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2017年9月 9日 (土)

この半年の出来事はおいといて結局のところこうなった。

最後に更新したのが職場復帰後1週間後の4/10らしいので、じつに5か月間もほったらかしにしていたことになる。こちらではお久しぶりです。

書けなかった理由は言うまでもなく、ギリギリの状態がずっと続いていてどうしようもなかったからだ。

Twitterのプロフィールページの固定ツイートに掲載した職業センターの卒業挨拶は、たびたび「いいね」を押して下さる方がいるのだが、早く言ってしまえば、あの心構えが全くできなかったわけである。

通っても仕事はほとんどなく、与えられたとしても机に座っていることも辛くて更衣室に逃げ込むこともしばしば。周囲もあからさまに敬遠状態。もちろん、欠勤も多いという状態で、再び休職するか辞めるか、いっそのこと死ぬかの瀬戸際に追い詰められていた。

主治医、産業医、カウンセラー、保健師、職業センターカウンセラーの総がかりで私の状況を打開しようとして下さったのだが、状況は好転せず、むしろ悪化の一途をたどっていた。

その「潮目」が変わったのが、先日の火曜日である。この日は定例の産業医との経過面談があり、次の日も上司も交えて再面談すると言われ、多くの資料を読んでおくように指示された。水面下で上司と安全管理部署と産業医の間で話はついていたらしい。

資料とは例えば次のようなもの。

http://consul.piasapo.com/manual  :発達凸凹活用マニュアル

早い話が、私は「発達障害」と考えざるを得ない、という「診断」である。こういうたぐいの資料に必ずある「チェックリスト」には頼り過ぎてはいけないが、産業医はそれを分かったうえで提示したわけであるし、私自身も当てはまると判断せざるを得ないような内容だった。

「発達障害」については、いろいろと議論があり、まだ分からないことも多いけれど、主治医もある程度所見を認めるとのことだから、産業医もそれを追認しないと前へ進めないと判断したのだと思う。

翌日、上司、安全管理関係者、保健師を交えて再面談となった。職場としての配慮などの説明を受けた。私としても、その「診断」を受け入れた。

受け入れたことでどうなったか。肩の荷が半分下りたとはこういうことかと実感した。その晩は久しぶりに熟睡した。しかし、同時に強烈な疲れが翌々日まで続いた。あまりに疲れ果てて早退せざるを得なかったほどだった。

これは今まで見てきた風景が180度変わったということの表れだと思っている。今までは周囲があくまで「ふつう」で、その「ふつう」を受け入れられない自分が「異常」で、そして私が「異常」であると感じていたことが「ふつう」だった。これからは、自分にとっての「ふつう」はもっと違った意味を持つと考えている。うまくは言えないが、今は「異常」であることもひっくるめて「ふつう」のことなんだ、そこには他人も自分もないという感じである。

ただ、同時に「発達障害」を認めることは、「最後通告」を受け入れたということも意味する。上司は、ただでさえ緊縮を迫る会社からの指示で、余裕のない職場運営を余儀なくされているのに、こういう「治らない」人間にリソースを割かなければならない。私自身は、そういう「配慮」に最大限報いなければならない。また、組織に異動はつきものだ。その時に理解のある上司に当たるとは限らない。

昨日あたりからいろいろ仕事の指示の方法が変わってきた。これに早く慣れていく努力をしていかなければならない。

私の父は75になるが、素人の私が見ても典型的な「発達障害」だと思う。私も50目前。昔はそんな概念すらなかったので仕方がないとは言え、大人になってからの「発達障害」はたちが悪い。どんどん悪化する。だから研究の進んできた今、思い当たるふしのある方は、すぐに精神科にかかることを強くお勧めする。

ところで、明日はレイフレ。いろいろとお世話になってきた方たちにお会いできそうで楽しみにしている。そして、次のレイフレには... って宣言したい。

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