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2009年9月

2009年9月23日 (水)

シルバーウィーク・・・

「秋の大型連休」というのが今年初めてできて、早くも「シルバーウィーク」なる言葉ができたようだ。「敬老の日」が含まれるため、「シルバーシート」などに代表される「シルバー」のイメージと、春の「ゴールデンウィーク」との対比からだとは思うが、本当の「シルバー世代」にとっては、意味があるとは思えない。

まあ、そうは言ってもお休みを頂けるのはありがたいこと。そこで一昨日と昨日は東京へ行ってきた。東京のS君とは昨日会った。

目的地は多摩丘陵。まずは「よみうりランド」へ。野郎二人で行くところではないが、目的が「フレ○シュプリキ○アショウ」となれば、読者の方々もご納得頂けると思う(まったく)。

「プ○キュア」の前は、アニメの「エンディング」テーマを歌っている林桃子さんのミニライブであった。普通はオープニングの方が有名でそちらでは。。。と思うが、そこは推して知るべし(苦笑)。たぶん、生では聴くに(自重)からだと思う。歌声はパワフルで、サービスでオープニングも歌ったが、どちらも林さんが歌ってしかるべき、と思った。

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お目当てである「プリキ○アショウ」は、主人公の「ラブ」と、いまや「クールビューティ」の座を「美希」(へたれキャラになってしまった)から奪った「せつな」との友情を軸として、その二人のちょっとしたすれ違いから生まれた誤解を、悪役「サウラー」に付け込まれるというもの。「すれ違い」とは言っても、ラブが勝手に暴走してはいるのですが。でも、15分間の短いショウにしては、割り合いに練られた脚本だったと思う。

それにしても「着ぐるみ」を操演する方々は、本当にすごいと思う。まずは、視界がほとんど確保されない状態で、歩くだけでも大変だと思うのに、飛んだり跳ねたりしなくてはならない。しかも、声優が吹き込んだ音声の尺で動かないといけない。平たく言えば、まだ格闘している段階で、音声が必殺技を出してしまってはならないのである。・・・あ、そうでした。「中なんかいない」から大丈夫なのです。

ショウの後は、小さいお友達が、ステージ上のプリキ○アと、林さんの歌うエンディングテーマに合わせて踊ろう、というコーナー。今回のプリ○ュアは、「ダンス」が大きなテーマとなっているだけに、重要なのである。それにしても、今の子供たちはリズム感が我々の頃とは全然違う。最も、こんなに巷にダンスが溢れてはいなかったが、それでも世代の大きな段差を感じる。

よみうりランドには今回初めて行った。「アシカショウ」も楽しかった。たぶん、「遊園地」と呼べるところは、今や都内、いや全国でも珍しくなった。家族が思い思いに弁当を広げて楽しんでいる様子は非常に微笑ましかった。完全に「社会」と隔絶された「ネズミのランド」は、子供の健全な発達に悪影響を及ぼすと、私は思っている。そういう意味でも、経営は大変だとは思うが、頑張ってもらいたいと思う。

次に行ったのが「サンリオピューロランド」。ここも野郎二人で行くところではない。それに、先ほど「ネズミのランド」のことを悪く言ったのに、どこが違うのか、と言われそうだ。

090922_puroland しかし、やはり「和製」ということもあって、どこか「垢抜けない」のだ。しかも、最寄り駅の「多摩センター駅」からはペデストリアンデッキで直結しているのだが、写真のように商店街の先に唐突に現れる。また入口が常に開かれていて、中から外が丸見えだ。商店街の方が後からできたためのようだが、社会にすぐに引き戻されるという点では、良いのかもしれない。

中ではミュージカルとパレードを見た。ミュージカルは、連続物(3部作)であるため、前を見ていない者にとっては少し理解が難しかった。ただ良いのは、ほかの劇場とは違って、ステージと客席が「続き」であること。役者さんは観客の間を自由に行き来することができる。観客も、作品の舞台である「妖精の国」の住人として、劇の「登場人物」の一部になることができるのだ。実際に、役者さんと観客の間の掛け合いもあった。

