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2018年8月 9日 (木)

お久しぶりです。近況などつれづれなるままに。

お久しぶりです。

前回の更新はGW中の同窓会前日だったようだ。明日から夏季休業なのだが、今日は臨時休業。台風が接近予定だったため、会社が今日を休業にした。

それなら今日帰省すればよいのだが、昨晩JRが始発から運転見合わせ予定と発表したので、あきらめて惰眠。しかし、起きてみると、台風は予想進路よりもそれたため、始発のほんの数本のみ運休しただけで普通に動いているらしい。拍子抜けではあるが、被害はなかったし、休職中に悪天候で電車が途中で止まり、ひどい目にあったこともあるので、まあよしとしよう。

1.同窓会のこと

案の定、ほとんど覚えていなかった。田舎の学校で同級生も少なかったのでなんとかなるかもと思ったが、ずっと付き合いのない状態が続くと、忘れ去ってしまうものだと痛感した。

楽しかったとは思う。しかし、地元に残った人ととは話が合わなくなっているし、友達が少なかったので、どうしても聞くだけになってしまう。誰と誰が付き合っていたなんて、私には初耳だったし、いかにそういうことに全く興味がなかったかを痛感させられた。

しかしそれ以上にショックだったことが二つあって、それに心が取られてしまったことが大きい。

一つは、2・3年時の担任の先生が「難病」を抱えていらっしゃること。年賀状のやり取りをしてはいたが、そういうことを書いてはいないので分からなかった。私が入学した年に新任で赴任された体育(新設校だったため担当不足で一部のクラスは英語も)の先生で、今年度いっぱいで定年になられる。今では確実に問題になるが、ビンタとかよくされたものだが、全体的に人気はあって、同窓会へのうちのクラスの出席率はやたら高かった。体育の授業はどう見ても無理。今はどう勤務されているのか気にはなったが、結局、そういうことがショックであまり話ができなかったことが悔やまれてならない。

もう一つは、「初恋」の女の子二人に会えなかったこと。初恋に「二人」はおかしいとおもわれるかもしれないが、「実質的初恋」と「現実的初恋」の二つだ。

「実質的初恋」というのは本当に最初の初恋(変な日本語だが)で、「現実的初恋」というのは自分が「初恋」だとかなり意識して恋焦がれたこと。

「現実的初恋」の子は、聞けばフリーライターのような仕事をされていて、世界中を飛び回っているとのこと。元々育ちの良い家庭の子で、釣り合わないとは思っていたが、非常に明るくて活発な子だった。3年間同じクラスで、たびたび席が隣りになり、相手はどうだったか分からないが、すごく楽しかった思い出がある。そして、村下孝蔵さんの「初恋」そのままの経験だった。

それ以上にショックだったのが、「実質的初恋」の子が亡くなっていたこと。同級生には他に亡くなっている女子がいる(この子も快活でかわいらしかった)ことは聞いていたが、今回同窓会を開くにあたって幹事が伝手をいろいろたどって調べた結果、分かったことらしい。

彼女とは小学校の高学年の頃と中学校の1年だったかに同じクラスで、少し気になる存在ではあった。そして中学では同じ部活(放送演劇部)だった。芸術的・文学的な才能があって、同級生に比べるとかなり大人びた、今考えるとちょっと儚げな印象を受ける不思議な雰囲気をまとった子だった。

幹事によれば、十数人と連絡がつかなかったらしい。卒業して34年。齢50。皆それぞれの道を歩んでいるから、そういうこともあるだろう。それに60の声が聞こえてくる。明日何が起きるか分からない。そういう頃に、忙しい中企画をしてくれた幹事の方々に大いに感謝である。

2.「プリキュア」のこと他アニメ全般のこと

はぐプリから脱落している。プリアラと併せて2年、自分には合わないようだ。

佐藤順一監督など大御所の起用、小学生プリキュアのみならず、「人間ではない(アンドロイド)」プリキュアの誕生、などなど、いろいろ話題になっており、既に「名作」の呼び声が高い今作だ。敵組織が「ブラック企業」だったり、主人公がいじめられていたなど、現代の問題を積極的に取り入れている(そうだ)。

ただ私は、本当は15「年目」であるのに、15「周年」であると盛んに喧伝していたことから、違和感を持ち過ぎていたきらいがあった。「ハピ」はちゃんと「10周年」だったのに、あまりに節操がなさすぎる。

また、自分自身の問題もあって、もっと「キラキラ」「ふわふわ」したものに飢えている。「ファンタジー」の世界まで「現実」を見せられるのは、耐えられなくなっている。

確かに、本来の視聴者層である子どもたちに、「情操教育」の面から、そうした「社会の暗い闇」を見せて考えさせるのは必要なことではあるかもしれない。でも、空想の世界を自由に飛び回ることも覚えなければ、非常につまらない、それこそ「クライアス社」の面々のような発想しかできなくなると思っている。

他のアニメについても、今年は「からかい上手の高木さん」しか観ていない。年度からすれば今年度ではなく昨年度末だ。なぜこのアニメが好きなのかは、先述の同窓会の話でお分かりだろう。部活が違って一緒に帰ることはなかったにしろ、「高木さん」が「現実的な初恋」の女の子にダブってしまうからだ。

2014年あたりまでの週5本とか、今では考えられない。「アニメージュ」とかの雑誌も買っておらず(購読していた本屋さんごめんなさい)、全く情報も入れていない。

映画も昨年からほとんど観ていない。2016年夏・秋に、「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」という奇跡のトリプルコンボがあったせいかもしれない。

