます疎遠となった。今から思えば、自分の方から避けるようになった、と言った方が正確だ。自慢になってしまうようで嫌だが、私の出身校は、まあそれなりのところだ。みな一流の企業に入ったり、公務員になったりして、そこで確実な地位を得ていっている。子供もできて、子育てに励んでいる。それに比べて、私は変なところで躓き、いまだに抜け出せないでいる。

自分には「嫉妬」という感情がないと思っていたし、いちばん「汚い」感情で、持つべきものではないと思っていたが、彼らに対して知らず知らずのうちにそういう感情が芽生えていたようで、それに気がついた時は非常にショックだった。それで、年賀状のやり取りだけはするものの、彼らとの数少ない貴重な思い出が「重荷」になって、心の奥に閉じ込めてしまっていた。また、彼らと10年以上会っていない状態となった。

やっと本題に戻る。こういう状態の中で、携帯からのほんの数行のメールだったが、年賀状が来なかったことで、私のことを本当に心配してくれた。彼らの中に私が存在しても良いのだ、ということが実感できて、本当に嬉しかった。同時に、喪中でも何でもないのに「欠礼」というのは「失礼」なのだ、ということも痛感した。

メールによれば、今晩(もう昨日だが)、東京の仲間だけで会うという。誘ってもくれたが、時間的に私が参加するのは無理だ。私はすっかり「メタボ」な体形だが、みんなどのように変わっているのだろう。機会があったら会いたいと今は本当に思っている。

2009年1月18日 (日)

春一番が・・・

気持ちに余裕がなく、なかなか更新できなかったが、今日は少し落ち着いているので、久しぶりに更新しようと思う。その理由は、題名にも関係がある。

しかし、これを読んだ方は、この真冬さなかに何を寝ぼけたことを、といぶかると思う。まあ、あくまでも気分的なものなのでご容赦願いたい。

この言葉でピンと来た方は、30代後半以上の世代だと思う。70年代を駆け抜けた3人組アイドルグループ「キャンディーズ」の(事実上の)ラストシングルである「微笑みがえし」の歌いだしである。いろいろなところを検索した受け売りであるが、キャンディーズにとって「最初で最後」のオリコン第1位獲得作品で、名曲との誉れ高い。私は当時まだ10歳。それでも、これまで彼女たちが歌ってきた曲のタイトルを織り交ぜた歌詞が非常に巧みであることに感心したものだった。歌詞が気になる方は(私もあやふやなので調べた)、こちら(Yahooミュージック内)をどうぞ。それにしても、昨年が解散30周年だったそうで(以下、略)。

別にこの曲のことを書こうと思ったわけでもないのに、前置きが長くなってしまった。この曲のテーマでもある「お引っ越し」のことである。

このたびの引っ越しに伴う昨年末の体たらくとドタバタについては、それこそ昨年末からの更新のたびに触れてきたので「またか」と思われるかもしれないが、今日はちょっと違う。先週末から寝泊まりは新居の方へ移したが、食事はまだ寮でしているという、ちょっとした「二重生活」だったのを、今日、まだ部屋に残っていた小物をすべて移して、引っ越しをすべて完了させたからだ。

それで、部屋に掃除機をかけたり、また、棚や押し入れなど、完ぺきではないが拭いたりして掃除をした。その際、がらんとした何もない部屋を見て、何となく頭の中に浮かんできたのが、先の「微笑みがえし」だった。

入社してからしばらくは別の寮で相部屋だったが、今の寮に越して、一人部屋になって丸17年。私は大学卒業までの22年間を親元で暮らしてきたが、考えてみれば今の実家も私が5歳の時に引っ越してきた場所なので、それとほぼ同じ時間を、今の部屋で過ごしてきたのだ。

別に歌詞の通りに異性と過ごしていたわけではないが(笑)、気分的にピッタリで、非常に感傷的になってしまった。周囲は建て込んでいてあまり開けてはいないが、それでも窓の外から見える景色は、この17年間で、変わっていないように見えて、随分と変わった。全般的には賑わいのない寂しいものになってしまったのだが、今まであった店が閉店したり、新しい店ができたり、あるいはその繰り返し。

そう言えば今、「ネットカフェ」になっている店は、初め全国チェーンのビデオレンタル店で、しばらくして独立系の店になったんだっけ。でも、もっと前は、隣のマンションの敷地と合わせて、警察署とスイミングスクールだったんじゃなかったっけ。目の前のコンビニが閉店してもう何年になるんだっけ。その向かいの牛丼店がある場所は、スナックや鶏鍋の店の入った建物で、どの店も閉店してかなり長いことそのままになっていたよな。。。などなど。