パレードは、「ネズミのランド」とは違って、屋内だけ。しかも「パレードする」というより、ほとんどダンスである。「キティ」をはじめとするサンリオキャラクターの「オールスターキャスト」である(実際は人気のあるものだけ)。それぞれのキャラクターが踊る場所というのはほぼ決まっているため、お気に入りのキャラクターを良い位置で見るために、早くから場所取りをする人も多いと聞いている。

そしていつもの通り、少し疲れた体で行きつけの居酒屋で飲んで、帰宅したのであった。S君、案内どうもありがとう。

明日からは、本当に「現実」に引き戻されるはずだが、リハビリする暇もなく、2日出勤しただけでまた土日が休み。おそらく、リハビリには、相当かかりそうで心配だ。

2009年9月20日 (日)

お父さんは無事   -チェインジ!その2-

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携帯の機種変更をした。私が契約しているキャリアは、この写真でお分かりの通り、「味噌汁つかない」携帯である。初めて契約した時から10年と8カ月で4代目。

昨日まで使っていた3代目が意外と「当たり」で、これまで4年間もち、まだ使えると思っていたのだが、ほかのキャリアより一足早く、来年の3月いっぱいで「2G(第2世代)」のサービスを停止してしまうために切り替えることになった。

本当はぎりぎりまで粘るつもりでいた。しかし、ソフトバンクモバイルの2Gの特徴であった「ステーション」という「プッシュ型」の情報サービスが好きで、よく利用していたのだが、それも主要コンテンツは6月いっぱいで終了してしまったためにつまらないものとなり、「外堀を埋められて」、「3G」へ移行を促される形となったというわけである。

はたして機能満載。ワンセグも見られる。これでは、若い世代が「携帯中毒」になるのも無理はない。

ところで、携帯本体が非常に高くなったと聞いたので、それなりに準備してショップに出かけたが、2年間使用を前提に毎月の料金にプラスする形で払うこととなるという。つまり「月賦」だ(死語・・・)。しかし、これまでにたまったポイントや何かで実質的に「タダ」となり、わずかな差額を少しずつ払うだけで良いという。それで、実際にショップに払った金額は、充電器購入代(「別売り」とは恐れ入る)の一部「105円」のみ。なんだか拍子抜けした。

しかし、あれこれいじりまわすと全て「パケット通信」になってしまうため、一応「パケット定額制(2段階)」のプランには入っているものの、以前より確実に携帯使用料が跳ね上がってしまうのではないかと、危惧している。

それ以上に、「料金プラン」の仕組みが分かりにくい。携帯本体は確かに月賦で購入するのだが、3か月後から、それと同等額を使用料から割り引くプランである(らしい)。実のところ、価格(カタログに書かれていないのも妙だ)はもう少し高く、その「割引分」と最初の2か月分の料金で、「回収」することになっていると思われる。

2年3か月経たないうちに何らかの理由で機種変更すると残額は支払わなければならないという。けれど2年3か月後には、確実に買い替えないと損することになる。よくもまあ、こんな「巧妙な」仕組みを考えたものだ。加えて、使用料のことを考えてみると、何も得しているわけではなく、「相殺」という形をとりながらうまく「丸めこまれている」だけのように思える。

話は変わるが、私の加入する「ソフトバンクモバイル」は、この約11年の間で、5回も商号が変わった。いちばん最初が「東京デジタルホン」。今の「携帯中毒世代」には分からないと思うが、10年ほど前までは、どのキャリアも地域(ブロック)ごとに通信会社を立てなければならかった。だからブロック会社をまたぐと、「ローミング」といって、そこで使用している電波を借りることになり、通話料も上乗せされることがあった。また、「デジタルホングループ」は、私が契約した頃は最もエリアが小さく、「ドコモ」へのローミングサービスがオプション契約としてあったほどである。

その東京デジタルホンが、商号を変更して「ジェイフォン(J-Phone)東京」に。各「デジタルホン」地域会社も順次「J-Phone」のブランドとなった。今では当たり前になった「写メール(写メ)」は、実は「J-Phone(今はソフトバンクモバイル)」がいちばん最初で、まだ「商標権」を持っている。加入者数が伸びなかったJ-Phoneは、この時期一気に伸びた。前後してドコモの「i-モード」が始まっており、各社も同様のサービスが始まって熾烈な競争が始まる。

