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2009年3月

2009年3月20日 (金)

感情と表情・・・

先日はあまりにも怒りにまかせて書いたので、お気を悪くされた方も多いかもしれない。私だって、かなり不完全な人間であり、誰かを諭したりするような「器」ではないことは分かっているつもりだ。

私には、自分の「感情表現」に決定的な「欠陥」があり、ずっとそれに気がつかないでいた。ここにきて、時に、どういう「顔」をしたらいいのか分からなくなってしまうことがある。

職場で上司から注意されたり叱られていたりしているのに、「薄笑い」を浮かべているような自分に気がつくことがある。そうなる前に、そこを早々に切り上げようと自分の席に戻ろうとして呼び戻されたりすることがままある。また、「悲しい」「苦しい」という表現ができないようで、どこか自分で自分の表情を「作っている」と感じることがある。

「喜怒哀楽」と言われる基本的な感情の中で、いちばんできないのが「怒り」だ。別にふだんから抑え込んでいるつもりではないのだが、何らかの理由で、その「ふた」が外れた時は、自分でも後で怖くなるくらいに「キレる」ことがある。

昨年末に実家に向かうために、夜の私鉄に乗っていた時、停車駅の発車時刻になってもなかなか動かない状況になった。車掌の説明によると、どこかで電車が脱線し、前が詰まってしまっているため動けないのだという。

ただそれでも、動けるところまで動かすということなので、なんとか近いところまで動いてほしいと思っていたのもむなしく、結果的に直前の駅で運転打ち切りになってしまった。後は駅員に対応を聞いてほしいとのこと。

はたして乗客であふれかえっていた。しかし、駅員の態度が非常に悪い。東京のように並行する鉄道などの手段が乏しいために、その代替手段を聞きたくても、常識的に考えてもおかしいことを平気でマニュアル通りに答える。そこを追及すると、逆ギレされた。

怒りが収まらず、仕方がないので高額を払うのを承知で、タクシー乗り場に向かった。そうしたら、資本の同じタクシー会社の車がやってきたため、怒りにまかせて、「なんとかしてくれんだよな」と運転手に言ってしまった。

運転手はおびえた様子で、「そんなことを私に言われましても・・・」と言った。その後の気まずいことといったらなかった。

翌日思い出してみるに、やはりあの態度はなかった。怒りをぶつける相手を間違っている。それを本当に「恐喝」まがいの言動をしてしまった。ほとんど「や○ざ」である。自分の行動が恐ろしくなった。

それ以外にも「嫉妬」や「ねたみ」「そねみ」という感情をほとんど持ち合わせていなかった。いちばん「汚い」ものだと思っていたのだ。しかし、ある時その感情に気がついて、非常にショックを受けたことを、はっきりと覚えている。

おそらく子供のころから知らず知らずのうちに「感情」を素直に出すことを押し殺してきてしまったのだろう。だから、普段は人に対してある意味「やさしそう」な「表情」をするが、それは自分の本当の「感情」とは違っている。

だから、もう遅いのかもしれないが、自分の「感情」を素直に出せる「場」が欲しい。しかも「簡潔」に。このブログが少しでもその役に立つようになれば、と思っている。

2009年3月18日 (水)

だから嫌いなんだってば!!!

今朝、出勤途中、いきなり「ダックスフント」(だと思う)が、いきなり牙をむいて、唸りを上げながら、こちらに近づいてきた。私は、以前ここで書いたように、犬が苦手である。どんなに小型犬でもだめなのだ。

こうなると私はおろおろしてしまって、後退するしかない。しかし、その犬はなお唸りを上げてこちらに向かってくる。逃げたくても、割りと大きな通りなので、車道に出れば車にはねられるかもしれない。どうしようもなく、おろおろしていると、飼い主が、「こら、だめよ。ごめんなさいね」などとのこのこ出てきた。

何でリードを放すんだ!しかも犬が唸りを上げているのだから、声は聞こえていたはずだ。どうして飛んでこないんだ!私が逃げて車にはねられたら、責任取れるのか?なんで、もっと謝らない!!!

