カテゴリー「言語・ことば」の15件の記事

2011年5月29日 (日)

had better

会社の中にある「学校」を受験する後輩君(高校卒2年目、20歳以上下)のために、受験勉強の「先生」を頼まれた。教科は「英語」。

受験英語を教えるのは、大学生時代の家庭教師以来のこと。学生時代は英語は得意科目であったが、それから20年以上も経っている。昔取った杵柄が通用するか不安があるが、引き受けることにした。

後輩君は、先日、最初の「腕試し」として、その学校の昨年度の入試問題を解いた。手ごたえとしては少し残念な結果だったらしい。今週から始める「授業」は、まず、この試験問題の解説から始めなければなるまい。

私もこの「先生」を引き受けるにあたり、過去問を数年分解いてみた。難問ではないが、「良問」が多い。それでも、後輩君が受けた過去問は、ここ数年ではいちばん難しかったかもしれない。

ところで、教えるためには何か参考書がいる。高校時代の参考書を一冊持ってきていたはずだが、引っ越しのごたごたで紛失してしまった。

英語のカリキュラムは当然のことながら私が高校生であった時とは全く違っている。正直、どれを選んだらよいのか分からなかったが、昔懐かしい「チャート式」の「総合英語」を買ってきた。

今回の授業にあたり、少し下調べをした。英文法は大きく変わるものではないので、昔覚えたことは、だいたい通用する。でも、今は「会話」「リスニング」が大事なカリキュラムとなっているので、やはり時代に合ったように、本の内容も変わってきている。我々が習ったことは、もはや古くなっていることも多いのだ。

その一例が、タイトルの「had better」。我々の時は「・・・した方が良い」という「提案」的な意味で訳を教えられた。結果、「・・・すべきだ」と訳す「should」より「柔らかい」言い方だと思っていた時期がある。

実はそうではない。今、参考書のそのページを開くと、「・・・しなさい」「・・・すべきである」という訳になっている。特に目上の人には「脅迫」とも受け取られかねない、ともある。「会話」を重視するようにカリキュラムが変わって、より「実践的」な内容に変わった一例だと言えるだろう。

全く仕事では役に立てていない私だが、少しでも職場に貢献できるように頑張ろうと思う。

2010年9月12日 (日)

「とどまる」?

「日本振興銀行」という銀行が破たんし、初の「ペイオフ」が実施されることになったというニュースが昨日あった。

「ペイオフ」とは、1千万円以上の預金をしている場合に、1千万円を超える分については戻ってこない可能性があるということだそうだが、その対象者数について、今日まとまったという。

それについてのNHKニュースを聞いていると、ペイオフの対象者は「3400人余りで、預金者全体の2.7%にとどまることが分かりました」とのこと。しかし、なにかこの表現はおかしくはないか。

単に「3400人余りで全体の2.7%ということが分かりました。」で良いではないか。当事者は大変な思いをしているのに、こんな「とどまる」などという表現を使っては、「全体からみれば微々たるもの」というようなことを暗に言っているのと同じである。第三者がこんなことを言っていいのか。

こういう実害を伴うようなニュースの場合は、淡々と事実のみを伝え、全ての視聴者が不快にならないような表現をマスコミはしなくてはならないと思う。

2010年6月 9日 (水)

常用漢字表改定案のその後 補遺

今日、文化庁のウェブサイトに行ったら、答申案が載っていた。昨日問題としていた例については、「字体についての解説」として、ちゃんと触れていた。さすが文化庁、ぬかりはなく、自分の不明を恥じる。

ただ、今まで収録されていた漢字には表題字とともに旧字体が( )書きで載せてあるのに、今回追加になる字(つまり昨日問題として挙げた字)は、一般的には「旧字体」として認識されているものを表題字としていて、普段用いられる字体(通用字体、つまり少し前のJIS漢字)を載せていない。

確かに今回追加になった字は、今まで原則的に使ってこなかったのだから、「新字体」も「旧字体」もないとは言える。しかし、私が「誤解」したように、「真」と「Ten」のように「共通性」や「一貫性」がないように思えてしまう。

これは「JIS漢字表」に引っ張られてしまったせいである。混乱の元はここあるのだから、「常用漢字表」はそこからいっそのこと離れてしまったらどうだろうか。なぜなら我々は普段、字体がJIS字体であるか通用字体であるかは全く意識していないからだ。

つまり、「書けなくても情報機器で扱える漢字」を標榜するのだから、もっと割り切って次の通りにしてしまった方が、非常にすっきりする。 あくまでも表題字は通用字体とし、( )書きにJIS字体を載せるのである。

