カテゴリー「心と体」の82件の記事

2017年9月 9日 (土)

この半年の出来事はおいといて結局のところこうなった。

最後に更新したのが職場復帰後1週間後の4/10らしいので、じつに5か月間もほったらかしにしていたことになる。こちらではお久しぶりです。

書けなかった理由は言うまでもなく、ギリギリの状態がずっと続いていてどうしようもなかったからだ。

Twitterのプロフィールページの固定ツイートに掲載した職業センターの卒業挨拶は、たびたび「いいね」を押して下さる方がいるのだが、早く言ってしまえば、あの心構えが全くできなかったわけである。

通っても仕事はほとんどなく、与えられたとしても机に座っていることも辛くて更衣室に逃げ込むこともしばしば。周囲もあからさまに敬遠状態。もちろん、欠勤も多いという状態で、再び休職するか辞めるか、いっそのこと死ぬかの瀬戸際に追い詰められていた。

主治医、産業医、カウンセラー、保健師、職業センターカウンセラーの総がかりで私の状況を打開しようとして下さったのだが、状況は好転せず、むしろ悪化の一途をたどっていた。

その「潮目」が変わったのが、先日の火曜日である。この日は定例の産業医との経過面談があり、次の日も上司も交えて再面談すると言われ、多くの資料を読んでおくように指示された。水面下で上司と安全管理部署と産業医の間で話はついていたらしい。

資料とは例えば次のようなもの。

http://consul.piasapo.com/manual  :発達凸凹活用マニュアル

早い話が、私は「発達障害」と考えざるを得ない、という「診断」である。こういうたぐいの資料に必ずある「チェックリスト」には頼り過ぎてはいけないが、産業医はそれを分かったうえで提示したわけであるし、私自身も当てはまると判断せざるを得ないような内容だった。

「発達障害」については、いろいろと議論があり、まだ分からないことも多いけれど、主治医もある程度所見を認めるとのことだから、産業医もそれを追認しないと前へ進めないと判断したのだと思う。

翌日、上司、安全管理関係者、保健師を交えて再面談となった。職場としての配慮などの説明を受けた。私としても、その「診断」を受け入れた。

受け入れたことでどうなったか。肩の荷が半分下りたとはこういうことかと実感した。その晩は久しぶりに熟睡した。しかし、同時に強烈な疲れが翌々日まで続いた。あまりに疲れ果てて早退せざるを得なかったほどだった。

これは今まで見てきた風景が180度変わったということの表れだと思っている。今までは周囲があくまで「ふつう」で、その「ふつう」を受け入れられない自分が「異常」で、そして私が「異常」であると感じていたことが「ふつう」だった。これからは、自分にとっての「ふつう」はもっと違った意味を持つと考えている。うまくは言えないが、今は「異常」であることもひっくるめて「ふつう」のことなんだ、そこには他人も自分もないという感じである。

ただ、同時に「発達障害」を認めることは、「最後通告」を受け入れたということも意味する。上司は、ただでさえ緊縮を迫る会社からの指示で、余裕のない職場運営を余儀なくされているのに、こういう「治らない」人間にリソースを割かなければならない。私自身は、そういう「配慮」に最大限報いなければならない。また、組織に異動はつきものだ。その時に理解のある上司に当たるとは限らない。

昨日あたりからいろいろ仕事の指示の方法が変わってきた。これに早く慣れていく努力をしていかなければならない。

私の父は75になるが、素人の私が見ても典型的な「発達障害」だと思う。私も50目前。昔はそんな概念すらなかったので仕方がないとは言え、大人になってからの「発達障害」はたちが悪い。どんどん悪化する。だから研究の進んできた今、思い当たるふしのある方は、すぐに精神科にかかることを強くお勧めする。

ところで、明日はレイフレ。いろいろとお世話になってきた方たちにお会いできそうで楽しみにしている。そして、次のレイフレには... って宣言したい。

2017年4月10日 (月)

一週間経ちましたが

最悪です。

この4月から組織が代わり、課長が交代しました。一応職務上は前課長の部下ではありますが、前課長はほかの仕事の方が本務となったため、今は十分に働けない私の代行をして頂いていますが、たぶん、この兼務もそのうち解かれるでしょう。

新課長は、前の会社の時から同じ部署ではありましたが、私の仕事については全く分かりません。私自身も新課長との接点が今までほとんどありませんでした。

また、私の仕事自体、具体的にこれからどうなるのか分かりません。そんな中で人事考課のための目標設定などをするようの指示を新課長から受けています。たぶん、与える仕事がないんでしょう。

