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2009年1月24日 (土)

10年以上のご無沙汰・・・

寮の鍵を返して1週間。「家事」とは本当に大変だ、ということを痛感しまくっている。加えて、今まで自分が本当に「何もしてこなかった」ことを思い知らされている。毎晩の夕食の準備は、傍から見ればまるで「マンガ」だ。という訳で、これを書いたり、好きなアニメなどを鑑賞したりする時間と気持ちの余裕がなかなか持てなくて、ある意味「欲求不満気味」である。

それで何が「ご無沙汰」なのか、というと、学生時代の友人たちと会っていないことである。

会っていなくても、毎年の年賀状のやり取りは「していた」。「していた」というのは、昨年末は引っ越しでドタバタした上に、古い年賀状まで捨ててしまったため連絡先が分からなくなり(お粗末)、結果的に「欠礼」してしまったからである。本当なら、年賀状をくださった方に対して、「寒中見舞い」を出して欠礼を詫び、併せて転居のお知らせをすべきだが、この状況ではすぐに「立春」が来てしまい、「寒中見舞い」にならなくなってしまう。

そこに舞い込んできたのが、その友人の一人からのメールで、短いながら、私からの年賀状が来ていないことに対し、何かあったのかと心配してくれた内容だった。

20年以上前の思い出話をしよう。私の数少ない学生時代の友人は、ほぼ、1年次・2年次の「クラス」が同じだった人たちである。私の出身大学は、私が卒業してしばらくして「機構改革」があり、今はなくなってしまったが、当時は2年次までは「教養部」で一般教養課程を受け、3年次から学部へ進んだ。大学とは、もともと自分で講義を選んで必要な「単位」を揃えていくものなので、教養部でもそれは変わらないのだが、「語学」と「体育」だけのために「クラス」が組織され、クラス単位で受講することになっていた。

大学には「学生自治会」がある。学部ごとにもあるし、教養部にもあった。まあ、私の頃には、既にほとんど力を失っていたが、それでも「執行部」はちゃんとあって、何らかの要求を「当局」に訴えるための「タテカン」や「アジ」・「オルグ」などは行われていたし、執行部の選挙や「スト権確立投票」などという手続きがあった。教養部のクラスも、ちゃんと自治会の末端の組織に組み込まれていた。

ということは、自治会にとって「クラス」は、「最小意志決定機関」ということになる。そのためには「クラス会議」が必要で、それをまとめる人も必要である。それが「議長」。

入学して初めてのクラス単位のオルグで、「議長」を決めることになった。当たり前のことだが、自分から立候補するような奇特な人はいないし、知らない人ばかりの中で推薦することもできない。それで、クラス中で「じゃんけん」をして、最後まで負けた人が「議長」になることになった。

そして50人以上いるクラスで、じゃんけんに負け続けたのが私である。私は「めでたく」議長となってしまった。

最初の仕事は、大学祭実行委員などの各委員を決めることと、クラス全員の自己紹介を掲載する小冊子を作ること。また大学祭では、1年生がクラス単位でハリボテを作り、前夜祭で徹夜行進をしなければならない。しかし、こうしたことをしようとして会議を開こうにも人が集まらない。もともと人を統率する力に乏しい私のこと、うろたえるばかりだった。

それをいろいろと手伝ってくれたのが、今でも年賀状のやり取りをしている人たちである。だから、今でも私のことを「議長」と呼ぶ。ちなみに正確に言えば、メールをくれた友人はクラスは別だったが、自主ゼミや3年次からのゼミが同じで、私を通じて、私のクラスの友人と知り合った形になった。彼も私を「議長」と呼ぶが、彼自身のクラスはほとんど機能しておらず、当時から交流はなかったようだ。それ以上に、クラスが同じだった人たちがずっと交流を続けていること自体、非常にまれであるようだ。

卒業してからしばらくは半年に1回くらい、東京近辺に就職した仲間で遊んだりした。今でもケッサクだと思うのは、野郎ばかり5、6人で、クリスマスシーズンに「東京湾クルーズ」に乗船したことだ。しかし、一人、二人と結婚して家庭を持つようになると、そうそう会えなくなる。私は彼らの結婚式に呼ばれ、「ご祝儀」を払い続けることになる(笑)。

そのうち、私以外の友人がみな結婚してしまい、加えて私自身が心の安定を失っていくようになると、ますます疎遠となった。今から思えば、自分の方から避けるようになった、と言った方が正確だ。自慢になってしまうようで嫌だが、私の出身校は、まあそれなりのところだ。みな一流の企業に入ったり、公務員になったりして、そこで確実な地位を得ていっている。子供もできて、子育てに励んでいる。それに比べて、私は変なところで躓き、いまだに抜け出せないでいる。

自分には「嫉妬」という感情がないと思っていたし、いちばん「汚い」感情で、持つべきものではないと思っていたが、彼らに対して知らず知らずのうちにそういう感情が芽生えていたようで、それに気がついた時は非常にショックだった。それで、年賀状のやり取りだけはするものの、彼らとの数少ない貴重な思い出が「重荷」になって、心の奥に閉じ込めてしまっていた。また、彼らと10年以上会っていない状態となった。

やっと本題に戻る。こういう状態の中で、携帯からのほんの数行のメールだったが、年賀状が来なかったことで、私のことを本当に心配してくれた。彼らの中に私が存在しても良いのだ、ということが実感できて、本当に嬉しかった。同時に、喪中でも何でもないのに「欠礼」というのは「失礼」なのだ、ということも痛感した。

メールによれば、今晩(もう昨日だが)、東京の仲間だけで会うという。誘ってもくれたが、時間的に私が参加するのは無理だ。私はすっかり「メタボ」な体形だが、みんなどのように変わっているのだろう。機会があったら会いたいと今は本当に思っている。

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コメント

こんばんは。ども!です。
楽しい学生時代という経験がないため羨ましい限りです。勉強嫌いでしたので・・・。
ふと、心配してくれる友人って嬉しいですね!
会えるといいですねぇ。
引越しされたということで、落ち着かれましたらご自宅に呼ばれては如何でしょうか。
居酒屋なんかでも良いかもしれませんが、深い話には部屋のような空間が一番だと思います♪

ども!さん、いつもコメントありがとうございます。

こんなことを書いていますが、つい最近まで私は自分自身を「人間嫌い」と信じ込んでいた節があり、そうでなくても初対面の人と打ち解けるのに時間がかかったりすることもあって、子供のころから今まで「友人」と言えるような人は少ないのですよ。

しかも大学には自宅まで1時間半以上かけて通っていたこともあり、学生の楽しみである「コンパ」には1次会ですぐに切り上げなければならず、また「合コン」などという機会には全く恵まれませんでした。「アルバイト」の経験も乏しく、本当に4年間の学生生活を謳歌できたのかというとそうではなく、今になって「もったいないことをした」と感じています。

それに不思議なことに、小学校から大学までの「思い出」というのも、断片的な記憶以外、ほとんど無いのです。どんなことをして学校生活を送っていたのか、全くと言って良いほど覚えていない学年もあります。大学4年間もその中に入ります。

それでも、一度仲良くなった人とは、結構長続きします。社会人になってもう20年近くになりますが、互いになかなか会えなくなっても、消息を確かめ合えることは、この年齢くらいになると本当に幸せなことだと感じています。この辺のことは、また日を改めて書いてみようかと思います。

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