一部の「愛犬家」と称する人間は、「犬を嫌いな人間などいない」と思い込んでいる。以前にも、駅前の広場で小型犬が私の周りをいきなり回りだして、私がどうしようもなく立ちすくんでいると、飼い主が「大丈夫ですよ。何もしませんから」ときた。馬鹿か!!たとえ何もしなかったとしても、苦手な人間にとっては、「何かするのではないか」と思うのだ。

あと、人ごみに連れてくる輩。食べ物を扱っている露店に犬を連れてくるのを見ると、こいつ何を考えているんだと思う。

こういう輩は、本当に動物を愛してなんかいない。本当に愛していれば、ちゃんとしつけ、その動物が周囲に迷惑をかけるような行為をしたら、きちんと叱るものだ。最近、何もしないで「自由」にさせることが、動物への「愛情」と思い込んでいる輩ばかりで、本当に頭に来る。

・・・こうやって書いていたら、また余計に腹が立ってきてしまった。

2009年3月17日 (火)

簡潔であること・・・

今日は訳あって会社を早退、そして早めにアパートに戻った。しかし、このところあまりにも疲れきっていて、食事を作る気にもなれず、一人暮らしを始めてからずっと我慢していた「宅配ピザ」を注文して済ませてしまった。宅配はMサイズからしかしてくれないし、それだけでは間が持たないために、「サイドメニュー」も一緒に注文してしまうので、完全に「カロリーオーバー」なのだが、まあ、たまにはいいだろう。ただ、易きに流されやすい自分のこと、クセにならないように気をつけないといけない。それにしても、「宅配ピザ」って、なんであんなに高いのか?

既に前置きが長くなってしまって、この段階でタイトルから完全に離れてしまっているが、本題に向かうこととする。

このブログを読んでくださっている方ならとっくにお気づきのことだと思うが、私の書く記事はとにかく「長い」。これに写真などが添付されていれば、それなりに「我慢」もできようが、テキストしかない(そもそも写真を掲載する気すらない)ので、ちらっと見るだけで嫌になってしまうだろう。実際、何かのキーワードで検索して、運悪くこのブログに引っかかってしまった閲覧者の滞在時間は、笑ってしまうくらい短い。

よくお邪魔していたサイトへのカキコも長かった。特に、精神的にひどかった時は、ものすごいものだった。今はこれでも、整理して書けるようにはなっているのであるが、それでも長い。記事も長いが、記事にしてアップするまでの時間も長い。それは、記事を書くことより、「推敲」することの方が好き、というどうしようもない「嗜好」による。だから、気力が充実していなければ書けない、というジレンマに陥ってしまう。

しかし、私はこういう書き方しかできないし、話をする時もしどろもどろになりがちなので、簡潔な表現に憧れている。詩が書けたら、と思う。

個人的に憧れているのは「短歌」。「みそひともじ」である。「俳句」もいいが、いかんせん短すぎて、詠むにも解釈するにも、発想の「飛躍」を要求される。短歌のあの長すぎもせず、短すぎもしない、あの絶妙なバランスが好きなのだ。

もちろん、本職の歌人の方は、あの「定型」の裏側で、相当な「苦悩」をしている。私などが「片手間」に詠んだりするものとは違うのだ。それでも、膨大な「エネルギー」が必要なことは、このように多少書くことが好きな私にも分かる。

私も、それくらい自分の感情を、簡潔に「昇華」することができるような能力を持ちたい。それには、社会経験と何といっても「読書経験」がものを言う。ただ、それらが絶対的に不足している私は、いつも考えることが同じところを「逡巡」してしまうことになる。私がいちばん後悔しているのはそこである。

このところ、70年代から80年代の洋楽の歌詞を自分なりに訳してみたりしているだけの記事が続いているのは、「書くことがないから」というのが最大の理由ではあるのだが、私の心を打った簡潔な表現に、再び触れてみたかったという理由からでもある。そのことについては、少し別の視点から、後日触れてみたい。

