« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

やっぱり

今日で8月が終わる。休職の当初の予定は今日までではあるが、復帰に当たってのいろいろがあって、実際に復帰できるのはまだ分からない。だが、明後日にはアパートに戻る予定である。

復帰が目前に迫ってきて、やっぱり少し怖い。

麗しき乙女の友情

神楽坂淳著『大正野球娘。4』(本年6月トクマノベルズEdge)を読みました。早いものでアニメ化から一年経ったのね。

この巻は6月に発行されていたみたい。知らなかったけど、先日図書館で偶然に発見して、その場で読破し、帰りに駅にある書店で買って再読しました。今回も全体に粗削りな印象を受けたわ。

今回は、月映姉妹に降り懸かった大問題を解決しようと、桜花会のメンバーが一致団結するというお話でした。その大問題を解決するために、きたるべき大阪の「アーミナ女学院」との野球の試合に勝たなければならない、という論理は、非常に無理があるとは思うけど、それに向かって練習を始めるという粗筋です。

桜花会の皆さんの仲は悪くはなかったものの、この騒動の中で、これまで付き合いが苦手だった同士が、友情を深めていく過程が印象的でした。

神楽坂さんはカバーで、「遅筆でごめんなさい」とおっしゃっているけど、この巻が出るのが遅れたのは、昨年アニメ化されたことで、原作とアニメのギャップを縮めようとする作業が大変だったからだと思うの。その証拠にその苦心の跡がところどころ見られました。

具体的には、小梅さんがぐっと「庶民的」になったこと(「お父様」が「お父さん」になりました)、巴さんが少々「お馬鹿」になろうと努力すること(原作とアニメでいちばん性格が異なっていましたから)、雪さんが「黒く」なったこと(アニメでは本心がなかなか見えない人でした)などが挙げられるわ。それ以外にも、アニメを見ていた人なら「くすっ」と笑ってしまうような台詞やシチュエーションがところどころ見られるのが楽しかったです。

それから、その庶民的になった小梅さんがますます可愛くなって、ますますみんなの「エス」の対象となっていくのが、読んでいてとてもくすぐったい気分になってよ。お嬢、巴さん、乃枝さん、大阪の桜さんに加えて、胡蝶さんもそうなったみたい。

あとは、このシリーズの特徴でもある料理の描写が、今回もこだわりがあって、とってもおいしそうでした。大正時代には本当にそんな料理があったのかしら。

これで既刊は4巻になったけど、「野球娘」というタイトルのわりに、野球を全体の半分しかしてないのが少しもどかしいわね。神楽坂さんはカバーで「次でラストになるかも」とおっしゃっているけど、多分次の巻で、アーミナ女学院と試合をして、月映姉妹の問題(あと胡蝶さんの問題)が解決するんだと思います。楽しみだし、アニメの方もOVAでもいいから続編がでないかなあ。あの愛くるしくて一生懸命な小梅さんにまた会いたいです。

2010年8月29日 (日)

なるほど

とある人が、今回の24時間テレビについて、「募金はA〇B48との握手代だよね」と言った。なるほど。

2010年8月27日 (金)

びっくりするんだな

びっくりするんだな
この美術館へ「山下清」展を見に行った。この美術館のある街は、実は私が生まれたところで、「三州瓦」が有名であり、「かわら美術館」という名前になっている。

山下の展覧会は私にとって二度目。ただ今回は結構大規模な展覧会だった。

山下と言えば、どうしても「野に咲く花のように♪」と「裸の大将」を思い出してしまうが、あれは「水戸のご老公」のドラマと同じフォーマットで事実とは全く違う。放浪の旅先で絵を描くことはほとんどなかったそうだ。長いときは二年以上も放浪の旅に出て、戻ってきてから、記憶力だけをたよりに、あの細密な絵を一気に仕上げたというのだから、その才能には驚くほかはない。