確かに「指示待ち」なのは認めます。ですが、私の仕事は本社の意向・方針で方向が変わり、しかも今の会社になってから、正直言って「ふらふら」し続けていて、それに振り回され続けてきました。そうしたことも調子を崩した原因の一つ、といっても過言ではありません。

周囲もはれ物に触るような感じで、ほとんど話しかけてくれません。

とりあえず今週いっぱいは半日で上がれますが、来週からは6時間、5月からはフルタイムになります。半日でもクタクタになってしまいます。

休日も満足に動けません。食欲は全くありません。感情も死んでいて、好きなことも全くできません。

全ては1月の事件のせいと思っています。12月までに傷つきながらも膨らんできた私のココロは、あのせいでガラスのように砕け散ってしまいました。もう元には戻れません。

私は死にました。

2017年4月 3日 (月)

何度目か目の卒業式と入社式

1月のトラブルからずっと更新していなかった。取りあえず一段落したので、久しぶりに更新することにする。

食欲や趣味などへの関心は全くないのは相変わらずだった。いろいろと原因を知りたくて、センターの蔵書を読んだりしたが、かなり「深刻」な問題をはらんでいて、それで余計に落ち込むこともあった。

それでも上がったり下がったりではあったが、なんとか「低め安定」で過ぎて行った。

3/29に復職面談なのは決まっていたが、同日からセンターも休講に入ることになったため、復職の可否が分からないまま、27日にセンターを卒業することとした。

恒例のお別れ会をして下さった。皆さんは私の「知識量」を褒めて下さった。私からは下記のURLにあるような挨拶(というよりスピーチ)をした。締めは、帰りの電車で一緒になってもらった方にお願いした。

※リワーク卒業挨拶: http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7987697

3か月(体験コースを含めて4か月)だった予定が結局延びに延びて、1年になってしまった。本当に感慨深いものがあった。

翌日は病院に用事が出来たので、もう一度センターに顔を出した。照れ臭かったが、前日に欠席だった方とも挨拶できたので、非常によかったと思う。

そして迎えた3/29。初めに産業医との面談をして、その後復職面談。産業医からの説明が主だったが、上司だけでなく人事総務、安全衛生の担当者も集まったので、緊張が半端なかった。上司からの質問には私から答える必要がある場合があったが、極度の緊張や核心(触れてほしくないこと)に触れると意識が遠のくのは相変わらずで、そのことは説明できたと思う。そしてOKがでた。

翌日からは、気が抜けたせいか、ほとんどぐったりした日々だった。翌日はカウンセラーとの面談だったが、起きられない上に、電話がかかってきても何だか分からず、というような感じだった。

そして、新年度とともに、復職となった。昨年竣工したビルの席に初めて座った。今日は朝礼と、昨年の引っ越しの際に詰めた段ボールの荷ほどきで終わった。ネットワークIDなどいろいろが変わってしまったのと、それに対応できなかったので、今日はパソコンも立ち上げられなかった。

復職はしたが、まだ「完全」ではない。まず今日から2週間は午前中のみの半日、その後2週間は6時間、それから1か月は残業なしのフルタイムで勤務し、再び面談があって完全復職である。しかもその「トライアル期間」中は、「理由の如何を問わず」、欠勤はもちろんのこと、遅刻・早退も欠勤扱いとなり、80%以上の出勤率が義務づけられる。病院に行くためや、休職の事由となった病気(私の場合はうつ)以外で休んでもダメという厳しいものである。それがかなりプレッシャーになっている。

もう私も明後日で40代最後の年を迎える。リセットばかりでほとんど前に進めなかった。これからは、もう進みたくてもかなわないことが多いだろうし、私もあまりそれを望まない方が良いと思っている。とにかく一日一日を踏みしめて行こうと思う。

2017年1月15日 (日)

少しでも前へ

行きたいけれど。

寒い週末だった。

昨日はそれでも動けた。布団を干した。古新聞を片づけた。買い物をした。

それと自分にとって大きいと思ったのが、「カレンダーの掛け替え」。

昨年用のアニメカレンダーは「姫プリ」と「きんモザ」。しかし、どちらも一枚もめくらずに年を越してしまった。謝りつつ入っていたビニール袋に戻して、新しいカレンダーに掛け替えた。