2009年3月15日 (日)

Olivia Newton-John・・・

私にもあなたと同じように忙しくしていた時があったわ。
あなたと同じだった。
私にも自分の考え方だけを押し付けていた日があったわ。
あなたと同じだった。
今はあなたを不機嫌にさせるようなつもりはないの。
そう、あなたにペースを落としてもらいたいだけなの。

あなたはくつろいだことはないの?
自分の中から心地よいものを見つけようとしたことはないの?
ただあなたの歌を聞くことだけに満足したことはないの?
他の誰かを勇気づけたことはないの?

先が見えない中を頭を上げてあなたのように走り回っていたことが、私にもあったわ。
体を休めたり、靴を脱いだり、目を閉じたりする時間がなかっ
たことが、私にもあったわ。
今はあなたにだって簡単にわかるはずよ。
手助けしてくれる誰かが必要だってことを。

あなたはくつろいだことはないの?
自分の中から心地よいものを見つけようとしたことはないの?
ただあなたの歌を聞くことだけに満足したことはないの?
他の誰かを勇気づけたことはないの?

2009年3月10日 (火)

むなしい。。。

最近、全く生活に「潤い」がない。慣れない家事に追われて何もできなくて、欲求不満がたまる一方。毎日がものすごくむなしく、さびしい。

2009年3月 8日 (日)

Diana Ross・・・

過ぎていく日々に道を見失わないで。
ここまで来たじゃないの。
投げ出したりしないで。
信じて生きるの。
夢はつむぐためにある。
素晴らしいことが始まろうとしているわ。
あなたの物語を生きて。
自信と希望と栄光を、
心の中で現実のものにして。

私たちがともにあきらめないでいれば、
夢は決してなくならない。
夢はいつまでも見守ってくれるわ、
雲が晴れるまでずっと、
私とあなたのために。

風の中では、心はたわむべきもの。
星を探して。
最後まであきらめないで。
谷あり山あり、
涙を洗い流してくれる泉はそこにある。
言葉は人を支配する。
誰かが祈っている、
どうか私たちの居場所に連れて行ってくださいと。

私たちがともにあきらめないでいれば、
夢は決してなくならない。
夢はいつまでも見守ってくれるわ、
雲が晴れるまでずっと、
私とあなたのために。

暗闇から抜け出たら、
太陽を夢見ましょう。
暗闇の中では、光を感じましょう、
ひとりひとり心を温め合いましょう。

私たちがともにあきらめないでいれば、
夢は決してなくならない。
夢はいつまでも見守ってくれるわ。
心はどこまでも高く飛び立つことができる。
雲は晴れるわ、
私とあなたのために。

2009年3月 1日 (日)

本当のホラーより怖い・・・

今年も残すところあと10か月を切った。早いものである。着実に季節は春に向かっているが、先週末は雪が降ったり、まさに「三寒四温」である。

このところ週末になると、昼ごろまで寝てしまうようになった。すごくもったいない気がするが、どうしようもないくらい眠いので仕方がないと諦めている。また明日からは「平日」が始まる。

そんなこの週末だったが、テレビで映画を見た。別に見るつもりではなかったのに、引き込まれて結局見てしまった。例の「おくりびと」が「アカデミー外国語映画賞」を受賞したため特別番組として放送された、同じ滝田洋二郎監督の10年前の映画「秘密」である。

私の住む町には人口が19万人もいるのに、映画館が一軒もない。数年前までは4軒あったのだがことごとく閉館してしまい、映画を見たくとも電車に乗っていかなければならない(私は車を持っていない)。私がこの町で最後に見た映画は、周囲に「小さいお友達」がいっぱいいた、5年前の「二人はプ○キュア」である(恥)。というような訳で、この「秘密」(ここでかかったかな?)にしろ、今回の「おくりびと」にしろ未見だ。