山下の代名詞というべき貼絵はもちろんだが、ヨーロッパ旅行や晩年の東海道五十三次を題材にしたペン画は特に素晴らしかった。ペンは間違いが修正できないが、迷いのない力のある線が魅力だ。「五十三次」に取り組んでいる時の山下の言葉も、人柄が偲ばれて興味深かった。

平日の昼間だったが人出が多く、あまりゆっくりと見られなかったのが残念だ。特におばさまたちの集団はなぜあんなにうるさいのだろう。また、小学生より小さなお子さんは、ああいう場所は我慢できない。「情操教育」にはなりませんよ、若いお母さん。

2010年8月26日 (木)

人の人生って不思議

昨日病院に行った時、待合室に置いてある地元紙の一面に、私の同級生(友達だった)の名前と顔写真を見た。

別に事件ではない。見出しは「〇〇(同級生の名前)議員、県議選へ」だった。現在市議会議員である彼が、来年の県議会議員選挙に、定員増に伴って、所属する政党の公認で県議に立候補予定とのこと。

彼は大学卒業後、こちらの大会社のグループ会社に就職し、労働組合の役員を経て、市議選に立候補して当選したらしい。

記事によれば真面目で明るく、人脈も広いとのこと。高校までの彼を知っているだけに、非常に別人を見ているような感じがした。真面目だったけどとりわけ明るかったか、というと違う気がする。

彼のことでよく覚えているのは、中学の修学旅行で千葉のネズミランドに行った時、決められたお小遣いでは決して買えない、あのネズミの大きなぬいぐるみを買ったことだ(もちろん、お小遣いの上限を守っていないクラスメートの方が多いとは思うが)。帰りの新幹線のホームで、そのぬいぐるみを抱えて私たちと一緒に写った写真が今でもアルバムにある。

先日図書館でここの市議会議事録集を読んだら、彼の質問が載っていた。一年生議員でも、ああいう場所にいくと、ああいう口調に染まってしまうのかとおかしかった。

彼とはもう25年近く会っていない。自分が議員になっているなんて、本人がいちばん信じられないのかもしれない。

2010年8月25日 (水)

優しい鎌倉の物語

吉田秋生の漫画『海街diary』既刊3巻を読んだ。

この漫画のことは全く知らなかったが、書店で鎌倉の風景を描いた表紙を見た時、すぐにレジへ持って行ってしまった。

物語は、鎌倉に住む三姉妹が、腹違いの妹を引き取って一緒に暮らし始めるところから始まる。そして、この四姉妹はそれぞれ強い個性を持っている。看護師で一家の大黒柱的存在の長女「幸」、酒癖と男運が悪い次女「佳乃」、つかみどころのない性格の三女「千佳」、そして腹違いでサッカー少女の四女「すず」。主に幸と佳乃の恋愛模様とを縦糸に、すずの思春期を横糸にして、さらにそれぞれの周囲の人たちとの関係を丁寧に編み込んで物語が紡がれている。

読んでいて非常に優しい気持ちになる物語だ。またところどころ散りばめられたギャグが秀逸で大笑いするようなシーンもある。しかし、それ以上に特徴的なのが、「命の大切さ」を随所で訴えていることだ。

例えば、すずの所属するサッカーチームのエースが病気で脚を切断することになったエピソードでは、特に「自殺」についての強い戒めとも受け取れるシーンがある。

こうした背景には、すずを除く三姉妹は父母がともに家を出て行ってしまい、引き取った祖母も既に他界していることや、その出て行った父の娘すずは、両親ともに他界したことがある。また、幸が看護師だという設定も、自然とそうさせているのだろう。

第3巻までで佳乃と幸のひとつの恋愛が終わったので、今後はこれまで張り巡らしてきた伏線の行方が楽しみだ。

風太はすずと両思いになれるか。
佳乃は同じ「鎌倉七酔人」である「えびすさん」が尊敬していない上司の主任のことだといつ気付くのか。
幸はすずのサッカーチームの監督と付き合うのか。
千佳メインの話はあるか。
そして、幸の悩みの種である「ダメナース」の「アライ」さんは登場するのか。