おそらく法規制の緩和から、各キャリアとも各地域会社をまとめ始める。J-Phone東京は、まず「J-Phone東日本」に、そしてすぐに「J-Phone」となった。そして世界中で一番大きいといわれるキャリア「ボーダフォン(Vodafone)」に買われる。私の3代目の携帯はこの時のものだ。しかしすぐに手放されて「ソフトバンクモバイル」へ。この間にPHSの隆盛と急速な衰退、ポケベルのほぼ全滅、など、移動体通信事業の移り変わりのなんと速く激しいことか。

すでに長いがもう一つ。件名とこの写真のことについて全く触れていない。言うまでもなく「お父さん犬」のことであるが、最近のCMで、なぜか上から落下してきたピアノから、通りすがりの女の子をかばって、自分が下敷きとなってしまった。初めは「安否はWebで」だったが、すぐに「お父さんは無事」に変わった。

確かに「お父さん」は、あんなに重いものの下敷きになっても「無事」だったが、もうひとつの意味があると思う。このCMの少し前、いきなり「SM○P(検索に配慮)」がソフトバンクモバイルのCMキャラクターとして登場したのである。それもかなりスタイリッシュなCMだ。恐らく「お父さん(カイ)」のファンは、もう見られないのか、と衝撃を受けたに違いない。しかし、しばらくして、それよりもっと衝撃的な「事故」でお父さんはカムバック(?)を果たした。つまり、「お父さんのCMはまだ続きます」、という意味で、ファンにとっては「お父さんは無事」だったのである。なんと洒落たことをするものか。

2009年9月17日 (木)

チェインジ!

別に "Yes, we can!" でも、政権交代でも、ましてや「プ○キュア、ビ○トア○プ!」でもない(しょうがないなあ)。このブログの体裁を変えてみただけのことである。

前のもシンプルでよかったが、少し「色気」が欲しくなった。だからと言って、「キャラクター」というわけにもいくまい。それで、ココログで用意されている中から、このテンプレートを使うことにした。テンプレート名は「長い手紙」だそうだ。いつも無駄に長い私のブログにはぴったりの名前だと思った。

それにしても、何事にも手はつけるがすぐに飽きてしまう自分が、毎日更新ではなくても、こうして1年以上もこのブログを続けることができているのは、ある意味「奇跡」だ。それは書くことが何らかの「心の安定」に寄与しているからだと思っている。

テンプレートを更新するにあたって、バックナンバーをいくつか繰ってみた。たいていはとりとめのないことばかりなので、書いたことすらも忘れてしまっていることも多い。怒りにまかせて書いてしまった記事もある。ただ不思議なことに、それを冷静に読める自分がいる。

私も昔、親から言われたことをきっかけに、「日記」をつけたことがある。しかし、思春期から学生時代の日記は、恥ずかしくて読めたものではない。また、自分には子供のころの記憶が、なぜかほとんどない。それでその「記憶」を取り戻そうと期待して、その頃のものを読んでみたものの、まともな内容のある記事が少なく、非常にがっかりしたのと同時にショックが大きかった。しかし、ブログではそういうことがない。なぜだろう。

年のせいでもあるが、やはり、「誰かに読まれる」ことを前提に書いているからだ。もちろん、いろいろと支障があるので「本当の本心」は書くことができないから、ある意味「ねじ曲がっている」とも言える。しかしそうすることで、自分の感情を、第三者の視点で見つめなおすことができ、冷静になれるのだ。

前にも同じような事を書いたような気がする。でも、まあいいだろう。このブログシステムが続く限り、私の未来への「置き手紙」になっていくよう、ゆっくりまったり続けていきたいと思う。

2009年9月 8日 (火)

ひとつかふたつか・・・

「謎」・・・この文字を今ご覧になっている方は、「ごんべん」の隣の「まよう」という字の「しんにゅう」の点の数は一つだろうか、二つだろうか。OSがWindowsの方は、「XP」までだと一つで、「Vista」になると二つだと聞いたことがある。確かに職場の私のXPのパソコンでは一つだったと思う。