プリキュア映画は必ず2回以上見ていたが、昨年から1回ずつだ。申し訳ないが、面白くない。今年の秋映画は60人になったプリキュア全員を出すそうだが、一本の筋の通った作品にするのは、物理的にムリがあるだろうと私は思っている。まあ、観にはいくつもりだ。

その前に「ペンギンハイウェイ」を見ねば。

3.自分自身のこと

この数か月のうちに上司が3回代わった。7月という非常に中途半端な時期に異動があり、新しい課の所属となった。しかし、各拠点をまたぐ課であるため、拠点を取りまとめる課長級はいるが、「課長」は本社にいて、普段顔を合わせることもない。

正直、今年に入ってから、ずっときつく、同窓会の時にいちばん太っていた。2か月で3kg太った。6月に入って、風邪をこじらせ、気管支喘息のようになり、2週間ほとんど何も食べられなくて2か月弱で戻った。今は少し油断すると太る状態で推移している。

そして先月くらいから、軽い「躁」の状態である。本当に躁かどうかはよく分からないが、ちょっと気持ち悪い。

Twitterで「54字の物語」が流行って、全く取り上げられなかったが、なぜかいろいろと浮かんで、1日で10以上作ったりとか、ちょっと考えられない。

あとは、コミュニティ放送経由ミュージックバードの金曜24時(土曜0時)の「Night Fever」、NHK-FM の土曜4時からの「ラジオマンジャック」を聴くようになって、Twitter上で他のリスナーとちょっとした交流をしたり、ということも楽しみの一つになった。

・・・とまあ、こんな感じで過ごしている。それで、今日は予定外の休日。久しぶりにブログを更新しているわけである。明日から帰省だが、連日39℃を超えるらしい。たぶん、何もできないだろう。

2018年5月 3日 (木)

GWの折り返し、そして明日は同窓会。

大型連休も折り返し。例年よりも早く過ぎていく感じだ。まあ、いろいろと「イベント」が多かったからである。

帰って来た翌日は祖母の23回忌の法要だった。法要とは言っても、両親と私だけ。いろいろな事情もあって、お寺へ出向いてお経をあげて頂いただけである。

その晩は妹家族といつもの食べ放題・飲み放題の店で食事会。上の甥は野球漬けだったこともあって、この春の入試にはすべて失敗し、現在予備校生。中学の頃までは「秀才」で、この街のいちばんの学校に進学できたから、彼曰く「入試を舐めていた」らしい。

それでも、打ち込めるものがあったこと、また、学校生活の一端のビデオを見せてもらった限り、青春ドラマやマンガのような「青春」できたことは私にはうらやましい。今勉強が面白いと言っているのもウソではないようだし、地頭は良い方だと私も認めているので、必ずや来春は桜を咲かせてくれると信じている(というよりそれでなければ困る)。

その翌日は例年通り「お伊勢参り」。現地の混雑は相変わらずのように思えるが、近鉄の伊勢・賢島方面の特急がかなり減便されていないか?

そしていよいよ明日、メインイベントたる「同窓会」がある。私の世代は子どもが多かったため、増築に次ぐ増築でも追いつかず、入学前と小学4年の時に分校された。そして進学先の中学も分校でできた学校だった。一つの小学校区が一つの中学校区という、実質「小中一貫」(と言っても別に当時のことだから特別なカリキュラムは何もない)。5期生だった。そういう事情もあり、1学年4クラスで、150人程度だった(次の学年からは6クラス)。

どれくらい出席するのだろうか。そして特に仲のよかった同級生以外は思い出されるだろうか。それに、今の私のことをどれだけ話さなければならないのだろうか。

懐かしく楽しみであると同時に、少し気の重い同窓会である。

 

2018年4月22日 (日)

こちらではお久しぶりです。

ここに投稿するのは約半年ぶり。2018年になってから全く更新していない。その間に50になった。

更新できなかったのは、皆さんご想像の通りである。とにかく状態が安定せず、ひどかったのである。とにかくきつかった。落ち着いたのはようやく3月下旬になってからである。

金遣いが荒く、それもちょっとここでは言いにくいものを買い集めていた。ひとえに「変身願望」からである。忖度頂きたい。

そんな中で50になってしまった。このブログを始めたのが2008年5月らしく10周年になるが、引っ越しや震災があって、私に何か「成長」があったのだろうか。

休職を2回。当然昇進・昇給はなく、収入は10年前より減っている。身を固められたわけでもない。何をしてきたのだろう。

「発達障害」を宣告されたことで、楽になったのは一瞬。逆にそれを意識し始めたら、疲れる一方になった。なぜなら、自分ができないこと、苦手なこと、配慮頂きたいことがあるから、それを頼むことになるのだが、それも言い訳がましい感じになって、気疲れがかえって強くなってしまったのである。

4月の頭に両親を再び九段・浅草、こちらのさくらまつりに連れて行った。良かれと思ったルートが思った以上に複雑でうまく案内できなかったうえに、今年は桜が早すぎて、何もきれいなものを見せられなかった。また、私の部屋にも当然来たが、フィギュア類が増えていることで、やはりお小言を頂いた。

そんな中でも、1年半ぶりに春レイフレのアンソロ企画に参加できた。いちばんきつい中で手を挙げ、完成できるか不安だったが、形になってよかった。そして会場で散財したのはいつも通りで、GWを前に頭を抱えている。

GWに中学校の同窓会がある。卒業35周年、50歳記念だそうだ。伝手で案内を頂いた。みんなそれぞれに家庭を築いて、それなりの地位を得ていることだろう。楽しみではあるし、出席はするが、たぶん気後れしてしまうと思っている。