これらは、今までの伏線でいちばん気になるところである。

連載が二ヶ月に一回のペースのようなので、第4巻が出るまでまだしばらくかかりそうだ。興味の湧いた方は是非。オススメである。

2010年8月24日 (火)

どうしたら

こちらの病院でのカウンセリングが今日終わった。

課題としては、日常生活において、とにかく「満足」を感じるような思考の癖づけをすることが第一。それから私は就職した段階で「燃え尽き」てしまったので、新たな目的を見つけること。四十にして既に「余生」を考えることだという。

でも「目的」なんか分からない。どうしたら良いのか分からない。

また、そんなことの裏には、厳しかった母親との関係性があるらしい。女性に対して奥手であることもそこに原因があるとのこと。

でも、そういうことを話したら、母親が「育て方を間違えた」と拗ねてしまった。私だって、全てが母親のせいだと思っていないし、思いたくもない。

母親との関係性も難しくなるので、私は本当にどうしたら良いのだろう。

2010年8月22日 (日)

本を読むというよりは

昨日初めて市立(ややこしいが実家の方の街)図書館へ行き、今日も行ってきた。

市立図書館など就職する前は場所すら知らなかった。それが何年か前に現在の複合ビルに移転した。

ビルの3階から6階が図書館になっていて、何回もエスカレーターを上下する。こんな落ち着かないのでは本を読みに来ているとは言い難い。

書棚を眺めていると、大きなハードカバーの間に小さな文庫があったりする。お堅い本の間にアニメ絵のライトノベルがあったりする。普通の本屋とは異なる並べ方に、一種独特な「リズム」があって楽しい。

私は本の「背表紙」を眺めるのが好きなのだ。

2010年8月20日 (金)

復帰に向けて

昨日産業医と面接した。産業医はリハビリのために、こちらの病院で、「社会復帰」のための Social Skill Training を受けてみたら、と勧めるが、休職期間が4カ月は伸びること経済的な理由から返事はできなかった。

それで一応復帰に向けて準備を進めることとなったが、今の主治医に診断書を書いてもらって提出し、それから会社と話し合いの上で、実際の復帰の時期が決まるそうだ。9月の頭は時間的に厳しいので、どんなに早くても9月の中頃となりそうだ。

それにしても毎日の運動量が極端に少ないので、このままでは復帰してもへばってしまう、と言われた。積極的に外出し、一日の行動を記録するように言われた。実家に電話したところ、母親からはいつもだらっとしているから当たり前だと言われた。しかし「外出」といっても、実家の方は本当に周囲に何もないのだ。図書館すら近所にない。何をするにも遠出になって不便で、さてどうしたら良いのかと思案に暮れている。

2010年8月19日 (木)

2か月ぶりの我が家

朝7時の新幹線に乗って、12時少し前に到着した。2か月ぶりの我が家である。

先輩に無理なお願いをして、定期的に部屋を開けて空気を入れ替えて頂いているので(本当にありがとうございます)、部屋の内部が痛んでいるようなことはないが、少しかび臭いのはどうしようもない。さっそく掃除機をかけ、布団を風に当て、今はドアも窓も全開状態である。

今は、16時からの産業医との面接までの時間を、こうして過ごしている。2ヵ月ぶりにパソコンを立ち上げたので、パッチ当てやらウィルスパターンの更新(しなければ危ないことを仕事柄知っているのでやらずにはおれない)やらをしていたら、小一時間かかってしまった。でも、パソコンは本当に快適だ。

携帯でしこしこ書いていたブログをまとめて読んだ。ほとんど変わり映えのしない毎日でも、よく書いてきたものだ。寂しい雰囲気がいつも漂っている。それでもコメントがあったりして、なんとかやってきた。ここを借りて感謝申し上げる。