この街の移り変わりに対して、自分はどう変わったのだろう?アニメを知って、精神的に参った状態になって、インターネットを知って、お人形を知って、インターネットの向こうの友達が出来て、・・・などと書くと、どんどん「退化」してしまっているように感じる。ただ、この「友達」がやっぱり「キーワード」だと思うし、そのおかげで自分は今生きていられる。引越しだってできた。ゆっくりだが、確実に「変わっている」と信じたい。

今後の生活に不安はたくさんある。何といってもこの年になって初めての「一人暮らし」だ。しかし、不安がっている割には、曲がってはいるが変な「糞度胸」と「開き直り」も「時には」発揮することもある自分のこと、ゆっくりとやっていこうと思う。

明日の朝、部屋の鍵を返して、本当に「完了」となる。本当に散らかし放題にしてしまってごめんなさい。本当に長い間お世話になりました。ありがとうございました。

「1 2 3(アンドゥトロワ) 三歩目からは 1 2 3(アンドゥトロワ) それぞれの道 私達 歩いて行くんですね」。。。 

2009年1月12日 (月)

あけましておめでとうございます・・・

非常にタイミングを逸した挨拶となってしまったが、ようやくこれを書く時間ができた。通信自体は9日から復旧していたのだが、新居での慣れない生活で、それどころではなかった。

新居は昨年の暮れに家電品が揃い、いくつかの日用品を買いこみ、とりあえず「住める」環境にはなっていたが、すぐに年末年始の休暇に入り、明けて9日まで通信が復旧しないので、新居は「留守」の状態が続いていた。それが、通信が復旧して3連休にもなったので、引っ越しを手伝って頂いた先輩からHDDレコーダを譲って頂くことになっていた10日に思い切って布団を移し、こちらでの暮らしをスタートさせた。

この「新生活」で一番困っているのが、やはり「炊事」。ちょうど寮はこの3連休の食事がなかったが、今までなら、すべて外で済ましていた。しかし、必要な日用品は日々増えていて物入りな状況が続いているし、それが落ち着いても今後は「やりくり」を考えなければならない。そうそう外食ばかりしてはいられない。

朝はご飯と納豆、インスタントみそ汁で何とかなる。昼も目玉焼きくらい(「目玉」にならないが)焼けば何とかなる。しかも、昨日は「鏡開き」だったこともあって餅もあるので、そのまま焼くなり、へたくそなりにお雑煮にしたりして、朝・昼は何とかしのいだ。

ただ問題は「夕食」。10日は別の引っ越しを手伝って頂いた先輩と外食した。今日は寮で夕食がある(今週いっぱいは寮で食事ができる)。問題は昨日。

それで何とかしなければならないが、なにせ何もやったことのない人間である。「レシピ」どころか「メニュー」も思いつかない。ただ無性に「茶碗蒸し」が食べたくて仕方がなかったので(大好物である)、無謀にも挑戦することとした。

いきなり茶碗蒸し用の茶わんが近所で売っていないというハプニングに見舞われ(ギフト用ならあったがもったいない)、急きょ「マグカップ」2個で代用することとして大慌てで作り出したら、「具が多すぎた」。出汁兼用のシイタケを戻し過ぎ、白菜の葉を入れ過ぎ、ささみやかまぼこを追加したら、それだけで卵液が入らないような状態に。

仕方がないので、切ってしまった白菜はレンジで温野菜にすることにして、水を張った鍋に件のマグカップを入れて蒸し始めた。しかし、全く卵が張った状態にならない。それでも、少し卵の張ったところを箸の先でつついても卵が出てくるような状態にはならなくなったので、あきらめて火を止めた。

食べたら火は通っていた。しかし、やっぱり水っぽい。白菜の水分も考えていなかったからである。まあ、それでも初めてやった料理である。うまい・まずいは別として、なんだか嬉しかった。

今日も荷物の整理や日用品の買い込みなどに追われた。しばらくはこの状態が続くであろう。今週いっぱいは寮で食事ができるが、来週からはいよいよ本格的に自炊をしなければならない。調理自体の問題もあるが、それ以上に、仕事のある平日に(今回はたまたま休日だったので時間があった)、掃除・洗濯に時間を取られる上に、炊事までできるだろうかという不安がある。そう考えると、本当に「母親」というのは本当に「偉大」だと思う。感謝してもしきれない。

こんな状態なので、今後落ち着いてブログを書けるかどうかは分からないが、私自身の「精神安定剤」にもなっているようなので、少しずつでも続けていきたいと思う。ここを読んでくださっている奇特な方々、今年もよろしくお願い致します。

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