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2010年8月19日 (木)

けじめなさい

家にあった古い文庫本、遠藤周作著『父親』(1979-1980東京新聞連載/1989講談社文庫)を読んだ。

全体の印象や世界観は先日読んだ『ただいま浪人』にかなり近い。登場人物たちがひょんなきっかけやタイミングで関わり合う「セカイ系」な雰囲気もよく似ている。

この物語は、化粧品会社の重役である「石井菊次」と、その娘の「純子」の間に起こる出来事をメインに進んでいく。

菊次は「戦中派」を自認するが故に、何事にも「けじめ」を大事にし、それを他人にも要求する人間だ。しかし、そんな「頑固」な菊次の決定的な弱点は純子だ。この男、ものすごい「親バカ」なのである。

純子が妻子ある(別居中)青年実業家「宗」と恋愛していると知った時は、もちろん激怒するのだが、一方で家を飛び出してまでその恋愛を貫こうとした時、結局は娘が捨てられるのではないかと心配し、宗に直接掛け合ったりまでするのである。この辺りの親バカ故の矛盾は読んでいて楽しかった。

物語のテーマは戦中世代と戦後世代のジェネレーションギャップと、戦後世代を理解できない戦中派の悲哀である。戦後世代がとかく「自分の幸せ」を優先するのが、それ以前の世代には理解できない。それは、菊次がこだわる「けじめ」の考え方の違いだろう。

純子を含め我々の世代の「けじめ」の考え方は、自分の行動が自分の信念と責任に基づいたものである限り許される、というものだ。そこに「他者」の入り込む余地はほとんどない。

しかし、菊次にとっての「けじめ」は、自分の行動によって他者が不幸せにならないように、他者を気遣うことだ。だから、純子の行動が宗の妻子を傷つけることが分かっていながら、純子が傷つかないように宗に「不倫」の真意を問うという、一見矛盾する行動が取れる。

菊次は、自分が一生懸命に仕えてきた会社を、社長以下役員会内の派閥抗争と、部下の「裏切り」に疲れて辞す。会社内まで「けじめ」がなくなったことに嫌気がさしたのである。ここまでは「戦中派の敗北」だ。

しかし、純子の恋愛は結局成就しなかった。宗が妻子と縒りを戻したからである。結果的に宗は、純子との恋愛に「けじめ」がつけられなかっただけでなく、今後の妻子との関係にも消せない「しこり」を残すといった、「情けない男」となってしまった。

一方で純子は、恋愛には「けじめ」をつけさせられた格好になるが、その純子が次に向かう元気を取り戻していくことで、心配をかけた菊次に対して「けじめ」をつけたのである。

この辺り、狐狸庵先生は、相当菊次に肩入れし、一緒に純子を取り戻すことに躍起になっていると思われ、可笑しかった。もし、現在の小説だったら、純子は宗との不倫を成就させ、菊次ら戦中派の敗北のまま終わっていたことだろう。

他者のために自分はどうすべきか、そういう「優しさ」をもう一度よく考えて、実践できる余裕のある生活を心がけて行きたいものである。

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