けじめなさい

家にあった古い文庫本、遠藤周作著『父親』(1979-1980東京新聞連載/1989講談社文庫)を読んだ。

全体の印象や世界観は先日読んだ『ただいま浪人』にかなり近い。登場人物たちがひょんなきっかけやタイミングで関わり合う「セカイ系」な雰囲気もよく似ている。

この物語は、化粧品会社の重役である「石井菊次」と、その娘の「純子」の間に起こる出来事をメインに進んでいく。

菊次は「戦中派」を自認するが故に、何事にも「けじめ」を大事にし、それを他人にも要求する人間だ。しかし、そんな「頑固」な菊次の決定的な弱点は純子だ。この男、ものすごい「親バカ」なのである。

純子が妻子ある(別居中)青年実業家「宗」と恋愛していると知った時は、もちろん激怒するのだが、一方で家を飛び出してまでその恋愛を貫こうとした時、結局は娘が捨てられるのではないかと心配し、宗に直接掛け合ったりまでするのである。この辺りの親バカ故の矛盾は読んでいて楽しかった。

物語のテーマは戦中世代と戦後世代のジェネレーションギャップと、戦後世代を理解できない戦中派の悲哀である。戦後世代がとかく「自分の幸せ」を優先するのが、それ以前の世代には理解できない。それは、菊次がこだわる「けじめ」の考え方の違いだろう。

純子を含め我々の世代の「けじめ」の考え方は、自分の行動が自分の信念と責任に基づいたものである限り許される、というものだ。そこに「他者」の入り込む余地はほとんどない。

しかし、菊次にとっての「けじめ」は、自分の行動によって他者が不幸せにならないように、他者を気遣うことだ。だから、純子の行動が宗の妻子を傷つけることが分かっていながら、純子が傷つかないように宗に「不倫」の真意を問うという、一見矛盾する行動が取れる。

菊次は、自分が一生懸命に仕えてきた会社を、社長以下役員会内の派閥抗争と、部下の「裏切り」に疲れて辞す。会社内まで「けじめ」がなくなったことに嫌気がさしたのである。ここまでは「戦中派の敗北」だ。

しかし、純子の恋愛は結局成就しなかった。宗が妻子と縒りを戻したからである。結果的に宗は、純子との恋愛に「けじめ」がつけられなかっただけでなく、今後の妻子との関係にも消せない「しこり」を残すといった、「情けない男」となってしまった。

一方で純子は、恋愛には「けじめ」をつけさせられた格好になるが、その純子が次に向かう元気を取り戻していくことで、心配をかけた菊次に対して「けじめ」をつけたのである。

この辺り、狐狸庵先生は、相当菊次に肩入れし、一緒に純子を取り戻すことに躍起になっていると思われ、可笑しかった。もし、現在の小説だったら、純子は宗との不倫を成就させ、菊次ら戦中派の敗北のまま終わっていたことだろう。

他者のために自分はどうすべきか、そういう「優しさ」をもう一度よく考えて、実践できる余裕のある生活を心がけて行きたいものである。

2010年8月18日 (水)

復帰準備

復帰予定まであと半月を切った。明日、産業医と相談のために戻る予定。復帰はしなければならないが、いろいろ考えると、少し胃が痛む気がする。

2010年8月15日 (日)

今日の雑詠

何故にこんなに切ないけど優しい。

「Chiquitita(チキチータ)」と「You've got a friend(君の友達)」で癒される 親指(メール)で社会と繋がっている日々


私も「遺族」です。

終戦忌今の平和の礎に 名もなき兵士の祖父を思ひき

2010年8月13日 (金)

行ってきた

京都を14時頃に出て、現在とことこ上っている。大垣からは新快速に乗れそうだが、今までずっと各駅停車。いくつの駅に止まっただろうか。

のんびり

今、東海道線をとことこ京都まで下っている。

少々退屈ではあるが、贅沢な時間だ。まことにのんびり。

なんて言ってたら、岐阜駅で乗り継ぎのホームを間違えて慌てた。ちょっと息切れ。

2010年8月 7日 (土)