今年のアニメカレンダーは「まほプリ」と「ガルパン」。表紙をめくって「今年はよろしく」とあいさつ。

それ以外にも7月で止まっていたカレンダーなどを掛け替えた。

お酒も飲んで穏やかに過ごせたのだが。

今日は自分の甘えからほとんど動けなかった。寒いことは言い訳にならない。

食欲は回復していない。太っているので誤差の範囲だが、体重もあの出来事から1.5kgの幅で乱高下。昨日は5年ぶりくらいの75kg台を記録したが、今日は動かなかったこともあり、約1kgリバウンド。まだ夕飯を食べていないが、作る気力も片づける気力もなく、また近くのコンビニが改装のため休業中で、もう少し先の吉野家かと思っている。

新しいカレンダーのように早く気持ちを切り替えて前へ進みたい。

2017年1月13日 (金)

とりあえず

生きています。

しかし、午前中まではかなり調子悪く、毎週の振り返り報告の裏にあるストレス度チェックリストの点数は、過去最高を記録した。食欲も回復しない。そんな中で昨日ブログでは書けなかった「むしゃくしゃ」を叩き付けて提出した。

午後はSSTだった。元々肌に合わないカリキュラムであるため見学のつもりだったが、問題を皆さんと一緒に考えていくうちに、バラバラになってしまっていた「思考の欠片」が少しずつ統合されていくのが分かった。

そのため、今は少し落ち着きを取り戻している。

上司の方からは一向に連絡がない。非常に好意的に解釈すれば、産業医から止められているのかもしれない。ただ、連絡があったとしても、もう返答をする気もないが。

リスケした復職面談の行方も流動的だ。というのは、私がこんな調子だということ(上司の顔も見たくないとセンターのカウンセラーに伝えてある)が最大の理由ではあるが、現実的な問題として、主治医の診断書の更新をしないとならない。そして次回の診察は来週の火曜日。予定通りであれば1か月で良いが、問題が起きそうならもっと延長しなければならない。

そのあたりは、センターのカウンセラーと産業医の間で詰めて下さっている。ビルの屋上の端に、つま先でようやく立っている私の支えになって頂いていることについて、感謝とともに、本当に申し訳なく思っている。

2017年1月12日 (木)

絶望

新年一発目の更新がこんなことになるはずじゃなかった。

もう上司が一切信じられない。詳細は省くが、昨日、産業医面談に会社の診療所に行ったら、後輩の最終復職面談の「ついでに」、私の復職面談をすることにいつの間にかなっていた。

年始に主治医の意見書を頂いて、上司に提出した。確かにそこに書いてある決まりを「四角四面に」取れば、その1週間後に復職面談をすることにはなっている。しかしその場合でも、何らかの連絡があってしかるべきだろう。

当然私はうろたえた。事態の急を知らせるためにセンターに電話を入れたが、カウンセラーは不在。アシスタントの方が落ち着くよう言ってくれた。

時間がきて産業医面談となった。復職面談はその後ということらしい。しかし、私は率直にそんな話は聞いていないと怒りをぶつけた。産業医の方も、会社と職場の不手際を認めて、中止(延期)になった。

その後はただただ呆然と帰途に就いた。途中でセンターのカウンセラーから電話があったので少し救われた。

そして今日、午前中は診療所のカウンセリングがあったので、なんとか起床して出かけた。同じ怒りをカウンセラーにぶつけた。そしてセンターに通所した。

センターには昼少し前に到着した。カウンセラーが心配して待っていて下さった。もう滅茶苦茶に怒りをぶつけた。それでも、心の空虚は埋まらない。別室で午後いっぱい休ませて頂いた。本を読んだり、Twitterを見たりして過ごした。

皆さんが全員帰って、17時になってもぼーっとしていた。それくらいダメだった。

フラフラとセンターを出た。途中で車にはねられそうになった。

取りあえず電車に乗った。最寄り駅に着いた。どうしても気持ちがざわつくので、時間外だが診療所に電話して、産業医につないでもらった。ここでも怒りをぶつけた。

そして今、どうしようもない絶望感の中でこれを書いている。

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全部上司が悪いとは言っていない。しかし、そんな騒動があってから一度もフォローがない。メールも電話もない。

また、私の人生は後輩の人生の「ついで」なのか?あるいは後輩の人生は私の人生の「ついで」なのか?