これに従えば、「Ten」は「つちへん」に「真」、「しんにょう」は「一点」が表題字になる。反対にJIS字体の「Ten」と「二点しんにょう」は( )書きにして「旧字体」とする。こうすれば、一般に認識されている「新字体」と「旧字体」の違いが、今まで収録されていた漢字と一緒になって共通性と一貫性が保たれるし、学校では今まで通り「新字体」を教えれば良いのだから混乱もなくなる。

もちろんパソコンの授業では問題が残ってしまうが、「パソコンでは字体が変わるものがある」と教えれば、「情報リテラシー」上は何ら問題はないと思うし、逆に、児童・生徒の漢字に対する興味が増すことにつながるように思う。

常用漢字表改定案のその後

 この字について、以前ここで取り上げたことがあったが、昨日、常用漢字表改定の答申案がまとまって、新聞発表になった。「一点しんにょう」か「二点しんにょう」かについてはどちらでもよく、教育現場(教科書出版会社)では、一点しんにょうにそろえられそうだという。

ではなぜ、冒頭の字がパソコンやOSによって「一点」になったり「二点」になったりするのかというのは、新聞によると、常用漢字表の「表外字」について、10年ほど前に「JIS漢字表」が改訂されたためだ。そして今回、追加された字の字体(つまり今までの表外字)は、この改訂されたJIS漢字表が元になっているのだという。

しかし問題は、「しんにょう」や「しょくへん」の違いだけではない。どうもマスコミや、しいては文科省は気がつかないふりをしているように思える。

しんにょうやしょくへんそのものは、どちらで書いても日常生活では「互換性」があると思う。しかし、特に「へん」以外の部分において、他の漢字との共通性と一貫性が非常に曖昧になってしまった。

*これから先はいちいち文字を「ペイント」で書いて、「画像」として貼り付けないといけない。めんどくさい。

例1:Choku_2 (「進ちょく」の「ちょく」)

これは「歩」・「渉」と矛盾する。これら3つの旧字体は、「ノ」の上の点はなかったので、今回この字で旧字体が復活したのであるが、「歩」は小学校で学習する字だ。「進ちょく」の「ちょく」だけ点がなく、あとは点があると教えるのだろうか?

これに似た例は、「弱」と「Deki」、「者」と「Kake」、「勤」と「Kin」、「前」と「Sen」などたくさんある。

例2:Ten (「補てん」の「てん」)

これは先ほどと同じように「真」や「慎」などと矛盾する。また、やっかいなことに、いくらJIS漢字とはいえ、デファクトスタンダードであるWindowsでは「環境依存文字」となっていて、「(常用漢字表にとっては)正常」に表示されない情報機器の方が多い。「手書きできなくても情報機器で扱える漢字」というのを標榜していることとは、相いれないのではないか。

このような例は、「峡」・「狭」と「Hoppe」、「緑」・「禄」と「Haku」などがある。

例3:Mochi

はい、例の「もち」である。私は詳しくなく申し訳ないのだが、JIS漢字表が取り入れ、改定案にも加えられたこの字体は、本当に「旧字体」なのだろうか?

同じつくりを持つ「併」の旧字体は「Awaseruold」であり、同じ部分を持つ「塀」なども同様だ。ということは、「Mochiold」が正しいのではないのか?

こうしたことは、「えひめ県」の「媛」の右側は「Enmigi_2」でないといけないのではないか、とか、逆に「かつしか」や「かさい」の「Kuzu」の左下は「ヒ」でもいいのではないか、とか、わざわざ改定常用漢字表に県名の漢字を取り入れた(私はその必要はないと思っている)はずなのに、地名の問題が出てくる。

以上(うわーめんどくさかった)は、少し揚げ足取りのようにも思えるが、まずは例1のような学校現場が混乱するような違いをどうするのか、早急に決めた方が良い。特に手書きの場合は、小学校で習う字体に合わせるべきだと私は思う。

ただ、情報機器の場合は、先に改訂してしまったJIS漢字との整合性の問題が残る。こうなってしまっては後に戻れないので、改定漢字表には「字体表」を付属させて、許容の字体を載せるしかないのではないか。

以前にも言ったが、漢字はデザインに非常に優れた文字だ。人名などの固有名詞は除いて、許容の字体をその時その時に合わせて使えるようになれば、表現の幅が広がると思う。

・・・めんどくさい作業をした割には、結論がありません。ごめんなさい。

2010年1月10日 (日)

子音を聞き分ける鋭さ

昨日、BSをなんとなく見ていたら、「競技かるた」の名人戦、クイーン戦をやっていて、途中からだったものの、結果的に引き込まれて放送終了まで見ていた。試合結果は名人位、クイーン位ともに「防衛」で、しかも名人は12連覇、クイーンは6連覇という偉業となった。

どちらも挑戦者は非常に善戦した。特に名人戦は全5戦中3勝で名人位獲得となるのだが(クイーンは3戦中2勝)、挑戦者は2戦先取で名人を瀬戸際まで追いつめたものの、名人が驚異的な粘りでそれをひっくり返してしまった。