[よいしょの気が向いた時だけ日記] TTSS3IZさん から '生きることと、生活すること' にコメントが投稿されました(6)

ちょっと長くなりましたし、話題としてもちょうどいいので、メインに格上げします。

熱心な太宰論ありがとうございます。学生時代、私の友人には太宰を読む人がいなかったので、このように議論できなかったのが残念です。もしその頃だったら、記憶も鮮明で、もっと正面から持論を展開できたかも知れません。

私も「重ね合わせる派」でした。ただ、あまり熱心なファンではなかったのか、「晩年」のような初期作品は、はっきり言って、何を言っているのか分からず、後期作品はどこかしっくりとしませんでした。その中で中期作品は、素直に楽しめたのです。

初期、中期、後期、どれが本当の太宰なのかはよく分かりません。初期は明らかに薬の影響があるのですが、だからこそ仮面を脱いだ「素」だとも言えます。後期は彼の苦悩の総決算ではあるのですが、「ポーズ」が過ぎるように思えます。中期は落ち着いて文学に取り組んでいますが、彼特有の「お道化」と言えなくもありません。

このように多彩な顔を見せてくれる太宰は、本当に「エンターテイナー」だったと思います。

恥ずかしながら、私も中学生まではできる子でした。高校の頃からだんだん「自分くらいのやつはごまんといる」ことを思い知らされ、どんどん自信を失っていき、同時に社会を斜めに見るようになっていったようです。

読書についてですが、小学生の低学年の頃は、担任の先生が読書の数を競わせ、ひとこと感想文も読む度に書かせる指導をしていました。その頃は楽しかったように思います。

ただよく覚えているのですが、ある時を境に感想文が全く書けなくなりました。小学四年の時です。

その頃から何を読んでも心に響いてこなくなりました。しかも、目に見えて読書量が減ったように思います。先生の指示だったので読んでいただけで、実のところ読書があまり好きではなかったのかも知れません。

それでも、このようにブログを書いたりできるのは、その頃の「訓練」の賜物ではあるとは思っています。しかし、読書量が圧倒的に少なかったことが災いして、「感性」が磨かれなかったことが悔やまれます。

弱いのです。

暦の上での秋とともに、夏の高校野球が始まった。私は熱心な高校野球ファンではないが、私の心の琴線に毎回触れて困ってしまうものがある。

それは、大会歌の
  「栄冠は君に輝く」。

開会式などでこの曲が流れて、それにあわせて鼻歌を歌う度に、こみあげてきてしまうのである。それくらいこの曲に弱く、自分にとっての「夏の風物詩」になっている。

私に野球の経験はない。何故なのかは全く不明である。


そういえば、あまりフルで聞いたことがないが、春のセンバツの大会歌である「今ありて」にも、弱かったりする。

2010年8月 6日 (金)

生きることと、生活すること

家にあった古い文庫本、遠藤周作の『ただいま浪人』(1972初出/1974講談社文庫)を読んだ。

40年前の(根っこはバブル崩壊前まで続くが)標準的なものの考え方や家族の在り方に、当時としては、一石を投じる作品だったことだろう。

前半の展開は非常にゆっくりで退屈さを感じた。しかし、主人公の信也が大学受験に失敗して家を飛び出し、またその姉真里子が俳優との恋に夢中になっていく後半からは、当時の世相、特に学生運動に戦後最大のミステリーを絡めて展開していき俄然面白くなった。700ページを超える長編だったが、文字通りの後半だけは一日で読んでしまった。

物語の内容は大きく、信也の物語と、真里子の物語、ロバートの物語に分かれ、それぞれが並行して進んでいく。一見バラバラに思えるこれらの物語群は、それらを行き来する一部の登場人物によってまとめられるところから、現在花盛りであるライトノベルの「セカイ系」を彷彿とさせる。また、それらの結び付きの軸は「因果応報」だ。