そうだろう、二人もメンタル不調で休職しているから、自分の査定に響くから迷惑としか思っていないはずだ。

相性はあまりよくないと前々から思っていた。しかし、特に「悪い人」ではないと思っていた。しかしこのことでもうどうでもよくなった。

この一年は一体何だったのか?自分の「頑張り」はムダだったわけだ。

もう絶望しかない。実行する勇気は今のところないが、「自殺」を真剣に考えたのは初めてだ。

延期にはなったが復職面談をする覚悟はもうできない。

2016年12月26日 (月)

近況(10月以降)

前回の更新から約2か月半ほったらかしにしていた。前回の更新時は全く先の読めない状態だったが、この間に何とか展望が見えてきたところなので、今年の締めくくりとして、この記事を書くこととする。……とか言いながら、このクリぼっち3連休にかなり飲み過ぎて、二日酔いではないが、脱水症状なのか少しくらくらするので、何も進歩していないのかもしれない。

1.私の状況

(1)全般

こんな記事を書いている段階で、当然のことながらリワーク支援プログラムの延長が続いている。現在は都合5回目の延長期間中だ。前回更新時は正直「最悪」な状態が続いていた。それからも週に1回程度休んでしまうような状況が続いていたが、この1か月はようやく休まなくなった。年が明ければ休職して丸1年になるが、ここにきてようやく「出口」が見えてきた状況になっている。

(2)心身の状態

全体に「低め安定」であり、まだ周期的な気分の上下はあり、それを完全にコントロールすることは難しいと感じている。また疲労感が強く、起床がままならないこともあるほか、帰宅後や、休日のうち1日は何もできないことの方が多い。ただ、今読んでいる本によれば、「疲労」をきちんと感じられることが大事であるというようなことが書いてあったので、それでよいのかもしれない(勝手な解釈)。

不規則な生活とならないように、遅くとも23時には床に就くようにはしている。しかし、寝つきが悪いこともしばしば。それでも、早起きを強いられているためもあるのか、中途覚醒はあるものの、頻度は減っているように思う。薬のおかげかもしれない。

食欲は、どちらかと言えば、以前よりなくなった。まあ独り暮らしであるので調節そのものが難しく、結局は作ったもの・用意したもの(買ってきたもの)・出されたものを全部食べはするが、以前のように「詰め込む」ような食べ方はしなくなったし、できなくなった。疲れて帰宅して何も作れる気力がない時にそれが顕著だ。そのためか、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、体重が減少傾向にある。しかしそれに反比例して、飲酒量が増えているのがまずい。それでも身体が正直に、「今日は飲んではダメ」ということを教えてくれるようになった(気がする。言い訳)。

運動は元々する人間ではないが、前回更新の頃はあまりにも調子が悪く、センターと最寄り駅との間の往復をバスで移動していたが、現在は帰りの片道は歩いて移動している。自宅と自宅の最寄り駅との間の往復を含めて、平日1日平均約8,000~10,000歩になる。

2.リワーク支援プログラム関連

(1)作業課題

「伝票集計作業」については、時間はかかったものの、全ての作業課題を終了させた。そのため、別の作業課題である「注文伝票作成」課題に移った。この作業は、名刺大のカードに書かれた品名と仕様と必要個数を元に、カタログから品番と価格を引き、それによって注文伝票を作成するものである。

前回更新で「『職業技能訓練』を行っているが全く意義が感じられない」というようなことを書いたが、それでもクソ真面目にこなしているうちに、速く正確に仕上げられるようになっていき、それが楽しく感じられるようになってきた。そして、本来の目的である「並行作業に対する苦手意識の克服」のための訓練に移行した。

センターのカウンセラーから毎週両方の作業課題を与えられ、金曜日の「定時」(16時)までに仕上げられるように指示される。16時以降まで居残ってしまうこともあったが、何とかこなせるようになった。また、正解率も9割は超えていると思う。

ただ、問題がないわけではない。居残りのこともそうだが、それを注意して下さるスタッフの方の声が聞こえていながら、届かないのだ。つまり、「切り上げないと」と思えないのだ。また、作業中はほとんど息をしていない。一問解くたびに大きく息をつく感じである。

(2)ストレスコーピング

センターのプログラムの根幹である「認知行動療法」や「SST」への不適応についての対処として作業課題を行ってきたが、それでは私自身の増殖する「不安」やそれに伴う「ストレス」への対処はそのままになってしまっていた。そこで始めたのが「ストレスコーピング」である。