 

 

2017年4月 3日 (月)

何度目か目の卒業式と入社式

1月のトラブルからずっと更新していなかった。取りあえず一段落したので、久しぶりに更新することにする。

食欲や趣味などへの関心は全くないのは相変わらずだった。いろいろと原因を知りたくて、センターの蔵書を読んだりしたが、かなり「深刻」な問題をはらんでいて、それで余計に落ち込むこともあった。

それでも上がったり下がったりではあったが、なんとか「低め安定」で過ぎて行った。

3/29に復職面談なのは決まっていたが、同日からセンターも休講に入ることになったため、復職の可否が分からないまま、27日にセンターを卒業することとした。

恒例のお別れ会をして下さった。皆さんは私の「知識量」を褒めて下さった。私からは下記のURLにあるような挨拶(というよりスピーチ)をした。締めは、帰りの電車で一緒になってもらった方にお願いした。

※リワーク卒業挨拶: http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7987697

3か月(体験コースを含めて4か月)だった予定が結局延びに延びて、1年になってしまった。本当に感慨深いものがあった。

翌日は病院に用事が出来たので、もう一度センターに顔を出した。照れ臭かったが、前日に欠席だった方とも挨拶できたので、非常によかったと思う。

そして迎えた3/29。初めに産業医との面談をして、その後復職面談。産業医からの説明が主だったが、上司だけでなく人事総務、安全衛生の担当者も集まったので、緊張が半端なかった。上司からの質問には私から答える必要がある場合があったが、極度の緊張や核心(触れてほしくないこと)に触れると意識が遠のくのは相変わらずで、そのことは説明できたと思う。そしてOKがでた。

翌日からは、気が抜けたせいか、ほとんどぐったりした日々だった。翌日はカウンセラーとの面談だったが、起きられない上に、電話がかかってきても何だか分からず、というような感じだった。

そして、新年度とともに、復職となった。昨年竣工したビルの席に初めて座った。今日は朝礼と、昨年の引っ越しの際に詰めた段ボールの荷ほどきで終わった。ネットワークIDなどいろいろが変わってしまったのと、それに対応できなかったので、今日はパソコンも立ち上げられなかった。

復職はしたが、まだ「完全」ではない。まず今日から2週間は午前中のみの半日、その後2週間は6時間、それから1か月は残業なしのフルタイムで勤務し、再び面談があって完全復職である。しかもその「トライアル期間」中は、「理由の如何を問わず」、欠勤はもちろんのこと、遅刻・早退も欠勤扱いとなり、80%以上の出勤率が義務づけられる。病院に行くためや、休職の事由となった病気(私の場合はうつ)以外で休んでもダメという厳しいものである。それがかなりプレッシャーになっている。

もう私も明後日で40代最後の年を迎える。リセットばかりでほとんど前に進めなかった。これからは、もう進みたくてもかなわないことが多いだろうし、私もあまりそれを望まない方が良いと思っている。とにかく一日一日を踏みしめて行こうと思う。

2016年12月26日 (月)

近況(10月以降)

前回の更新から約2か月半ほったらかしにしていた。前回の更新時は全く先の読めない状態だったが、この間に何とか展望が見えてきたところなので、今年の締めくくりとして、この記事を書くこととする。……とか言いながら、このクリぼっち3連休にかなり飲み過ぎて、二日酔いではないが、脱水症状なのか少しくらくらするので、何も進歩していないのかもしれない。

1.私の状況

(1)全般

こんな記事を書いている段階で、当然のことながらリワーク支援プログラムの延長が続いている。現在は都合5回目の延長期間中だ。前回更新時は正直「最悪」な状態が続いていた。それからも週に1回程度休んでしまうような状況が続いていたが、この1か月はようやく休まなくなった。年が明ければ休職して丸1年になるが、ここにきてようやく「出口」が見えてきた状況になっている。

(2)心身の状態

全体に「低め安定」であり、まだ周期的な気分の上下はあり、それを完全にコントロールすることは難しいと感じている。また疲労感が強く、起床がままならないこともあるほか、帰宅後や、休日のうち1日は何もできないことの方が多い。ただ、今読んでいる本によれば、「疲労」をきちんと感じられることが大事であるというようなことが書いてあったので、それでよいのかもしれない(勝手な解釈)。

不規則な生活とならないように、遅くとも23時には床に就くようにはしている。しかし、寝つきが悪いこともしばしば。それでも、早起きを強いられているためもあるのか、中途覚醒はあるものの、頻度は減っているように思う。薬のおかげかもしれない。

食欲は、どちらかと言えば、以前よりなくなった。まあ独り暮らしであるので調節そのものが難しく、結局は作ったもの・用意したもの(買ってきたもの)・出されたものを全部食べはするが、以前のように「詰め込む」ような食べ方はしなくなったし、できなくなった。疲れて帰宅して何も作れる気力がない時にそれが顕著だ。そのためか、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、体重が減少傾向にある。しかしそれに反比例して、飲酒量が増えているのがまずい。それでも身体が正直に、「今日は飲んではダメ」ということを教えてくれるようになった(気がする。言い訳)。

運動は元々する人間ではないが、前回更新の頃はあまりにも調子が悪く、センターと最寄り駅との間の往復をバスで移動していたが、現在は帰りの片道は歩いて移動している。自宅と自宅の最寄り駅との間の往復を含めて、平日1日平均約8,000~10,000歩になる。