前半の展開は、私の今までを想起させた。後半に至ると、「人生の浪人」という言葉が印象に残って、少々やりきれなくなった。

私は「生きる」ことはもとより、「生活する」ことについても出来ていない。ずっと「浪人」ということに人間としての「甘さ」を覚える。

こんなことを言っているから、いつまでも変わらないし、変えられないし、どうしたらいいのか分からないのだろう。

2010年8月 3日 (火)

家の恥

親戚の叔母が突然うちに来たため、逃げるように別の部屋に移動し、この暑いのに部屋の戸も開けられず、息を潜めている。

見咎められると、いろいろとうるさいからだ。

2010年8月 2日 (月)

4人いる!

オープニングとアイキャッチでこそって出してると思ったら、新しくなったエンディングで思いっ切り出てる!フライングもいいところだ。CMのことは言うまい。

まあ、展開上、あのキャラが(多分)四人目になるのは、仕方ないにしろ、ちょっとやり過ぎじゃあないですか?あざと過ぎる。

「ブロッサム全部ぱんち!」は、単なる「フライングボディアタック」、まあ、体当たりですね。また、サンシャインの必殺技を食らって、「ほわん」となりかけたサソリーナさんはどうなったのでしょうか。

2010年8月 1日 (日)

やっぱりからっぽ

子供の頃につけていた日記を読んでも、あまりに字が汚いのと、それ以上に内容がなく、何があったのか、全く分からない。

中学時代に担任とやり取りして、いろいろな思い出が詰まっていたはずの「生活ノート」は、一度、寮に持って行った後、行方不明になってしまった。並行して書いていた日記は、思春期特有のあれで、読めたものではない。

高校三年から大学二年(途中で打ち止め)の頃は、受験勉強や大学生活のことが少しは書いてあるが、「眠い」のオンパレード。そして大学生活が落ち着いてくると、アイドルに夢中になり、今度はそればかりとなって、これも恥ずかしくて読めたものではない。

しかし共通して多い言葉が「あかん」「だめ」といった言葉。勉強が進まないことやテストの出来についてなどで用いられている。具体的に何が「あかん」で「だめ」なのかよく分からないが、昔から口癖になってしまったようだ。

対照的に喜びの表現がほとんどない。

こんなことからも、いかに自分自身の中が「からっぽ」なのかがよく分かって愕然とする。自分自身を支えてくれるものが何もないのだ。

それにしても、同じ「日記」でも、不特定多数の人目に触れるこのブログの方がいろいろと書けるのは不思議だ。

わがままなぐうたら人間

休職期間もあと一ヶ月。

一昨日上司から電話があって、規則正しく過ごしているか尋ねられたが、確かに朝晩は早く寝起きしてはいるものの、昼間は特に何をしているわけではないので、返答に困る。こんなことで復職できるのか。

親も歯痒く思っているようだ。

でも正直、復職後のことを考えて何かをするのは、あまり考えたくない。なんてやる気ない人間なのだろう。

ダウナー状態

自分の状態がなんであるかを、はっきりさせることを望んでいたのに、はっきりとしたことで逆に反動が大きくなってしまった。

そんなことに陥りかねないことが分かっているから、今まで何もはっきりさせてくれなかったのかもしれない。結局それが元で、強いと言われた感受性の、ある部分がかなり敏感になっているみたいで、最近ダウナー気味。

人に言ったことがある。その人も感受性が強すぎてしょっちゅう傷ついて。だけどそれを「感性」が強いって考えましょうって。

だけどその人は確かに職業柄強い感性を持っているし、そうでないと務まらない。それに比べて私は、感性が決定的に欠如している。感受性を感性に昇華できない。

こんなブログを書くくらいの、感性とはとても言えないものしか持ち合わせていない。

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック