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2010年1月

2010年1月31日 (日)

フレッシュプリキュア!最終回  補遺

「フレッシュプリキュア!」の最終回について、視聴者はやはり相当な興味を持っているらしく、こんなへなちょこブログにも検索エンジン経由でやってきて下さる方がかなりいた。そういう方々には、かなり不正確な情報で、本当にごめんなさい。

例のせつなのセリフのないセリフ、先ほどS君と電話で話をした時は、S君は「ありがとう、だと思った」とのこと。「さよなら」では、スパッと未練がないようで、非常に冷たい感じがするというのだ。

それで、録画してあったのをはじめから見返してみた。今度は、私には「頑張るわ」に見えた。これは、せつなの口癖でもあるし、これから「ラビリンス」に帰って新たな社会を作っていこうとする気概としては、それもありかな、と。

ただ、リアルタイムで見ている時と、もう結末が分かって見ている時では、「緊張感」が違うからか、同じシーンでも全く見え方が違うわけで、そういう意味でもこの演出は秀逸だと思う。

ところで来週からは「ハートキャッチプリキュア!」である。本当に絵柄が「どれみ」に似ている。今までのプリキュアシリーズのヒロインたちが、6~8等身くらいであったのに対して、急に4~5等身程度に等身が下がってしまう。はてさて、「プリキュア5」で「ふたり」の呪縛を解放した時と同じくらいのインパクトを与えるような作画設定、吉と出るか凶と出るか。

フレッシュプリキュア!最終回

記憶の薄れないうちに。

管理国家「ラビリンス」の総統「メビウス」の正体は、その国民たちが自分たちの秩序を守るために作り上げた巨大なスーパーコンピュータであった訳だが、これは10年前におよそNHK教育のアニメとは思えない「官能的な」変身シーンで話題になった(その結果、再放送されることのない)「コレクター・ユイ」をほうふつとさせた。

それでも子ども向けのアニメとしては、ずいぶん難しく深いテーマを選び、それを分かりやすい表現で演出したのは、上出来だと思う。メビウスの最期、プリキュアの管理ができなくなったことをきっかけに、国民まで管理できなくなった時に発した問いに対して、タルトが発した「わいはただドーナツをあげただけや」との答えは、非常に秀逸だと思う。

残念なのは、最終決戦に4週も費やす必要があったのか、ということ。家族を一つのテーマにしていただけに、この最終回だけはそれを大事にしてほしかった。タルト、アズキーナ、シフォンはスイーツ王国へ、せつなはラビリンスに戻ることになったが、タルトやシフォンはおよそ1年、せつなに至っては自分の正体を詮索されることもなく桃園家に受け入れられていたのである。「記念写真」一枚だけではあまりにも寂しい。

以前、せつなはこのまま「クローバータウン」に残るのか、ということをS君と話していたが、結局そうはならなかった。やはりせつなは、「ラビリンス」という世界の人間だ。こちらの世界では「管理されていない」人間だということであり、居続けることは難しいのである。このことは、メビウスの「裏返し」とも言えると思ったのは、うがった見方だろうか。

ただ、ウェスター、サウラーとともに、ラビリンスに戻るせつなが、最後に街を見下ろす丘に立って、「さよなら」とつぶやいていたが、唇の動きだけでセリフを入れなかったのは、心憎い演出だと思った。

で、こういう感傷をやすやすと打ち砕いてくれたのが、「バンダイ」のCMである。最終回だとは言え、まだ「ハートキャッチプリキュア!」ではない。こういうねじ曲がった商魂はどうにかならないものか。

「思い」

告げたきを告げられぬままのこの思ひ 思春期を何度繰り返すのか

咳をしても一人なるべきこの部屋で 思ひ煩ふは君のことなり

もどかしき思い抱えて過ごす夜 膝を抱えて君の名を呼ぶ

2010年1月30日 (土)

とうの昔、ではないはずだけれど

週に一度は嫌でも買い物に行かねばならない。それほど遅くなるわけではないが、帰宅する時間が毎日分からない状態では、基本的に自炊を心がけている身としては、途中で買い物をする余裕はほとんどないので、どうしても一週間分は買いだめをしておかねばならない。

そして、「マーフィーの法則」ではないが、米のようなかさばるものが切れた時に限り、他の調味料なども切れてしまう。結果、非常に大荷物となってしまうのだ。

先ほど、「基本的に自炊を心がけている」と書いてしまったが、別に料理のレパートリーが増えているわけでもない。それどころか、だんだん「自炊」という言葉も怪しくなり始めている。

今日も先ほど買い物に行ってきたばかりであるが、食料品売り場で、どうしても目が離せなくなってしまったものがあった。それは「ぶり」の切り身。

私はもともとそれほど魚介が好きな方ではないし、煮魚が苦手で、今まで作ったことがない。それで、たまに食べる魚と言えば、サバの切り身を焼いたり、干物をあぶったり、かば焼きになっているウナギを温めなおす程度である。しかし、引っ越して自炊を始めた1年前の頃は、よくぶりの切り身を買ってきては、下手なりに「照り焼き」をしていたものだった。

今は「旬」とかはほとんど関係なく、いろいろな食材を手に入れることができるが、ぶりは冬が旬。それで冬が過ぎてしまった頃には作ることをしなくなり、季節が一回りした時にはすっかり忘れてしまっていた。

そう言えば、何かのTV番組で、魚や肉の照り焼きをするときは、あらかじめ調味料につけて冷凍しておけば、調理するために解凍した時には、よく味が染みておいしい、とか聞いて、それをずいぶん試したっけ。チューブ入りの生姜を買うようになったのも、冷奴の薬味としてではなくて、はじめはその魚の臭みを抜くために買ってきたんだっけ。それだけでなく、惣菜の素を買ってきては、休日に調理し、冷凍保存していたっけ。

こうしたことをもうずいぶんしなくなってしまった。確かに休日はただでさえ、掃除や買い物があるので、他のことはしたくなくなる。「手を抜く」というよりは「さぼり癖」がついてしまった。

そういう反省も込めて、そのぶりの切り身を買ってきた。そしてタッパーに目分量の砂糖と料理酒、チューブ入り生姜、醤油を入れて、ぶりをその中に浸して冷凍庫に入れた。次の週末頃には、久しぶりの「ぶり照り」を試してみたいと思う。

2010年1月24日 (日)

二つの美術番組

大体毎週末欠かさず見ている番組が二つある。どちらも美術番組で、一つはNHKの「日曜美術館」、もう一つはTV東京の「美の巨人たち」。週末のゆったりした気分でこれらの番組を見るのが好きだ。

「日曜美術館」はさすがにNHK、ボリュームが大きい。ただ最近、演出の問題だと思うが、少し冗漫で、番組の途中で飽きることが多くなってしまい、残念である。

「美の巨人たち」の方は、途中で「小芝居」が入る。見始めた頃は、これがずいぶん邪魔だったが、最近は小林薫の味のあるナレーションとも相まって、それが結構洒落の利いた、洗練されたものになってきた。

大きな美術館で企画展が開かれるようなことがあると、両方の番組でおなじ芸術家を取り上げることがある。切り口が異なっていたりするのが面白い。一方で、互いに意識して番組作りをしているような感覚を受けることがある。

このような番組はたぶん、視聴率はそれほど稼ぐことはできないだろう。「美の巨人たち」は私が見始めてからでも、3回はスポンサーが変わった。しかし、こうした番組はTVでなければできないもの。

なぜなら、実物を見るのがいちばん良いに決まっているが、著名な芸術家の作品は、世界中を駆けずり回らなければ鑑賞することができないし、作品が一堂に会することはほとんどないからだ。このような番組のおかげで、家に居ながらにして堪能することができる。興味が湧けば、実際に見に行くきっかけにもなる。私にもそのような経験がある。