この言葉自体は、10年くらい前に会社の研修を受けたことがあるので知っていた。しかしそれは、どちらかと言えば「部下のストレスをどう軽減するか」のような内容であったので自分自身のことには当てはまらないし(また、昔過ぎて内容を忘れている)、書店やネット上にも情報が少なく、かなりすたれてしまった手法だと思われる。ただ、文字通り「藁にもすがる」思いからか、私の方から「やりたい」と申し出た。

不安やストレスの内容を書き出して、その時の気分や反応を振り返るのは「認知行動療法」に似ている。しかし、そのストレスを感じていながらも、それを軽減してくれている(いた)物事や実際にはできていた(した)行動(これらを「サポート資源」とか、もっと具体的なものまで落とし込むと「コーピングレパートリー」という)に目を向けて、どう考え行動すればそのストレスを軽減することができるかとか、今後同様なストレスを抱えた場合はどうすることができそうかと、その「コーピング」(対処法)を考えていくというアプローチを取る。

このアプローチの決定的な弱点は「対症療法」的であることで、必ずしも「問題解決」できるわけではないことだ。実際にものの本では、最終的な対処法に「問題の棚上げ」ということも堂々と挙げられている。だから、すたれるのも早かったのだろうと思う。

しかし、私にはこちらの方が合っていたようだ。若いうちは考え方の転換も図りやすい(認知行動療法の根幹)が、私のように無駄に年を重ねてしまった人間には、たとえ曲がってしまっていても「経験」というものが邪魔をして難しい。あまりにもいろいろなものを「引き受けて」しまってきたので、多少「棚上げ」をしても許されるだろう。それくらいの気持ちにもだんだんなってきた。

ただ、センターには非常にご面倒をおかけした。そもそもセンターのカリキュラムにはない。カウンセラーやアシスタントの方々には知識はもちろんあるだろうが、ここでの実践例が少ない。毎週コーピング面接のお時間を取らせて頂いてありがたく思っている。

3.職場面談と今後

以上のようなことを報告書にまとめて、12月初めに職場面談をした。ただ、通常の「最終報告書」とは違い、もちろん自分の現状も記述するが、どちらかと言えば職場に配慮を頂きたいことをまとめたものだ。

不安ばかり大きくなることはもちろん、やはり並行・輻輳作業への配慮をお願いする内容となった。正直なところ、私も勤続25年であり、本来ならばとっくに克服していなければならなかったことである。いくら私に「発達障害的な傾向がある」と言っても、それが完全な理由にはならない。

職場面談では、主治医の意見書を頂くことに決まった。以前は「復職を可とする」の診断書のみで良かったが、制度が変わり、主治医から意見書を頂いたうえで、今度は産業医と職場の面談でGoがでないと復職できない。そのため、先週の通院日に主治医へそのお願いをした。主治医としては、もう少し休養と加療が必要だと考えているふしがあったが、いろいろなことを斟酌して、書いて下さることになった。私からは8月の状況報告書と、この12月の報告書を渡した。その上で忌憚のないご意見をお願いした。

意見書自体ができあがるのは、2週間は最低でもかかるので年明けになるだろう。それから産業医との面談日程を調整すると、1月中旬にできれば良いところだと思う。復職は最短で2月からと思っている。

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明日は、この間の「楽しみ」について書きたいと思う。

2016年10月13日 (木)

近況(9月以降)

前回の更新から約1か月半ほったらかしにしていた。少し「イベント」ごとにまとめてみる。「リワーク支援プログラム」について知ってもらいたいという目的からブログの更新を自分に課してきたのだが、後述のこともあり(と言っても言い訳にしかならない)、更新が滞ってしまった。最近のアクセス解析を見ると、「リワーク」というワードで検索をかけてこのブログにたどり着き、これまでの記事をさかのぼって読んでいらっしゃる方がいるようだが、全くそのご期待に沿えるようなことを書いていないことを申し訳なく思う。

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1.リワーク支援プログラム

当初の予定は8月半ばまで。本来ならばとっくに卒業して復職していなければならないところだが、延長となり9月半ばまで。しかしそれでもダメで、10月14日まで再延長。それも明日で期限が切れてしまうような状況である。

事態としては、8月半ばの悪天候による不運続きによる悪化から、改善どころか、悪化を繰り返したり、良くて「低空飛行」であったりといった状態である。休んでしまうこともあったし、週末はまともに動けない。今これを書いている時点もあまり調子が良くない。先週だけは妙にハイテンションだったが、理由が全く分からない。