2.リワーク支援プログラム関連

(1)作業課題

「伝票集計作業」については、時間はかかったものの、全ての作業課題を終了させた。そのため、別の作業課題である「注文伝票作成」課題に移った。この作業は、名刺大のカードに書かれた品名と仕様と必要個数を元に、カタログから品番と価格を引き、それによって注文伝票を作成するものである。

前回更新で「『職業技能訓練』を行っているが全く意義が感じられない」というようなことを書いたが、それでもクソ真面目にこなしているうちに、速く正確に仕上げられるようになっていき、それが楽しく感じられるようになってきた。そして、本来の目的である「並行作業に対する苦手意識の克服」のための訓練に移行した。

センターのカウンセラーから毎週両方の作業課題を与えられ、金曜日の「定時」(16時)までに仕上げられるように指示される。16時以降まで居残ってしまうこともあったが、何とかこなせるようになった。また、正解率も9割は超えていると思う。

ただ、問題がないわけではない。居残りのこともそうだが、それを注意して下さるスタッフの方の声が聞こえていながら、届かないのだ。つまり、「切り上げないと」と思えないのだ。また、作業中はほとんど息をしていない。一問解くたびに大きく息をつく感じである。

(2)ストレスコーピング

センターのプログラムの根幹である「認知行動療法」や「SST」への不適応についての対処として作業課題を行ってきたが、それでは私自身の増殖する「不安」やそれに伴う「ストレス」への対処はそのままになってしまっていた。そこで始めたのが「ストレスコーピング」である。

この言葉自体は、10年くらい前に会社の研修を受けたことがあるので知っていた。しかしそれは、どちらかと言えば「部下のストレスをどう軽減するか」のような内容であったので自分自身のことには当てはまらないし(また、昔過ぎて内容を忘れている)、書店やネット上にも情報が少なく、かなりすたれてしまった手法だと思われる。ただ、文字通り「藁にもすがる」思いからか、私の方から「やりたい」と申し出た。

不安やストレスの内容を書き出して、その時の気分や反応を振り返るのは「認知行動療法」に似ている。しかし、そのストレスを感じていながらも、それを軽減してくれている(いた)物事や実際にはできていた(した)行動(これらを「サポート資源」とか、もっと具体的なものまで落とし込むと「コーピングレパートリー」という)に目を向けて、どう考え行動すればそのストレスを軽減することができるかとか、今後同様なストレスを抱えた場合はどうすることができそうかと、その「コーピング」(対処法)を考えていくというアプローチを取る。

このアプローチの決定的な弱点は「対症療法」的であることで、必ずしも「問題解決」できるわけではないことだ。実際にものの本では、最終的な対処法に「問題の棚上げ」ということも堂々と挙げられている。だから、すたれるのも早かったのだろうと思う。

しかし、私にはこちらの方が合っていたようだ。若いうちは考え方の転換も図りやすい(認知行動療法の根幹)が、私のように無駄に年を重ねてしまった人間には、たとえ曲がってしまっていても「経験」というものが邪魔をして難しい。あまりにもいろいろなものを「引き受けて」しまってきたので、多少「棚上げ」をしても許されるだろう。それくらいの気持ちにもだんだんなってきた。

ただ、センターには非常にご面倒をおかけした。そもそもセンターのカリキュラムにはない。カウンセラーやアシスタントの方々には知識はもちろんあるだろうが、ここでの実践例が少ない。毎週コーピング面接のお時間を取らせて頂いてありがたく思っている。

3.職場面談と今後

以上のようなことを報告書にまとめて、12月初めに職場面談をした。ただ、通常の「最終報告書」とは違い、もちろん自分の現状も記述するが、どちらかと言えば職場に配慮を頂きたいことをまとめたものだ。

不安ばかり大きくなることはもちろん、やはり並行・輻輳作業への配慮をお願いする内容となった。正直なところ、私も勤続25年であり、本来ならばとっくに克服していなければならなかったことである。いくら私に「発達障害的な傾向がある」と言っても、それが完全な理由にはならない。

職場面談では、主治医の意見書を頂くことに決まった。以前は「復職を可とする」の診断書のみで良かったが、制度が変わり、主治医から意見書を頂いたうえで、今度は産業医と職場の面談でGoがでないと復職できない。そのため、先週の通院日に主治医へそのお願いをした。主治医としては、もう少し休養と加療が必要だと考えているふしがあったが、いろいろなことを斟酌して、書いて下さることになった。私からは8月の状況報告書と、この12月の報告書を渡した。その上で忌憚のないご意見をお願いした。

意見書自体ができあがるのは、2週間は最低でもかかるので年明けになるだろう。それから産業医との面談日程を調整すると、1月中旬にできれば良いところだと思う。復職は最短で2月からと思っている。

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明日は、この間の「楽しみ」について書きたいと思う。

2016年10月13日 (木)

近況(9月以降)

前回の更新から約1か月半ほったらかしにしていた。少し「イベント」ごとにまとめてみる。「リワーク支援プログラム」について知ってもらいたいという目的からブログの更新を自分に課してきたのだが、後述のこともあり(と言っても言い訳にしかならない)、更新が滞ってしまった。最近のアクセス解析を見ると、「リワーク」というワードで検索をかけてこのブログにたどり着き、これまでの記事をさかのぼって読んでいらっしゃる方がいるようだが、全くそのご期待に沿えるようなことを書いていないことを申し訳なく思う。

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1.リワーク支援プログラム

当初の予定は8月半ばまで。本来ならばとっくに卒業して復職していなければならないところだが、延長となり9月半ばまで。しかしそれでもダメで、10月14日まで再延長。それも明日で期限が切れてしまうような状況である。

