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2016年3月

2016年3月11日 (金)

1か月半経ちましたが

休職して早くも1か月半が経ちました。休み始めてすぐには、意気込んでいろんな「目標」を立てましたが、正直、トータル半分もできているかどうか怪しいです。

「こんなはずではなかった」という思いより「無力感」の方が強いです。

合格点を上げられるのは、散歩くらい。ただそれも朝・夕のつもりでしたが、夕方1回のみになっています。それでも、小一時間くらい、距離にして4~5km、歩数で8000歩前後歩いてはいます。・・・言い訳にしかすぎませんね。

三食もまずますでしょうか。変わったのは朝がパンになったことです。

それから、4月29日のレイフレでみやのゆきさんが刊行される「大森ゆうこアンソロジー」に参加しました。企画自体は休職前から知っていて、参加したいと思っていましたが、休職前のあの状態では書ける自信がなく、ためらっていました。そして休職が決まって、少しずつ書き始めましたが、それでもしばらくは構想もまとまらずに書き上げる自信がなく、また煮詰まってしまって、参加表明ができないでいたのですが、参加締め切りの4日前くらいに「ブレークスルー」があって書き上げるめどが立った時点で参加表明し、3日前に提出できました。ただ、ページ数過多で、みやのゆきさんにはレイアウト変更などの追加作業をして頂くことになってしまいましたが。刊行が楽しみです。本当は並行して刊行される「氷川いおなアンソロ」にも参加したかったところですが、ネタがなかったです。

掃除は、2月の第一週の土日に両親がこちらへきて、応急処置をした程度で、できるだけ散らかさないように気を付けているだけでできていません。やはり私がいちばんダメなのはここです。

部屋の掃除はそんな感じですが、職場がこのたび竣工した新館に引っ越すことになり、荷物をまとめるように上司から連絡があり、2月の第二週の土曜日に職場に出向き、片づけました。完全に不要なものはもちろん、旧会社から「何か参考になるかも」とか思って捨てられずに持ってきた資料も、仕事のやり方が完全に今の親会社に合わせることになって全く顧みられることがないことが分かったために、ほとんど捨てました。その日は、会社発足時に本社に異動になった先輩も残してきた資料の整理に来ており、終わった後は、もう一人出勤していた先輩と一緒に久しぶりに食事できました。

ただ悪いことにこの二週間くらい、好不調の波があり、一日寝ているような日が出始めました。毎週カウンセリングの機会を頂いていますが、自分の「内面」にまだ完全に向き合えていないようです。

やはり一人だけでは、休養はできても誰かとコミュニケーションを取ったりすることもないので、いきなり復帰するのは難しいかもしれません。それで産業医からは障害者職業センターの「職場復帰プログラム」を勧められ、昨日説明を受けに出かけました。

場所の最寄り駅は、通院している病院と同じです。まず「体験コース」が1か月、「復帰プログラム」が3か月程度なので、休職期間を延ばさなければなりません。また、通院には電車を使うため、朝早くでかけ、夜は遅くなります。また、お給料を頂けない身には、電車賃などが馬鹿になりません。正直、迷っています。

でも、規則正しい生活を身に着けるためには、通うべきでしょう。センター、主治医、職場、産業医と相談の上、コースを進めていくとのことですので、それに委ねようと思っています。

震災5周年にあたって思うつれづれ

※以下「*」という記号がいくつか出てきますが、検索回避のためです。ご了承ください。

東日本震災から今日で丸5年。

今日はたぶん変に感動を誘ったり、あの日を忘れない、頑張ろう、祈ろうとしか叫ばないような番組しかしないだろうから、TVは絶対見ない。もちろんそれは大事だし、私も発生時刻の14時46分の前にこんなことを書いているけれど、その時刻にはただ静かに黙とうするつもりだ。

震災以来、TV・新聞もほとんど見たり読んだりしなくなってしまった。別に政*家たちが言うように「偏*」しているからという理由ではないし、別に私自身はそうは思っていない。全てのマスコミが判を押したように同じ報道をすれば、それこそ戦前の「大**発表」だ。記事や番組が「人間」によって作られる以上、それに携わる人たちの「考え方」が反映されるし、それによってそれぞれの社によって「色」がつくのは至極当たり前のことだ。

ただ、震災以降、視聴率や部数を稼ぐために、センセーショナルな報道が増えた。TVは元々そういう面はあったが、「高級」と思われてきた新聞までもが「イエロージャーナリズム」化している。逆にこれまでイエロージャーナリズムと言われてきた週刊誌の方が、良い記事・スクープを出していることが多い。

報道はできるだけ「事実」だけを伝え「感情」を押し付けてはいけないと私は思う。そして、その「事実」も賛成・反対両方の立場を公平に報道しなければならない。ただ、それでは確かに「色」は出ない。もし視聴者・読者に「立場」を明らかにしてほしい場合や、「感情」に訴えるような報道が必要な場合は、「事実」の部分と完全に分離しないといけない。ここまでは事実、ここからは読者に考えてほしいこと、感動してほしいこと(あまり好きではないが)の区切りをつけてなくてはいけない。

ただ、視聴者・読者にも「リテラシー」が必要なのは当然のこと。「事実」は自分で取材しなければ分からないことが多いが、センセーショナルな報道に惑わされないよう、複数の報道を比較する、少なくとも「批判的に」受け取る姿勢が必要だと、自分も含めて反省しなければならないと思う。

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それにしても、被災地の復興が遅れ過ぎている。阪神・淡路の時と比べて明らかにペースが遅い。もちろん、被害の規模が桁違いだったり、*事故という未曽有の出来事があったから、という理由はあるが、明らかに力を入れていないと感じる。

「経*」を循環させることに力を入れ、結果的に復興に繋がらせようとすること自体は間違っていない。ただ、それでは結果が出るのがどうしても後ろ倒しになるし、今の状況を見るにもう限界が見えているのは火を見るよりも明らかだ。

「*済」に行き詰まると「地*学」に国民の目を向けさせるのは戦前と同じ。国民はここに騙されてはいけない。

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