センターのカウンセラーやアシスタントの方々、職場のカウンセラー、産業医、主治医と何回となく面談や相談をして、自分には行動する前に考えすぎてしまうクセがあるため、とにかく「手を動かす」ことに集中することを習慣づけるために、通常のグループワーク(認知行動療法など)をやめて、「職業技能訓練」(伝票の集計作業)をここ2か月くらいやっている。私としては黙々と、なるたけ正確に早くこなすことで精一杯だし、どちらかと言えば、こういう作業の方が私には向いている。ただ、もうじき課題が一通り終わってしまう。

それに今日の「成果」を提出したところで、特に「フィードバック」があるわけでもないし、非常に単純な作業であるため、これを職場で活かせるような感じが全くしない。つまり「達成感」がなかなか得られないのだ。しかもショックなことに、先日アシスタントの方から、この作業をするにあたって、作業効率を上げる工夫を何かしているかと尋ねられた。訓練用の伝票は、段階に合わせていろいろ調整されて作成されている。一定の「法則」のようなものがあるのは私も気がついてはいるが、実際の仕事においては、そんな「法則性」はない。だから真っ正面から、くそまじめに伝票の順番に計算している。器用な真似ができない自分が情けなくなった。

また、ここに通所する目的の一つに「物事の優先順位づけをし並行で作業できるようにする」という事項があった。それについては一切訓練していない。聞けばそういう訓練プログラムもあるという。ただ、私はそれについては聞いていなかったし、指示としてはこの作業を行うことだけだった。正直、暗然たる気持ちになっている。たとえばそれにこれから取り組んだとして、数週間で効果が出るとは到底思えないからだ。

本当にどう向き合っていったらいいのか分からない。

それでも悪いことばかりの中でも、少しは良いこともあった。今日、久しぶりに「集団認知行動療法」のカリキュラムがあって、参加することとした。自分にも思い当たる節があったこともあり、自分でも驚くくらい良い発言ができたと思う。他人のことはよく見えるのだ。しかし、自分のことになると全く見えなくなる。

2.自己分析(のようなもの)

カウンセリングなどで分かってきたのは次のようなことだ。

とにかく私は「安定」を求めるタイプで、自己はもちろんのこと、周囲や環境にもそれを求めてしまうため、周囲や環境の目まぐるしい「変化」を嫌い、それに対応できないということのようだ。また、周囲の人たちはその変化にうまく追従できている(ように見える)ために、それができない私はどうしても孤立感を深めてしまう。

また、自分のことと他人事の境界があいまいであること。職場の変化はもちろんのこと、世界で起きた事件で自分に関係のないことであっても「他人事」に思えず、不安が大きくなる。

それは、他人との関係においても同じこと。過度に遠ざけるか、過度に依存するかのどちらかしかない。

3.楽しみ

昨年夏から続いているアニメ鑑賞がまともにできないのは相変わらず。マンガも購入はするものの全く読めない。とうとう今年夏クールのアニメは録画していても全く鑑賞できないまま終わってしまった。秋クールも始まっているが、一本だけは絶対に見ようと思っているものの、ほかは自信がない。

ただ、これらだけは何とか楽しむことができた。

①映画「君の名は。」

ヒット街道を驀進している話題の作品である。新海誠監督は「秒速5センチメートル」で知った。実は私はそれしか観ていないのだが、とにかく切ない物語が得意な方であることは知っている。

「男女入れ替わり」という「フェチ」的な予告CMばかりが話題になったが(というよりそれが目的だったのだろう)、それはほんのきっかけでしかない。これだけ話題になると「感動作!」というようなキャッチフレーズばかりが先行するが、私はそれほど「感動」はしなかった。しかし「駄作」だというわけではない。この作品は「男女間の機微の切なさ」と「物語空間のスケールの大きさ」の両方を包含した「大スペクタクル」である。胸を締め付けられ、ハラハラさせられた。

それだけに新海監督のことを、引退を表明している宮崎某監督に代わって日本のアニメ界を牽引する「後継者」のように喧伝するのは筋が違うと思う。

②映画「聲の形」

「君の名は。」より2週間遅れて公開になり、それよりは目立たないものの、静かなヒットとなっている作品である。私は公開二日目に鑑賞した。

「いじめ」と「障がい」をテーマとした「重い話」である。「感動作」という意味では、こちらの方が当てはまる。しかし、誰もが思い当たり、隠しておきたい、忘れてしまいたいような「胸の奥のしこり・痛み」や、それに耐えられなくなった末の「人間関係からの逃避」を容赦なく抉り出してくる。それだけにハッピーエンドのカタルシスが大きかった。