事態としては、8月半ばの悪天候による不運続きによる悪化から、改善どころか、悪化を繰り返したり、良くて「低空飛行」であったりといった状態である。休んでしまうこともあったし、週末はまともに動けない。今これを書いている時点もあまり調子が良くない。先週だけは妙にハイテンションだったが、理由が全く分からない。

センターのカウンセラーやアシスタントの方々、職場のカウンセラー、産業医、主治医と何回となく面談や相談をして、自分には行動する前に考えすぎてしまうクセがあるため、とにかく「手を動かす」ことに集中することを習慣づけるために、通常のグループワーク(認知行動療法など)をやめて、「職業技能訓練」(伝票の集計作業)をここ2か月くらいやっている。私としては黙々と、なるたけ正確に早くこなすことで精一杯だし、どちらかと言えば、こういう作業の方が私には向いている。ただ、もうじき課題が一通り終わってしまう。

それに今日の「成果」を提出したところで、特に「フィードバック」があるわけでもないし、非常に単純な作業であるため、これを職場で活かせるような感じが全くしない。つまり「達成感」がなかなか得られないのだ。しかもショックなことに、先日アシスタントの方から、この作業をするにあたって、作業効率を上げる工夫を何かしているかと尋ねられた。訓練用の伝票は、段階に合わせていろいろ調整されて作成されている。一定の「法則」のようなものがあるのは私も気がついてはいるが、実際の仕事においては、そんな「法則性」はない。だから真っ正面から、くそまじめに伝票の順番に計算している。器用な真似ができない自分が情けなくなった。

また、ここに通所する目的の一つに「物事の優先順位づけをし並行で作業できるようにする」という事項があった。それについては一切訓練していない。聞けばそういう訓練プログラムもあるという。ただ、私はそれについては聞いていなかったし、指示としてはこの作業を行うことだけだった。正直、暗然たる気持ちになっている。たとえばそれにこれから取り組んだとして、数週間で効果が出るとは到底思えないからだ。

本当にどう向き合っていったらいいのか分からない。

それでも悪いことばかりの中でも、少しは良いこともあった。今日、久しぶりに「集団認知行動療法」のカリキュラムがあって、参加することとした。自分にも思い当たる節があったこともあり、自分でも驚くくらい良い発言ができたと思う。他人のことはよく見えるのだ。しかし、自分のことになると全く見えなくなる。

2.自己分析(のようなもの)

カウンセリングなどで分かってきたのは次のようなことだ。

とにかく私は「安定」を求めるタイプで、自己はもちろんのこと、周囲や環境にもそれを求めてしまうため、周囲や環境の目まぐるしい「変化」を嫌い、それに対応できないということのようだ。また、周囲の人たちはその変化にうまく追従できている(ように見える)ために、それができない私はどうしても孤立感を深めてしまう。

また、自分のことと他人事の境界があいまいであること。職場の変化はもちろんのこと、世界で起きた事件で自分に関係のないことであっても「他人事」に思えず、不安が大きくなる。

それは、他人との関係においても同じこと。過度に遠ざけるか、過度に依存するかのどちらかしかない。

3.楽しみ

昨年夏から続いているアニメ鑑賞がまともにできないのは相変わらず。マンガも購入はするものの全く読めない。とうとう今年夏クールのアニメは録画していても全く鑑賞できないまま終わってしまった。秋クールも始まっているが、一本だけは絶対に見ようと思っているものの、ほかは自信がない。

ただ、これらだけは何とか楽しむことができた。

①映画「君の名は。」

ヒット街道を驀進している話題の作品である。新海誠監督は「秒速5センチメートル」で知った。実は私はそれしか観ていないのだが、とにかく切ない物語が得意な方であることは知っている。

「男女入れ替わり」という「フェチ」的な予告CMばかりが話題になったが(というよりそれが目的だったのだろう)、それはほんのきっかけでしかない。これだけ話題になると「感動作!」というようなキャッチフレーズばかりが先行するが、私はそれほど「感動」はしなかった。しかし「駄作」だというわけではない。この作品は「男女間の機微の切なさ」と「物語空間のスケールの大きさ」の両方を包含した「大スペクタクル」である。胸を締め付けられ、ハラハラさせられた。

それだけに新海監督のことを、引退を表明している宮崎某監督に代わって日本のアニメ界を牽引する「後継者」のように喧伝するのは筋が違うと思う。

②映画「聲の形」

「君の名は。」より2週間遅れて公開になり、それよりは目立たないものの、静かなヒットとなっている作品である。私は公開二日目に鑑賞した。

「いじめ」と「障がい」をテーマとした「重い話」である。「感動作」という意味では、こちらの方が当てはまる。しかし、誰もが思い当たり、隠しておきたい、忘れてしまいたいような「胸の奥のしこり・痛み」や、それに耐えられなくなった末の「人間関係からの逃避」を容赦なく抉り出してくる。それだけにハッピーエンドのカタルシスが大きかった。

それと思いがけないサプライズがあった。私の鑑賞した回では、舞台挨拶のライブビューイングがあったのだ。東京の劇場でしか見られない、しかもチケットも取れない舞台挨拶を通常料金で見られたのは本当にお得だった。プリキュアでおなじみの、主役だった早見沙織さんや潘めぐみさんのご尊顔を大画面で拝することができた。

③レイフレ

今回はどなたかのアンソロに参加したわけではないので、S君とともに純粋に「一般参加者」として参加した。これでレイフレは3回目。一回行ってしまうと続けて行きたくなってしまう不思議なオンリーイベントだ。今回もハピプリメインで、前回までに知り合った方やTwitterでお世話になっている方に挨拶して回っていたら、まほプリを中心にいろいろ買い逃しがあったことが分かって、後から「とらのあな」の通販を利用したりしている。印象としては、あれだけ古参のプリキュアファンに評価の高かった前作姫プリのブースが思いの外少なかったことだ。私は途中で視聴をやめてしまったので(このことは日を改めて書こうと思う)断定はできないが、ある意味「完璧」に仕上げ過ぎた作品だったために、二次創作のための「想像」を差し挟む余地が少ないからだと思う。

④モフルン

でっかいモフルンが届いた。60cmの大きさは半端ない。しかもやっぱりモフモフ。いい年をしたおっさんが気持ち悪いが一緒に寝ている。心なしか以前よりもよく眠れているような気がする。

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明日で再延長の期限が切れる。再延長期間の総括と今後どうするかについてまとめるよう、センターのカウンセラーから指示を受けた。正直、かなり気が重い。実際テンションが一気に下がり、帰途はくたくたで、火事が出来なかった。ただ、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかないことは分かっている。しかし、それも「変化」のひとつ。たぶん、それが私の思考を停止させ、気分を重くさせているのだ。

2016年8月29日 (月)

リワーク(復職支援)プログラム(8/18~8/28)

8/17まで盆休みだったため、もう何週目かも分からなくなったし、これから書くようにこの約2週間は散々だったため、それを数えるのも馬鹿らしくなった。馬鹿らしい、と言っても全て自分の「心の持ちよう」が原因ではあるが、あまりにもやりきれないので、記録だけは残す。

この約2週間に起きたことをざっと挙げてみる。

・8/18(木)

 前日の常磐線内原-友部間の倒木による架線支障と車両故障による運休とダイヤ乱れで通所できず。(ちなみに8/17にこちらへ戻ってきたが、それは間一髪でセーフだった)

・8/22(月)

 久しぶりに早く起きられたので、いつもより2本早い電車で通所したが、台風接近による大雨・強風警報が出たため休講。雨が降り出す前に帰着できたが、雨が強くなった時に、部屋の出窓から雨漏りがするのを発見。

・8/23(火)

 帰宅する頃になって大雨となり、大甕-勝田間が冠水・路盤陥没して運転終日打ち切り。勝田駅で一晩(運が悪ければ二晩)明かすことになりそうだったが、23時頃に救済バスが出ることになり、何とか日付が変わるころには帰宅。

・8/24(水)

 前日の復旧作業のため昼過ぎくらいまで運休となり通所できず。

・8/25(木)

 元々午前中に予定があったため午後から通所の予定だったが、雨漏り修理に立ち会わなければならなくなったため通所できず。

・8/26(金)

 通所はできたが、あまりに調子が悪く、午後を早退した。

・8/27(土)・8/28(日)

 ずっと調子が悪く、取りあえず土曜日に買い物へ行っただけで、ほとんど寝ていた。見たい映画が2本封切られたのに。

今これを書いている時点(8/29午前)もあまり調子が良くない。運の悪いことが続いたせいもある。特に22日の件は堪えた。初めは駅にたくさんの人があふれていたが、上り線は動き出したことや、家族や知人などに連絡が取れた人たちが次々と帰っていく。こちらに親族も迎えを頼めるような知人もいない私は心細くて仕方がなかった。

また、集団認知トレーニングやSSTには参加すると決めたが、参加しているうちにやはり調子が悪くなる。他の人たちはこのトレーニングを受けることで、自信を取り戻していくのに、私だけどうしても肌に合わない。その代わりに「機能回復訓練」を行っている。しかし、それをやっている意味が分からず、集中できない。再び通所者の中で孤立感を深めている。

他人をあてにしたりすることはバカバカしいことが今回のことで痛感した。そして、自分だけは他人と違う精神構造を持っていて、寛解が難しいことも分かった。しかし、いざとなった時に頼れる人がいないことや、自分が他の人とは違うということは、寂しすぎる。私には「味方」と言える人がいない。

今晩から明日未明にかけて台風が上陸しそうである。明日はまた休講になるかもしれない。出て行って、また帰れなくなるのはもうごめんである。

<帰宅後追記>

明日は休講になった。そして「同期」の残りの方が卒業になった。手締めの音頭を取ったけれど、喜べなかった。それだけ私がひねくれてしまっているからだ。多分その方も勘づいていることだろう。本当に申し訳ないことをした。

2016年8月15日 (月)

「ハピネスチャージプリキュア!」アフターストーリー「自分を照らす鏡の道 – 氷川いおな & 白雪ひめ & 生瀬 -」に寄せて

ショートストーリー(以下SS)本文は、pixivの下記URLへ掲載しています。必ずその説明文も併せてお読み下さい。その説明文に、SSの元となった写真のツイ主・撮影者の方とイラストを描かれた方のTwitterアドレス、写真ツイートとイラストツイートへのURLを記載しています。

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7127651

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4月のある日、Twitterの私のTL上に、ナマケルダ・キュアプリンセス・キュアフォーチュンのコスプレ合わせの写真と、それを元にしてそれぞれのキャラクターに置き換えたイラストが流れてきました。