「競技かるた」は「畳の上の格闘技」と言っても良いほどの激しいもので、しかも、刻一刻と変わる、自陣・相手陣・読み終わった札の全ての状況を演算しなおさなければならないほど、集中力が必要。これを一日中行って決着をつける、というのは並大抵のものではない。

かるたには「決まり字」と言って、ここまで読みあげられれば、その札を取ることができるという「法則」のようなものがある。「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」で始まる歌は1首ずつしかないので最初の1音で判断できるが、「大山札」と言って、上句の上5音を聞いただけでは特定できず、6音目で判断せざるを得ないものもある。

しかし、決まり字は刻一刻と変わる。大山札だからと言って、常に6音聞かなければ取れないものではないのである。それが演算力と集中力を試される大きな理由である。

例えば、「は」で始まる札は、「はるすぎて」「はるのよの」「はなのいろは」「はなさそふ」の4首ある(出典ウィキペディア等)。競技途中で、「はるのよの」「はなさそふ」が読まれた状態だったとすれば、残りは「はるすぎて」か「はなのいろは」になるが、この時点で決まり字は「はる」か「はな」になり、「はる」と読まれただけで「はるすぎて」を取ることができるのである。

ただ、名人やクイーンを狙える実力の持ち主は、「決まり字」ならぬ、「決まり子音(母音)」と言っても良いくらいの聴覚を持っているらしい。

例えば先の例で、「はな」で始まる歌は2首あったが、次の1音は「No」と「Sa」。この「N」と「S」を聞き分けることで、コンマ3秒と言われる攻防の中で、ずっと優位に立てるのだという。これは解説を行っていた元クイーン位の方がおっしゃっていたことだが、それを当然のように、こともなげに言ってしまうことに驚愕した。

そこで、よいしょ詠める、

敵陣を 一陣の風で 薙(な)ぎ払う 鋭き刃(やいば)の 指の切先

お粗末。

・・・「あひみての のちのおもひに」かあ。。。

2009年12月21日 (月)

未来は大丈夫

昨日は、あまりに「愛の、スイーツ」が衝撃的で、それしか書けなかったが、本当はそんなことを書くつもりはなかった。ただ、その「愛の、スイーツ」を見付ける前に、そのテナントがあるスーパーストアで嬉しいことがあったのでここに書き留めておく。

別の階に向かうエスカレータから降りたとき、鼻がむず痒くなって、ズボンのポケットからティシュを取りだそうとした。私は小さいころから鼻が弱く、寒いところから暖かいところに急に移ったりすると、決まってそうなる。

鼻を拭って、歩き出したところ、背後から「すみません、鍵が落ちましたよ」と呼びとめる声がした。振り向くと、私のアパートの鍵を持った子供数人がいた。どうやらティシュを取り出した時に、同じポケットに入っていた鍵が絡まっていて、落ちてしまったらしい。

私は、その鍵を受け取ると、「ありがとう」と礼を言った。その子供たちのうち、小学5・6年生くらいの男の子から返ってきた言葉に私はびっくりした。なんと、

     「当たり前のことをしたまでです。」

こんな言葉、今まであまり言われた記憶がないし、私も正直使ったことがない。その後、子供たちは、元気にエスカレータを駆け上がっていった(これは危ないけどね)。

確かにこの鍵をなくしたら、私は帰宅しても部屋に入ることができない。スペアのキーは全部部屋の中にあって、締め出しを食らってしまう。その子供はそこまで考えていたわけではないだろうが、その思いやりの深さに、少々涙ぐんでしまった。

親御さんのしつけが行き届いているのだろうか。それとも、テレビか何かで聞いた言葉が恰好よくて、使ってみたのかもしれない。それでも、こういう言葉が、さっと出てくること自体が重要であり、ほめるに値することだ。

子供の教育、いじめ問題がうんぬん、と喧しいが、こういったことは、すべて育てている「大人」の責任だと改めて思った。しかし、子供は純粋な分、大人の嫌なところだけを見ているのではなく、良いと思ったことは実践する力がある。未来は捨てたものではない。

2009年12月 7日 (月)

クリスマスソング

091206_161808 あちらこちらでクリスマスソングがうるさい頃になった。まだ「サンタさん」を信じていた子供時代のほんのわずかな時期を除いて、「クリスマス」には全く縁がない私には、あまり大音量で繰り返し流れていると、「騒音」でしかない。

ところでやっぱり「WHAM!(ワム!)」の「Last Christmas」が流れている。恋人たちに向けては一番流してはいけない曲なのに、なんで「学習」しないのだろう。

冒頭の部分だけで、それは一目瞭然なのに。

Last Christmas, I gave you my heart
But the very next day, You gave it away
This year, to save me from tears
I'll give it to someone special

訳)