この字を「常用漢字表」の見直し案に入れること自体は、ほぼ当確なのだが、点を一つにするか二つにするかで、国語審議会がもめているらしい。本来の字は点が二つであるが、現在の漢字表の「しんにゅう」の字体は一つに統一してあるからである。

私は一つでも二つでもよいと思っている。ただし、学校で教える場合は一つ。点が二つの字は本来は逆ではあるが、「許容体」として認めれば良い。そうでなければ、学校現場が混乱してしまう。

ここまで電子化が進んで、使用できる漢字の数がほぼ無限(どう読むのか、意味は何なのか、どう使うのか分からない字の方が多いのだが)となってしまった現在、私は逆に「漢字表」の持つ意味が重要になってきていると思う。「漢字表を撤廃すべき」という意見もあるが、実際に使用する漢字の数は限られているし、読めない・書けない字が増えてしまっては、意思疎通のための「文字」の意味がない。

ただ、あくまでも「目安」。いろいろな役所が、自分の公文書に使用する文字を増やしてほしいと注文をつけているらしいが、全部聴いていたらきりがない。今だって漢字表にない字を使っているのだし、ルビを振れば良い。それよりもなによりも、そんな漢字を使わなければいけないような、難しい言葉を並べ立てて、国民を惑わすようなことをしてはならない。

そして「字体」も「目安」にしたらどうかと思う。「しんにゅう」の点の数は一つでも二つでもよい。完全に誤った字体でない限り、複数の字体を認めても良いのではないだろうか。今更、旧字体(康煕字典体)に戻れる人はほとんどいないとは思うが、それを載せてみるのもいいのではないか。新聞、雑誌などのメディアは、自らが「美しい」と思った字体を使えば良い。漢字ほどデザインに優れた文字はないのだから。

その代わり、教育現場で教える漢字は、数も字体もしっかり限定する。日本人であれば、ここまでは読み書きできてほしいという「目標」(「目安」ではない)がはっきりしない限り、国語力が一層減退してしまう。

NHK教育の火曜日「知る楽・歴史は眠らない」で「漢字事件簿」なる番組が始まった。まだ2回目だが、面白そうな趣向だ。楽しみにしている。

・・・それにしても、なぜMSは今更、「二点しんにゅう」にしたのだろう?

2009年9月 6日 (日)

「てよだわ言葉」・・・

先日、いわゆる「てよだわ言葉」で記事を書いたが、やはりこれをずっと先頭に置いておくのも気持ちが悪いので、新しい記事を書く。ただ、題材は「てよだわ言葉」とその周辺について。

「てよだわ言葉」は、今ではマンガやアニメでお金持ちの「お嬢様言葉」として知られる。要するに、「よくってよ(よろしくてよ)」、「・・・していらして?」みたいな言葉である。他に、「・・・だわ」はもちろん、「・・・のよ」、「・・・のね」、「・・・わよ」などというのも、その一部として考えてもいいらしい。

いろいろひも解けばわかるが、こうした言葉遣いは、明治から大正期にかけて、本当に良家の「お嬢様」たちに広まったものだそうだ。「大正野球娘。」は、まさに「どストライク」なのである。ただ、当時としては「蓮っ葉」な言葉で、眉をひそめられたそうだ。また、この「てよだわ言葉」を最初に文章にしたのは「夏目漱石」だったと、そこかで聞いたことがある(間違っていたらごめんなさい)。

そんな「はしたない」言葉をお嬢様たちが好んで使っていたというのは、法律的にも女性の地位が非常に低く抑えられていた時代に対する、一種の「反抗」だったのかもしれない。

しかし、「・・・て」、「・・・てよ」のような言葉はともかく、「・・・だわ」、「・・・のよ」、「・・・のね」、「・・・わよ」というような言葉も、普段聞くことがあるだろうか?小説や脚本、マンガやアニメなどの創作の世界では、女性の言葉としては「標準語」となっているのに、である。但し、「だわ」は方言的な語尾としてはあるし(男である私も使う)、「よ」や「ね」は「の」・「わ」を伴わなければ使われる。あるいは逆に、「よ」・「ね」を伴わない「わ」と「の」は使われる。

では、なぜ実際にはほとんど使われない言葉遣いが、こんな風に「いかにも使われているように」、我々の意識の中に刷り込まれてしまっているのだろう?