こういう豊かな時間を満喫できる番組が、末永く続いてほしいと願っている。

「声」

美しき言葉 ブログに書かれをり  君の声もて 聞きたしとぞ思ふ

2010年1月21日 (木)

やっぱり居るのにふさわしいところではないなあ・・・

外は風が唸っている。台風のようだ。火が怖いので、火事も何もないことを祈る。

今年分の年賀状も書かずじまいだった。一昨年(あ、そういうことになるのか)は引っ越しのごたごたで、それどころではなかったが、その時全部過去のものを捨ててしまったようで、友人・知人・恩師の住所も何も分からなくなってしまった。失礼だとは思いながらも、調べる手立てがないのでそのままとなってしまっている。

寮に幾枚か届いたようで、こちらに転送されてきた。会社関係はまあ良い(本当は出すべきでないことになっているが、ずっと出してきた)。問題は友人のもの。

昨年は友人からの何年ぶりかのメールにこんな記事を書いて喜んでいたが、毎日の生活に少しは落ち着くようになってから、彼らからの年賀状を前にすると、どうしても自分が居るのにはふさわしいところではないなと、負い目を感じてしまう。

今のS君をはじめとするアニメ友人関係が悪いというわけではない。むしろ気が置けない仲間で、いちばん落ち着く場所であり、自分が自分でいられる唯一の場所だ。

しかし、学生時代の友人たちの中では、今の自分はかなり「浮いた」存在で、存在自体が消え入りそうなのだ。最後に彼らに会った時、私は既に調子を崩していたが、彼らの一人から突き付けられた「議長は何がしたいの?」という質問に、私はまだ答えることができず、それが心の「とげ」となって突き刺さったままなのも、原因なのかもしれない。

いろいろな場面で一歩を踏み出す勇気があれば。

吾はただ消え入るばかり 家庭、地位築きたる学友(とも)の賀状を前に (国営放送に投稿)

2010年1月20日 (水)

ちょっと酔っちゃった。。。

これまで週に6日はお酒を飲んでいた。しかし自慢ではないが、今年に入ってから、独りで飲んだのは、休み明けすぐに2回とこの間東京に行った時の3回だけ。しかも、他の人と飲んだのを入れても、10回にも満たない。

今日はちょっと早く帰ってきたし、お鍋(といってもごった煮)を夕食にしたので、350ml缶を1缶空けた。気分も幾分良かったので、冷蔵庫に残っていたつまみで、もう1缶空けたのだが、顔がほてって、ちょっとふらっとする感じがする。そんな状態で今、これを書いている。

本当はこれが健康な状態なのだろう。今までどれだけ不摂生をしてきたことか。明日は誘われない限り飲まないぞ!

2010年1月19日 (火)

1周年!

早いもので今日で退寮して丸1年になる。あっという間であったが、なんかずいぶん昔のような気がする。

昨日、今更ながら、段ボールに入ったままのDVDを、それも3か月前に通販で買ったサイドボードに移した。まだ、こまごました物はそのままになっているが、あらかた入れてみて、その量の多さに絶句。大河的なアニメもいくつかあって、見ていないものもかなりある。頑張って消化しなければ。

記念すべき今日は、先日購入したデジタルチューナーを接続して頂いた。これで、いろいろとフル活用できる。ありがとうございました。

2010年1月17日 (日)

ちひろと雪

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今日は上石神井にある「ちひろ美術館・東京」へ行った。1年半ぶりくらいではないだろうか。私は美術館の「友の会」の会員であるが、昨年は全く行くことができなかった。上野からは、山手線の真反対方向の高田馬場へ行くのに20分、そこから最寄り駅の西武新宿線上井草まで20分くらいで、そうこうしている間に1時間はゆうにかかってしまう。かなり「気合いを入れて」行かないとダメなので、最近は足が遠のいていた。