私はこの写真とイラストを拝見して、ほほえましいと感じるとともに、すごく心の中に暖かいものを感じました。三人が並んでいる写真・イラストなのですが、その真ん中にプリンセスが満面のいたずらっぽい笑顔で両脇のナマケルダとフォーチュンの脇を抱えています。脇を抱えられた両脇のナマケルダとフォーチュンは、ちょっと困ったような笑顔を浮かべています。

私には、プリンセスはナマケルダとフォーチュンに安心しきっており、そのナマケルダとフォーチュンはプリンセスを暖かく見守っているように見えました。

私はこの写真とイラストにインスピレーションを受け、どうしてもお話を書きたいと思うようになりました。しかし、のゆきさんによる今春レイフレ発行の「ゆうこコレクション」への寄稿が終わったばかりで満足しきっておりましたし、しかも休職中で調子が安定しない中、書けるかどうか不安でした。それに、イラストは私が以前からフォローさせて頂いていた絵師さんが描かれたものでしたが、写真はFF外のレイヤーさんのものだったので、書いてよいものかどうかも迷いました。そこで、絵師さんに許可をもらった際、写真の出処についてもはっきりと明記した方が良いとアドバイスを受け、執筆をすることに決めました。

それが6月の初め頃。ちょうどリワーク(復職支援)プログラムの第2週目の頃です。「自主作業」の時間にこれを執筆するつもりでした。しかし、「自主作業」には「成果物」が求められることが分かるにつれ、この完成には時間がかかることが予想されたため、普段の自主作業の時間はブログ記事の執筆に充ててそれを成果物とすることにし、「定時(15:00)後」には作品を執筆することに方針を変えました。

ところが、ブログ記事の通り、私の調子は悪くなる一方で、平日は全く書けず、帰宅後や休日に数行ずつ書くような状態がずっと続きました。

そのうち、自分の「特殊性」を認められるようになった職場への「状況報告」あたりから、自主作業中や定時後にも書けるようになってきました。しかし、完成には程遠い状況でした。

そんなこんなで8月に入ってしまいました。このお盆休み前の10日は水曜日のため半日だけの「出勤」だったので、初めは朝から帰省するつもりでしたが、その半日が集団SSTに変更になったため出勤することにし、終わったら、最寄り駅から特急に乗って帰省することに決めました。それに加えて、帰省荷物はなるだけ持たず、しかしパソコンだけは持っていき、実家でお話を完成させようと決意しました。

帰省してからも集中できたりできなかったりしましたが、昨晩ようやく完成を見て、pixivに掲載しました。絵師さんには連絡し読んで頂きましたし、そこからレイヤーさんにもつながり、お二方からお礼の言葉を頂きました。

SSと言いながらも、文字数にして400字詰め原稿用紙40数枚、のゆきさんアンソロの時のレイアウト(B5サイズ2段組で本文8ポイント)換算で14ページとなりました。アンソロに参加するのだとしたら少し長いと思います。ただ、今日流れてきたツイートで、「小説類なら80ページ程度はほしい」というご意見もあったので、もし私が同人誌を出すのだったら、複数の話を詰めた短編集という形になるのかなと思います。アンソロ出稿時に約束した自家出版解禁期限が過ぎたら、今までのお話を集めてサークル参加するのも面白いかもしれません。本当は完全新作を1作は入れるべきでしょうが、今の状況では、修正のうえ再録が精いっぱいでしょう。

このお話を書くにあたり、素晴らしい写真を撮られたレイヤーさん、そしてイラストを描かれた絵師さんに、心から御礼申し上げます。

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内容については、「いおひめ」メインで「ナマひめ」風味となっています。そしてテーマは「自制」と「見守り」です。

ひめといおなの関係は、過去の確執を乗り越えて仲間になりましたから、お互いを「思いやり過ぎる」のが長所でもあり、それが短所でもあるハピネスチャージプリキュアチームの中では、ほかの二人との関係とは違った意味を持っています。また、それだけに深いと思います。

だから、ひめが帰国していちばん寂しがるのはいおなだと思います。また、ひめは将来の女王即位に向けて、今までの「わがまま」を捨てなくてはならず、ますます「自制」が求められるようになりますから、いおなのことを「心の師匠」としてずっと慕い続けることでしょう。そしていおなは、ひめが即位しても見守り続けることでしょう。

前提条件は、今まで書いたお話を踏襲しています。もう正体バレしているという条件は、私としてはゆるぎなく、また譲れないものです。そして、「プリキュア」であることは一種の「特権」ですが、それを振りかざさない限り許されているという「優しい世界」感です。それから私は「変身フェチ」ですので、その辺の「恥ずかしい表現」は、今回はそのイメージからいちばん遠いいおなに頑張ってもらいました(笑)。

また全体にわたって気を遣ったのは、正体名と変身名の使い分けです。ほぼ全体にわたって、変身の状態で会話していますが、「ひめ」・「いおな」としてふるまったり、思い考えていたりする時は、「ひめ」・「いおな」と呼ばせています。逆に「プリキュア」としてふるまっている時は「(キュア)プリンセス」・「(キュア)フォーチュン」としています。生瀬については、ハピプリクラスタの中で定着した「ナマセルダ」を使わせて頂きました。

もし、表現などに気になる点がありましたら、ご指摘くださると幸いです。またご感想を頂けると嬉しいですので、よろしくお願い致します。

2016年8月12日 (金)

身辺整理

私の両親は今年74歳。今年になって「終活」よろしく、実家にある(実家そのものも築43年でボロボロ)いろいろな「モノ」を整理、というよりも廃棄し始めた。

まず、年代物の、もちろんCDなどをかけることのできない「4チャンネルステレオ」(読者の方でご存知の方とかいらっしゃいます?)とか、祖母に買ってもらったのに、ほとんど使わなかった天体望遠鏡など、少しでも金になりそうなものは、リサイクルショップに売った。それでも、金になりそうと期待していたものは全てロハだったそうだが。

