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2014年6月 6日 (金)

「生誕100周年記念中原淳一展」

日曜日は東京のS君を水戸に呼んで、茨城県近代美術館で開かれている「中原淳一展」を見てきた。中原が昨年生誕100周年を迎えたことを記念する回顧展である。

「中原淳一」はS君に教えてもらって知った芸術家だ。東京の弥生美術館などで作品を見たことがあるが、ここまで大規模なものは私は初めてなので、S君にご足労願って一緒に鑑賞することにしたのだ。

中原は竹久夢二に憧れていた、ということもあって、戦前は、彼の影響をかなり受けている。作品のタッチもそうだが、自分の作品を小物にして専門の店で売る、というのも夢二と同じである。

戦後は、彼が一番華やかに活躍した時代だ。まだモノが満足に得られない時代に、敢えて、今で言う「ファッション」の重要性を説いた。雑誌「それいゆ」などを発行し、世の中を先導しようとした。

しかし、いちばん油が乗った頃に病に倒れてしまう。ちょうどその頃、日本は高度成長に向かっていて、大量消費社会に変わり、価値観が変わろうとしていた時代である。あえなく刊行していた雑誌は廃刊になってしまったが、もし、彼がそのまま元気でいたら、どういう方向に向かっていただろうか。

昭和30年代半ば頃までは、被服は「作る」ことが当たり前だった。私はかろうじて「既製服」という言葉を知っている世代だが、そんな言葉があったくらい、出来合いの被服を購入することは珍しかったのだ。だから彼が発行した雑誌には、デザインや、型紙、作り方が掲載されていた。

それが昭和40年代頃になると、完全に「既製服」の時代になる。私の母も洋裁学校に通ったことがあるそうなので一通りの技術があるはずだが、私は母に仕立ててもらった服を着た記憶がない。ちょうどそういう時代の変わり目に、彼は倒れてしまったのである。

だから、そういう時代に、彼がどういう「提案」をし得たのか、ということに興味があり、非常に残念でもあるのだ。

展示の休憩コーナーで実物の「それいゆ」を見ることができた。中原のファンの方のご厚意で実現できたことである。広告が繊維会社のものであったりするのが興味を引いたが、もちろんその中身である。思った以上に中原の「作品」は少ないのだ。今でいう「芸能記事」(既に亡くなってしまった方や、今や大御所の方の若いころのインタビュー記事)や生活の上の一工夫といった記事の方が多く、「総合女性雑誌」といった方がしっくりくる。「中原淳一展」とは言っているが、彼は決して「画家」というカテゴリーにくくられる人ではなく、「生活総合プロデューサー」だったのだ。

やはりこういう展覧会は、たまに行くのが良い。そのおかげか、今週は心穏やかに過ごすことができて、非常に感謝している。

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