「ちひろ 冬の詩」がテーマだった。ちひろには「ゆきのひのたんじょうび」という絵本の代表作があるが、そこからの出展を軸に、冬の情景を描いた作品が並んでいた。

今回の展示を見て、私は、ちひろの色彩は冬の情景にこそ相応しいと感じた。淡い色彩と、雪の白がよくマッチすると思う。しかもその雪はとても「あたたかい」。

美術館の2Fには絵本を集めた図書室がある。そこには「ひとこと ふたこと みこと」と題されたノートが置いてあって、来館者が自由に感想などを書くことができる。私も何度か書いたことがある。ノートはある冊数に達すると表紙を付けてバインドされる。過去のものも自由に閲覧できる。

私は美術館を訪れるといつも、初めて訪れたときの書き込みを探すことにしている。その書き込みに触れることで、ここを初めて訪れた時の感動と、その時の自分に出会うことができるからだ。その初来館日は2003年の8月3日(日)。入り組んだ路地を案内板に従って進むのが、迷路をたどるようで楽しかったことを、はっきりと思い出すことができるのだ。

ちひろ美術館にて「ゆきのひのたんじょうび」を鑑賞して詠める、

嬉々として被れる赤き毛糸帽 ちひろの雪は あたたかく降る

なにがなにやら

この土日に東京へ行ってきた。一つの目的は、S君と会うため。しかし昨日の朝、電話があって、急に体調を崩してしまったとのこと。もう快復しただろうか。まだ仕事にも完全に慣れていない由、無理がたたったのかもしれない。寒さはこれからが本番、十分に体に気をつけて欲しい。

その目的はキャンセルとなってしまったが、別の目的もあったので、予定通り出掛けることとした。それは、テレビ用の屋内ブースターと、地デジ用デジタルチューナーの購入のため。

今までそんなことはなかったのに、最近になって急に、TV画面に地デジ特有の受信状態不良を示す「モザイク」が入るようになってしまった。集合住宅なので屋外に設置するわけにはいかない。そこで、屋内用のブースターを購入することにした。

デジタルチューナーの方は、先輩から譲り受けた2台のHDDレコーダーのうちの1台が地デジ対応でないからである。今はDVD再生に使用したりしているが、せっかくきれいな状態なのに来年から使えなくなってしまうのは非常にもったいない。そこで、チューナーを接続して「地デジ対応」とするのである。

そこで秋葉原の、あのお店へ。まず店が広すぎて、お目当てのものがどこにあるのか分からない。AV関係のフロアであることは間違いがないように思われるものの、なかなかコーナーが見つからなかった。果たしてチューナーもブースターも、ほんのわずかなスペースにあった。考えてみれば、地デジ対応のためにはチューナーを買うより、TVを買い替えてしまう人の方が多いし、ブースターだって、その時に電気屋さんに取り付けてもらう方が多い。あまり単品で買う人は少ないので、コーナーも小さいのだろう。

それでも、お目当てのチューナーは見つかった。次はブースターである。先週にその先輩とこちらの家電量販店へ行ったりして予習したはずだが、同じメーカーのものがなくて、焦った。簡単な配線図も書いてもらったが、その通りに配線できる機種もない。

さんざん逡巡した末、店員に聞いたが、やはりこちらの要領を得ていないこともあって、まどろっこしくて困った。あげくは、秋葉原から先輩へ電話する始末。ご迷惑をおかけしました。

購入したものの、配線できるとは思いにくい。お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

2010年1月15日 (金)

一年ぶり

今日の夕飯のおかずを何にしようかと考えていたら、急に「茶碗蒸し」の4文字が浮かんだ。買い物を済ませ、支度を始めてから、「あっ」と気がついた。

ちょうど一年前に、トライしたことを思い出したのだった。結果はこちらにある通り、大失敗だったが。

そして今回。卵液を茶碗に入れて(茶碗蒸し用の茶碗は昨年実家からもらった)、火にかけたら、また「あっ」。

卵液にしょうゆを入れるのを忘れていた。仕方がないので、直接茶碗の中へ。

数分後、一年前とは違い、とりあえず蒸しあがった。食べてみたが、案の定、しょっぱい。しょうゆを入れ過ぎたのだ。

それでも、我が家流の茶碗蒸しの出来上がり。この1年間、さぼりながらも自炊してきた成果は確実に上がっている。

・・・・ただし、レパートリーは全く増えていないけど。

2010年1月13日 (水)