で、その「秘密」だが、まあ10年前の映画だから、ご覧になった方は大勢いよう。いまさら「ネタばれ」でもないだろうからざっとあらすじを書くと。。。

主人公「平介」(小林薫)の妻「直子」(岸本加世子)と娘「藻奈美」(広末涼子)はスキーバスの転落事故に遭い、直子は死亡する。しかし、助かった藻奈美は、自分が「直子」だと言う。どうやら娘の体に妻の意識が憑依してしまったらしい。

こうして傍目には「親子」だが本当は「夫婦」という、周囲には「秘密」の生活が始まる。「直子」はせっかく人生を二度楽しめるのだからと、「藻奈美」が送るはずの高校生活を楽しみ、果てには自分がどうしてこうなってしまったのか何かヒントでも得られれば、と医大を受験して見事合格してしまう。

「直子」はキャンパスライフを思う存分楽しむ。途中、医大のきざな「先輩」(本当は自分の息子くらいの年齢なのだが)に言い寄られたりするのを電話を盗聴するほど「嫉妬」したり(傍目には娘の行動を監視する親と同じだ)、「夫婦の営み」を試みようにも、体は「藻奈美」であるために結局果たせなかったりする平介の姿が楽しい。

しかしある日、ひょんなことから平介が「直子」を初めて「藻奈美」と呼んだことがきっかけになり、眠っていた藻奈美の意識が復活する。多重人格者のそれと同じように、意識が「直子」と「藻奈美」が入れ替わる時は眠ってしまうために、初めは互いの意識がどうなっているか分からず混乱をきたしていたが、そのうち「直子」である「藻奈美」と本当の「藻奈美」との間でビデオレターや手紙のやり取りをするようになって、これまた奇妙な「二人で三人」の生活が始まった。

そういう「楽しい」生活も長くは続かなくなった。「藻奈美」の意識がだんだん勝るようになってきて、「直子」は自分が消える運命であることを悟る。そして最後に、よくデートに行った岬の公園に連れて行ってくれるように平介に頼む。そしていよいよ「直子」の意識が消えようとする時に、平介は初めて「藻奈美」の顔をした「直子」にキスをする。もちろん、平介自身は「直子」にキスをしたと思っている。

そして数年後、「藻奈美」は転落したスキーバスの運転手の息子と結婚することになった。「藻奈美」が平介に今まで世話になった例を言った時、平介は「藻奈美」の手にしているバスケットに藻奈美が大事にしていたクマのマスコットがあることに気がつく。そして、「藻奈美」が平介のひげのそりあとを手でなでた時。。。。

これは直子が生前、平介の出社前に愛情のしるしとしてしていた習慣だ。目の前にいるのは「直子」だったのだ。

こわー!!!実は「直子」は完全に娘を「乗っ取って」しまったというオチ。一体いつから?、なぜ?、消えていかざるを得なかった「藻奈美」の意識は?、、、、などなどと考えてしまったら、ものすごく怖くなってしまった。

これとは全く違うジャンルではあるが、数年前まで「アフタヌーン」で連載されていた「ヨコハマ買い出し紀行」という漫画がある。近未来、海面上昇で水没しかかった日本のヨコハマに、喫茶店を営むロボット「アルファさん」と数少なくなった人間との交流をゆっくり描いたものだったが、その最終回に私は非常に怖くなった。

別に血がドバアッとか、そういうのではないが、アルファさんの周囲の風景から「人」がいなくなっている。しかし、アルファさんはいつもと同じように、愛用のバイクでコーヒー豆を買い出しに行くのだ。

ロボットであるアルファさんは永遠の「命」を持っているため、知り合いだった人たちがみな「死んでしまった」ことを暗示している。それで、かなり「トラウマ」っぽくなってしまって、好きな作品なのに、見返すことができないでいる。

なんかとりとめもなく長くなってしまった。私は以前ここで書いたように「血」とか「死」などを連想させるものが嫌いと書いたことがある。だから当然「ホラー」や「サイコ」的なものは見ないし見たくない。しかし、良質な「コメディ」は本当の「ホラー」足り得る(むしろそれ以上)のではないかと思っている。

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