それで目下実施中なのが、両親が若い頃や私たち兄妹が幼い頃の写真類と、私たちの日記や作文類の分別。両親は若い頃の写真を問答無用で捨てていくが、過去を忘れてしまった私にとってみれば、「懐かしい」というより「新発見」。加えて、幼い頃の写真からは、今の私の容貌は全くと言っても良いほど想像できないくらいである。

写真については、自分がほとんど分からないようなもの・写ってないものなどは捨てて、後は残すことにした。

日記については、前回休職した時に「何か手掛かりがないか」と捜索したことがあったが、ほとんど何も書いていないことが分かり落胆した覚えがある。だから全部捨てた。そして作文類については、文集になっているものしか残っていなかった。そのまま残すことにした。

「残す」としたものは、結果的に今のアパートに持っていくこととなる。どちらにしろ再び引っ越すことになった時と、また十何年先には自分の終活として分別が必要となる。

この実家の扱いも考えなくてはいけない時期になっている。私たち兄妹は、実家を出ている。妹は先日、母親に面と向かって、処分して老人ホームとかに入ってくれ、と言ったそうだ。確かに私たちは直接的な介護が難しい(と言うか現実的には「できない」)。親が要介護となった時に、私たちが相続していてもいなくても「財源」はそれしかない。「相続税」というようなことを考えれば両親自らが処分してしまった方が「得」だし、あとくされがないとは思うのでその方が良いとは思う。

両親は財産を少しでも残したくて一生懸命働いて、この家と土地を買ったのだろうが、結果的にその期待に応えることができなかったのは、本当に申し訳なく思っている。

2016年8月11日 (木)

リワーク(復職支援)プログラム11・12週目@実家にて

これを書いているのは実家。暑い!リワークのお盆休みは今日から17日までで、昨日水曜日はいつも午前中で終了するため、午前中のSSTに参加してから最寄り駅で特急に飛び乗った。そのため、実家に初めてパソコンを持ち込む形になった。その代わり、ネット環境は全くない。だから、これを掲載するのも、ほかのページを閲覧するのも、すべて「ポケットWi-Fi」経由だ。速度が出ないのと(それでもダイヤルアップやADSLよりは早い)、データ容量と相談しながら(それを考慮に入れて1GBを追加予約しておいた)のアクセスである。携帯をiPhoneにしたときに、ない頭を振り絞ってポケットWi-Fiを契約したが、それが功を奏したことになる。えらいぞ、2年前の私。

ところで、プログラム自体のことはあまり書くことがない。ただ、GM、SST、集団認知にトレーニングは出席するようにすると前の記事に書いたものの、どれも出席すると急激に眠気が襲ってきて調子が悪くなってしまう。ああいうことに気付かなかった方がよかったのかと逆に思ってしまう。

SSTや認知トレーニングが集団でない場合は、半日を事務作業の訓練に充てている。一種の伝票集計作業である。始める前は、こんなことに何か意味があるのかと思っていたが、やってみると結構面白かったりする。また、「S曲線」ではないが、だんだん効率や正確性が上がったり、逆に下がったりするのも面白い。また、やっている場所がホールだったり、ほかの訓練生などが話しかけてきたりと、決して静かな環境ではないが、実際の職場も完全にシーンとしているわけではないし、作業中に話しかけられることなどしょっちゅうなので、そういうことも含めて「訓練」だと思うことにしている。

ただ、いちばん初期のレベルがまだ終わらない。一問一問にかかる時間がほとんど変わらないからだ。正確性は上がってきているが、たまに意識が遠のいたり、単純な記入欄の間違いをしたり、ということがある。今は、切れている集中力を取り戻すことを先決と考えよう。

今週の火曜日の午後は通院だった。先月処方された薬は、「離人症」的な症状にはかなり効果があったと自分でも思うが、とにかく入眠障害と早朝覚醒がひどく、この1か月間は平均4時間程度しか眠れなかった。また、おかしな夢を見たり、入眠時の意識がおかしかったりということがあったので、中止となった。そのかわり睡眠導入剤が追加となった。

ところで今週が12週目ということは、本来の計画どおりならプログラムは終了ということである。実際に私と同時に通所を始めた2人の方が「卒業」され、もう1人の方については職場との調整中。6月頃は、私よりも順調なのが妬ましく思って会話を避けたり、そのことで調子を崩したりしたが、今では素直に「おめでとうございます」と言うことができる。

この夏の帰省に当たっては、自分が必ずしも順調ではないことを親(特に母)にどう伝えるかが最大の懸念材料だった。母から切り出してきたので、一応、まだ休んでしまうことがあること、「発達障害」的な傾向があること、休職が延期になってしまったことを伝えた。

ただ、発達障害が「治る」と思っているところがあるので、それは難しいこと、それは育て方の問題ではないことは伝えた。しかし、そうだとしても、「うつ」を繰り返すことについては、育て方が何らかの遠因となっているだろうと、当然聞かれた。

しかたがないので、例のネット情報がきっかけで被虐の人と似たところがあることが分かったということと、自分が虐待を受けたという意識はないが、強いて言えば、父が発達障害的な言動をすること、それによって夫婦間で喧嘩が絶えなかったことが、遠因と言えば遠因だろうとだけは伝えた。母はそれを聞いてどう思っただろうか。

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