Pretty Cure

なんのことはない、小さなお友達のヒロイン「プリキュア」のことである。かなり年季を食った「大きなお友達」である私も見ている。

このシリーズも今の「フレッシュプリキュア!」で6作品目。ただ私は、どのシリーズも途中を見なかったりして、後で後悔することをずっと続けている。見続けられなくなる理由はいろいろあるのだが、今回の場合はエンディングの3Dがどうしても受け入れられなくて、録画はしていたものの、中盤まではほとんど見ていなかった。

連続して視聴するようになったのは、「キュアパッション」(いちばんクールでかっこいいと思う(爆))誕生前後から。そして、もう3回ほどを残して物語は佳境を迎えている。

今作品は、キャラクターデザインが、「セーラームーン」シリーズの作画監督だった方ということもあって、どうしてもそれと比較してしまう。制作側もおそらく、セラムンを見ていた「大きなお友達」をかなり意識していたように思う。

しかし、「セラムン」と決定的に違うのは、どのシリーズも、「家族」が一つのキーワードになっていることである。今作品では昨年12/20の第45話に顕著だった。

敵との最終決戦に臨む前に、ヒロインたちは「お母さんたちに内緒で行きたくない」と、自分たちがプリキュアであることを家族に明かすのである。セラムン以来、変身しても顔は変わらないヒロインばかりなのに、どうして周囲は分からないのだろう、という「素朴な」疑問が付きまとっていたが、それを自分から打ち明けることで、初めて打ち破ったのである。

しかし、セラムンの場合は、無印の初期の頃を除いて、ヒロインであるうさぎの家族は全く出てこなくなったし、他の仲間については、家族は「ない」に等しかった。あれだけ「世界が滅亡する」ような怪奇現象が起こって、自分の娘が半ば行方不明になっても、誰も心配しないような、非常に薄情な家族観と言っても良いような気がする。

今回の「フレッシュ」は、スタッフがセラムンの関係者だったこともあり、そのあたりの「反省」を踏まえているような気がしてならない。うがった見方だろうか。

そして、すでに7作目が決まった。「ハートキャッチプリキュア!」だそうである。再び「ふたり」に戻って、「不思議生物」も復活。そしてキャラデザインが、「どれみ」か「ふたご姫」に近い。実際、「どれみ」のスタッフが構成を担当するそうである。

どちらの作品も「大きなお友達」には復活の希望が高いし、CVのひとりも、紅白に出演するほどの人気を獲得している水樹奈々が担当するだけに、十分にそれを意識しているように思われる。ただ、「オールスターズ」としてこの春に16人の歴代プリキュアが全部出てくる映画が公開されるそうだが、このキャラだけ等身が違うので、奇妙な感じを受ける。

それにしても、「バン○イ」の商魂には、毎回辟易している。今度は作品にどのように介入し、どんなおもちゃが出てきて、画面に大写しされるのだろうか。こういう商売は、「自転車操業」のようなもので、危ういと思うのだが。

2010年1月12日 (火)

再び詠める

一昨昨日のかるた大会にまだ刺激されていて、昨日再び詠める、

分かれ札 勝負のヤマの 決まり字を 待つより先に 今薙ぎ払う

「立ち分かれ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かへり来む」(中納言行平)のパロディ。何を考えたか、昨日、某国営放送の短歌番組に投稿してしまった。

これから、へぼ短歌でも、月1回は詠めるようにしていきたいと思う。

2010年1月10日 (日)

子音を聞き分ける鋭さ

昨日、BSをなんとなく見ていたら、「競技かるた」の名人戦、クイーン戦をやっていて、途中からだったものの、結果的に引き込まれて放送終了まで見ていた。試合結果は名人位、クイーン位ともに「防衛」で、しかも名人は12連覇、クイーンは6連覇という偉業となった。