他の言語にも多少は見られることではあるが、特に日本語は「話し言葉」と「書き言葉」の差が大きい。明治時代には「言文一致運動」が起きて、苦労してその差を埋めようとした。ここからは私の全くの根拠のない考えであるので、ご容赦願いたい。

昔は文章を書くことを生業とする人を「文士」といった。そしてその文士で、現在「文豪」と呼ばれている人の多くは、経済的に恵まれた環境で育っている。そして「高学歴」。もちろん、苦学して高等教育を受けている人もいるにはいるが、「文士として生きる」と決めること自体、生活の安定がすぐには望めず、一般庶民には考えられないことだったと思う。

実際、「てよだわ言葉」を作品に取り入れるのが早かった漱石は、いろいろと曲折はあるものの、全般的に恵まれた家庭に育っているし、その作品の主人公の多くは、今で言うとさしずめ「ニート」だ(かなり乱暴だが)。漱石のファンには大変申し訳ないが、私が学生時代に彼の作品を読破しようと試みたものの、結果的に果たせなかったのは、あまりにも主人公たちの境遇が恵まれ過ぎていて、とても共感できなかったことが大きい(それ以上に私自身の努力の方が足りない)。

少し話がそれた。恵まれた環境に育った文士たちは、日常的に「てよだわ言葉」に触れる機会が多かったため、自然に作品に取り入れ、それが彼らにとっての「言文一致」だったに違いない。しかし、その作品がベストセラーになったとしても、庶民にとっては、その作品世界は、自分たちにはそれほど縁のない世界。しかも、蓮っ葉な言葉を使うような「反抗」は、一般庶民には到底許されなかった。よって、「てよだわ言葉」は女性の言葉だと分かったとしても、それは上流階級のお嬢様たちが使う言葉か、あるいは「女性の言葉を書くための言葉遣い」であると刷り込まれてしまった。それで、実際にはほとんど使われることのない言葉遣いが、創作の世界に根を下ろしたのではないだろうか。

ところで、今どきの「蓮っ葉」な言葉の代表例が「え~っ!」・「うっそー!」・「か~わいい~!」である。女子高校生の会話は、この3語だけで成り立っているといって過言ではない。また、駅の階段に堂々と腰掛けて、駄弁っている女子高校生をよく見かける。

この間、先輩とお好み焼きを食べに行って、そういう話をしていたら、私は背後で分からなかったが、女子高校生に睨まれていたそうだ。さしずめ「なに、このキモイおやじ!」だろう。確かに私は「キモイおやじ」だが、いかにも「頭の悪い」会話は、逆に私にとっては「キモイ」だけだ。100年後、先の3語+「キモイ」が、この時代の「お嬢様言葉」だったと解釈されるような時代になるのだろうか。別に「女性の品格が云々」なんて時代がかった考えは私にはないが、これだけは考えただけで反吐が出そうだ。

2009年9月 3日 (木)

ごきげんよう。

わたくしは「アニメ好き」であるのに、あまりここでは触れないようにしています。なぜかというと、最近はそれほどたくさん見ているわけではないし、アニメについてのブログはたくさんあって、しかもそれぞれが詳しく適切な批評であるので、とてもではないけれど、わたくしには太刀打ちできないからですの。でも、何となく撮りだめしておいたアニメの中に、ものすごくお気に入りになってしまったアニメが見つかって、どうしてもここで触れたくて仕方がなくなってしまったの。だから、あまり適切な批評でなかったら、ごめんなさいね。

みなさんは「エス」って言葉、ご存知?お洋服のサイズのことではなくてよ。もうほとんど「死語」になってしまったけれど、「Sister」の頭文字を取ったものらしいわ。でも「姉」や「妹」という意味ではなくて、もっと精神的なというか。。。 辞書で調べればすぐにわかるけれど、蓮っ葉な意味が堂々と書いてあったりするわ。言いにくいけれど、今の言葉でいえば、「百合」なのかな。。。