それと思いがけないサプライズがあった。私の鑑賞した回では、舞台挨拶のライブビューイングがあったのだ。東京の劇場でしか見られない、しかもチケットも取れない舞台挨拶を通常料金で見られたのは本当にお得だった。プリキュアでおなじみの、主役だった早見沙織さんや潘めぐみさんのご尊顔を大画面で拝することができた。

③レイフレ

今回はどなたかのアンソロに参加したわけではないので、S君とともに純粋に「一般参加者」として参加した。これでレイフレは3回目。一回行ってしまうと続けて行きたくなってしまう不思議なオンリーイベントだ。今回もハピプリメインで、前回までに知り合った方やTwitterでお世話になっている方に挨拶して回っていたら、まほプリを中心にいろいろ買い逃しがあったことが分かって、後から「とらのあな」の通販を利用したりしている。印象としては、あれだけ古参のプリキュアファンに評価の高かった前作姫プリのブースが思いの外少なかったことだ。私は途中で視聴をやめてしまったので(このことは日を改めて書こうと思う)断定はできないが、ある意味「完璧」に仕上げ過ぎた作品だったために、二次創作のための「想像」を差し挟む余地が少ないからだと思う。

④モフルン

でっかいモフルンが届いた。60cmの大きさは半端ない。しかもやっぱりモフモフ。いい年をしたおっさんが気持ち悪いが一緒に寝ている。心なしか以前よりもよく眠れているような気がする。

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明日で再延長の期限が切れる。再延長期間の総括と今後どうするかについてまとめるよう、センターのカウンセラーから指示を受けた。正直、かなり気が重い。実際テンションが一気に下がり、帰途はくたくたで、火事が出来なかった。ただ、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかないことは分かっている。しかし、それも「変化」のひとつ。たぶん、それが私の思考を停止させ、気分を重くさせているのだ。

2016年8月29日 (月)

リワーク(復職支援)プログラム(8/18~8/28)

8/17まで盆休みだったため、もう何週目かも分からなくなったし、これから書くようにこの約2週間は散々だったため、それを数えるのも馬鹿らしくなった。馬鹿らしい、と言っても全て自分の「心の持ちよう」が原因ではあるが、あまりにもやりきれないので、記録だけは残す。

この約2週間に起きたことをざっと挙げてみる。

・8/18(木)

 前日の常磐線内原-友部間の倒木による架線支障と車両故障による運休とダイヤ乱れで通所できず。(ちなみに8/17にこちらへ戻ってきたが、それは間一髪でセーフだった)

・8/22(月)

 久しぶりに早く起きられたので、いつもより2本早い電車で通所したが、台風接近による大雨・強風警報が出たため休講。雨が降り出す前に帰着できたが、雨が強くなった時に、部屋の出窓から雨漏りがするのを発見。

・8/23(火)

 帰宅する頃になって大雨となり、大甕-勝田間が冠水・路盤陥没して運転終日打ち切り。勝田駅で一晩(運が悪ければ二晩)明かすことになりそうだったが、23時頃に救済バスが出ることになり、何とか日付が変わるころには帰宅。

・8/24(水)

 前日の復旧作業のため昼過ぎくらいまで運休となり通所できず。

・8/25(木)

 元々午前中に予定があったため午後から通所の予定だったが、雨漏り修理に立ち会わなければならなくなったため通所できず。

・8/26(金)

 通所はできたが、あまりに調子が悪く、午後を早退した。

・8/27(土)・8/28(日)

 ずっと調子が悪く、取りあえず土曜日に買い物へ行っただけで、ほとんど寝ていた。見たい映画が2本封切られたのに。

今これを書いている時点(8/29午前)もあまり調子が良くない。運の悪いことが続いたせいもある。特に22日の件は堪えた。初めは駅にたくさんの人があふれていたが、上り線は動き出したことや、家族や知人などに連絡が取れた人たちが次々と帰っていく。こちらに親族も迎えを頼めるような知人もいない私は心細くて仕方がなかった。

また、集団認知トレーニングやSSTには参加すると決めたが、参加しているうちにやはり調子が悪くなる。他の人たちはこのトレーニングを受けることで、自信を取り戻していくのに、私だけどうしても肌に合わない。その代わりに「機能回復訓練」を行っている。しかし、それをやっている意味が分からず、集中できない。再び通所者の中で孤立感を深めている。