どちらも挑戦者は非常に善戦した。特に名人戦は全5戦中3勝で名人位獲得となるのだが(クイーンは3戦中2勝)、挑戦者は2戦先取で名人を瀬戸際まで追いつめたものの、名人が驚異的な粘りでそれをひっくり返してしまった。

「競技かるた」は「畳の上の格闘技」と言っても良いほどの激しいもので、しかも、刻一刻と変わる、自陣・相手陣・読み終わった札の全ての状況を演算しなおさなければならないほど、集中力が必要。これを一日中行って決着をつける、というのは並大抵のものではない。

かるたには「決まり字」と言って、ここまで読みあげられれば、その札を取ることができるという「法則」のようなものがある。「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」で始まる歌は1首ずつしかないので最初の1音で判断できるが、「大山札」と言って、上句の上5音を聞いただけでは特定できず、6音目で判断せざるを得ないものもある。

しかし、決まり字は刻一刻と変わる。大山札だからと言って、常に6音聞かなければ取れないものではないのである。それが演算力と集中力を試される大きな理由である。

例えば、「は」で始まる札は、「はるすぎて」「はるのよの」「はなのいろは」「はなさそふ」の4首ある(出典ウィキペディア等)。競技途中で、「はるのよの」「はなさそふ」が読まれた状態だったとすれば、残りは「はるすぎて」か「はなのいろは」になるが、この時点で決まり字は「はる」か「はな」になり、「はる」と読まれただけで「はるすぎて」を取ることができるのである。

ただ、名人やクイーンを狙える実力の持ち主は、「決まり字」ならぬ、「決まり子音(母音)」と言っても良いくらいの聴覚を持っているらしい。

例えば先の例で、「はな」で始まる歌は2首あったが、次の1音は「No」と「Sa」。この「N」と「S」を聞き分けることで、コンマ3秒と言われる攻防の中で、ずっと優位に立てるのだという。これは解説を行っていた元クイーン位の方がおっしゃっていたことだが、それを当然のように、こともなげに言ってしまうことに驚愕した。

そこで、よいしょ詠める、

敵陣を 一陣の風で 薙(な)ぎ払う 鋭き刃(やいば)の 指の切先

お粗末。

・・・「あひみての のちのおもひに」かあ。。。

2010年1月 7日 (木)

ああもうややこしい!

あまりにも携帯に迷惑メールが届くので、出来うる限りの設定をするのだが、ドメインが .comのものを全部弾いてしまう。

そうすると、私のプロバイダメールのドメインである @nifty.comまで弾いてしまって、携帯からの投稿ができなくなってしまう。プロバイダからの確認メールで認証するのだが、それが全て届かないことになってしまうからだ。

そうならないためには、まず携帯の電話帳に考えられうるアドレスを全部登録して、携帯会社のサーバへバックアップしなければならないらしい。それを理解するまで2時間もかかった。

フィルタが貧弱過ぎるぞ、SoftBank! 今時、.jpのついたアドレスなんて少ないのに。

さて、この記事は投稿に成功するのでしょうか?

【追記】何とかできましたね。でも、アドレスがごまんとある中で、こんな方法しかできないのは情けない。。。

2010年1月 2日 (土)

明けました。

明けました。
明けましておめでとうございます。

大晦日の夜、例年通り紅白を何となく見てから、これまた例年通り実家の地域の氏神様(本当に小さな神社)に初詣で。

その頃には既にうっすらと雪が積もっていて、空には煌々と輝く月。キーンと冷たく張り詰めた空気と、月に照らされた雪明かり。非常に神秘的な2010年の年の初め。

「今年の目標」というものを大上段に振りかざすのは、私のスタイルではないが、年齢相応に物事に「振り回されない」人間に早くならねば。


本年もよろしくお願い申しあげます。

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