TBS系の「大正野球娘。」っていうアニメのことなの。時代は大正14年。舞台は東京市の麻布と、そこにあるミッション系のお嬢様女学校(モデルはあるらしいわ)。洋食屋の一人娘である「鈴川小梅」さんがお話の主人公で、彼女の親友の、大会社のご令嬢の個人的な理由から、まだまだ庶民のスポーツではなかった「野球」をすることに誘われてしまう、というお話よ。

「女だてらに」野球をするっていう、当時では考えられないことが奇想天外ね。しかも、野球は9人いなければできないし、それに、みんながみんな「箱入り」のお嬢様たちばかりだから、美少女ぞろいなんです。でも、小梅さんだけは、確かに当時の庶民に比べたら「良家」のお嬢さんかもしれないけれど、クラスメイトから見たらずっとずっと庶民的だし、なんといっても、とっても喜怒哀楽がはっきりしていて、可愛らしい女の子だわ。

お話について、一話一話いろいろ書くのは骨が折れるのでやめますけれど、とにかく仲間を9人集めることから始まるわ。野球をするようになったきっかけは、小梅さんの親友の社長令嬢の許嫁(いいなずけ、これもほとんど死語ね)が、彼女に対して、女性を侮辱するような発言をしたことね。

最終的な目標は、彼の所属している中学(今の中学ではなくてよ、今の高校に当たるわ)の野球部と対戦して、彼を「ぎゃふん」と言わせてやろう、ということ。いくら「大正ロマン」とはいっても、「男尊女卑」が強い時代のこと、随分思い切ったことをするものね。

このアニメには「原作」があるわ。読んでみたのだけれど、書き下ろしであるせいか、とても「荒削り」で、どこか辻褄の合わないところもあったりして、アニメよりも「奇想天外」かもしれないわね。アニメとは違いも多くて、そこを見つけるのも面白いわ。でも、アニメの監督さんは、そういうところを思い切りよくばっさりと処理して、非常に面白い作品に仕上げているわ。また、先週や先々週のお話は、全く原作にないもので、良質なスラプスティックだったと思うの(第8話はちょっと小梅さんにはかわいそうだったけれどね)。

あら、「エス」からずいぶん話がずれてしまったわね。アニメではそれほど強くないのだけれど、原作は「エス」の香りがぷんぷんして、読んでいるこちらが恥ずかしくなるようなくだりが多いの。それも最後は、登場人物のほとんどが小梅さんに対して、「エス」を感じているの。みんな箱入り娘だから、元気で天真爛漫な小梅さんがうらやましい、といったところから、そういう感情を持つようになったみたいだわ。

もうアニメは折り返し点を過ぎてしまったようだけれど、最終回に向かって今後が楽しみです。でも、小梅さんたちは知る由もないけれど、もう数年経てば、日本は戦争の時代に突き進んでいくの。そういうことを考えると、とても辛く感じるわ。

ところで「麻布」と言えば、その65年後に、正義の味方「セーラームーン」が登場するのです。いつの時代も女の子は強いのね。この作品も「エス」の香りがそこはかとなくあったわね。

そして、今よりずっと未来のお話になるけれど、ちょっと前にはまっていたアニメ「ARIA」も、考えてみれば「エス」ね。特に主人公の灯里ちゃんと先輩のアリシアさんの関係は、そうだと思うの。また、アリスちゃんには、特に「エス」の気が強かった。元々が少女漫画だったから、無理もないかもしれないわね。

こうやって書いていくと、わたくしは「エス分」の入った作品に惹かれてしまう癖があるみたい。それでは、ごきげんよう。

注)「てよだわ言葉」を使っていますが、全くのシャレです。その「気」はありませんので、念のため。

Untitled

I am being absent from my job without particular reason.

Lonliness, sadness, or something intolerable often strikes me.

Before that, I always have something like a symptom.

It is that my condition of the last day is too good.

I can feel it somehow, but I cannot control well.

I am very sorry.

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