他人をあてにしたりすることはバカバカしいことが今回のことで痛感した。そして、自分だけは他人と違う精神構造を持っていて、寛解が難しいことも分かった。しかし、いざとなった時に頼れる人がいないことや、自分が他の人とは違うということは、寂しすぎる。私には「味方」と言える人がいない。

今晩から明日未明にかけて台風が上陸しそうである。明日はまた休講になるかもしれない。出て行って、また帰れなくなるのはもうごめんである。

<帰宅後追記>

明日は休講になった。そして「同期」の残りの方が卒業になった。手締めの音頭を取ったけれど、喜べなかった。それだけ私がひねくれてしまっているからだ。多分その方も勘づいていることだろう。本当に申し訳ないことをした。

2016年8月11日 (木)

リワーク(復職支援)プログラム11・12週目@実家にて

これを書いているのは実家。暑い!リワークのお盆休みは今日から17日までで、昨日水曜日はいつも午前中で終了するため、午前中のSSTに参加してから最寄り駅で特急に飛び乗った。そのため、実家に初めてパソコンを持ち込む形になった。その代わり、ネット環境は全くない。だから、これを掲載するのも、ほかのページを閲覧するのも、すべて「ポケットWi-Fi」経由だ。速度が出ないのと(それでもダイヤルアップやADSLよりは早い)、データ容量と相談しながら(それを考慮に入れて1GBを追加予約しておいた)のアクセスである。携帯をiPhoneにしたときに、ない頭を振り絞ってポケットWi-Fiを契約したが、それが功を奏したことになる。えらいぞ、2年前の私。

ところで、プログラム自体のことはあまり書くことがない。ただ、GM、SST、集団認知にトレーニングは出席するようにすると前の記事に書いたものの、どれも出席すると急激に眠気が襲ってきて調子が悪くなってしまう。ああいうことに気付かなかった方がよかったのかと逆に思ってしまう。

SSTや認知トレーニングが集団でない場合は、半日を事務作業の訓練に充てている。一種の伝票集計作業である。始める前は、こんなことに何か意味があるのかと思っていたが、やってみると結構面白かったりする。また、「S曲線」ではないが、だんだん効率や正確性が上がったり、逆に下がったりするのも面白い。また、やっている場所がホールだったり、ほかの訓練生などが話しかけてきたりと、決して静かな環境ではないが、実際の職場も完全にシーンとしているわけではないし、作業中に話しかけられることなどしょっちゅうなので、そういうことも含めて「訓練」だと思うことにしている。

ただ、いちばん初期のレベルがまだ終わらない。一問一問にかかる時間がほとんど変わらないからだ。正確性は上がってきているが、たまに意識が遠のいたり、単純な記入欄の間違いをしたり、ということがある。今は、切れている集中力を取り戻すことを先決と考えよう。

今週の火曜日の午後は通院だった。先月処方された薬は、「離人症」的な症状にはかなり効果があったと自分でも思うが、とにかく入眠障害と早朝覚醒がひどく、この1か月間は平均4時間程度しか眠れなかった。また、おかしな夢を見たり、入眠時の意識がおかしかったりということがあったので、中止となった。そのかわり睡眠導入剤が追加となった。

ところで今週が12週目ということは、本来の計画どおりならプログラムは終了ということである。実際に私と同時に通所を始めた2人の方が「卒業」され、もう1人の方については職場との調整中。6月頃は、私よりも順調なのが妬ましく思って会話を避けたり、そのことで調子を崩したりしたが、今では素直に「おめでとうございます」と言うことができる。

この夏の帰省に当たっては、自分が必ずしも順調ではないことを親(特に母)にどう伝えるかが最大の懸念材料だった。母から切り出してきたので、一応、まだ休んでしまうことがあること、「発達障害」的な傾向があること、休職が延期になってしまったことを伝えた。

ただ、発達障害が「治る」と思っているところがあるので、それは難しいこと、それは育て方の問題ではないことは伝えた。しかし、そうだとしても、「うつ」を繰り返すことについては、育て方が何らかの遠因となっているだろうと、当然聞かれた。

しかたがないので、例のネット情報がきっかけで被虐の人と似たところがあることが分かったということと、自分が虐待を受けたという意識はないが、強いて言えば、父が発達障害的な言動をすること、それによって夫婦間で喧嘩が絶えなかったことが、遠因と言えば遠因だろうとだけは伝えた。母はそれを聞いてどう思っただろうか。

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