去年のクリスマスに、僕は君に思いを伝えた。

でも、もうその翌日には、君はそれを投げ捨ててしまった。

今年はもう泣かなくてもいいように、

その思いを特別な他の誰かに伝えるつもりだ。

後はもう、「勘違いしてしまった男」の悲惨な恨みつらみを延々と歌っているだけだ。流す場面を本当に考えないと、英語圏の人たちに本当に馬鹿にされてしまうよ。

・・・まあ、それこそこんなことを書いているのは、もてない男の「ひがみ」でしかないのだけれど。

2009年11月29日 (日)

英語車内放送の面白み

最近の鉄道車輌は車内アナウンスが自動化されてきていて、しかも「国際化」の波にさらされて、英語アナウンスは常識的になってきている。ほんの10数年前くらいまでは、新幹線くらいしかなかったのがうそのようである。

特急に乗ると、その英語案内が非常に面白い。次駅案内以外に、いろいろな「あいさつ」が加わる。特急料金を払ってまで乗って「下さった」乗客にできるだけ「丁寧」な感謝の気持ちを伝えようと腐心しているのが分かる。ただ、あまりにも杓子定規に日本語を置き換えている感じが否めず、かえって大仰で笑ってしまうものがる。

例えば、私が良く利用するJR東日本常磐線の「フレッシュひたち」では、大きな駅を出発後、停車駅案内、車内案内などに続いて、こんな言葉を聞くことができる。

"We wish you a pleasant journey."

「良いご旅行を」のつもりだろう。ただ、いわゆる日本語の「旅」には、trip、travel、journey などがあって、journey は比較的長期間の旅行を指すように教えられた記憶がある。1時間から2時間足らずの乗車には、いささか大げさだと思う(確かに飛行機に乗りついで海外旅行する方もいらっしゃるだろうが)。"Have a nice trip!" ぐらい「くだけて」いても良いような気がするのだが、英語圏の方々にはどう映るのだろう。

余談だが、いわゆる我々「アラフォー世代」には、「ジャーニー」と聞くと、あの「○○はまだ、16だから~♪」(「センチメンタル・ジャーニー」)の強烈な印象があって、余計笑えてしまうのだ。

あと初めて聞いてびっくりしたのが以下の言葉。終点になると聞こえてくる。

"Thank you for traveling with us. Please be sure to take all your belongings with you. We look forward to serving you again."

前の2文は、「ご乗車ありがとうございました。お忘れ物の無いようにお気を付け下さい。」の意味だろう。日本語では「お忘れ物の無いように」が、英語では「あなたの持ち物を必ず全部お持ち下さい」になるのが興味深い。

それよりも何よりも、やはり強烈なのが最後の文だ。「またのご乗車をお待ちしております」の意味か。確かに昔はそういうアナウンスを日本語で聞いたことがあるような気がするが、最近は「ご乗車ありがとうございました」だけで、ここまでは言わないので、昔の亡霊のような挨拶が英語案内で「復活」した感じがする。確かに「乗せてやっている」という態度は困るが、ここまでへりくだるのもどうかと思う。

また、会社によって、同じアナウンスが違う英文になって翻訳される例もある。「ご乗車ありがとうございます」は、JR東日本は "Welcome aboard XXX(列車名)" だが、東海道・山陽新幹線は単純に "Welcome to the Shinkansen." である。後者は、たぶん開業時からそうだろう。「日本の誇る Shinkansen へようこそ!」という気概が見て取れる。

また、細かいことだが、駅名の発音も各社によって特徴がある。JR東日本のように、英語圏の方が日本の地名を発音するようなイントネーションをつける会社もあれば、東京メトロなどは、日本語と全く同じイントネーションを使っている。

いずれにしても、こうした日本独特の車内アナウンスを翻訳される方々の苦労が偲ばれて、各社を比較してみるのも面白いと思う。

2009年11月14日 (土)

感染する。

一昨日大阪から帰って、昨日は「ワークシェアリング」とかいう名目の賃金カット休業日、そして今日、明日は普通の休日である。しかし、慣れない出張の疲れがあり、また昨日も今日も天気が安定せず、しかも寒くてどこにも行く気になれなかった。

こういう天気が不安定な時は、気分まで不安定になる。目覚めが悪かったり、落ち込んでいるかと思えばハイになったり、暴飲暴食したり。。。 今も、あまりに切なくて、ブログはこうして書いているものの、夕飯の支度も何もする気が起きない。出張中や昨日、少し金を使いすぎたので、外食は避けたいところなのだが、何かいろいろと面倒くさく、どうしようか決めかねている。

「新型イ○フルエ○ザ」の流行が、ほとんど国の手に負えないくらいにまで、拡大してしまったが、私は、天候が気分に感染しやすいのが悩みだ。

全く関係のない話だが、「感染」「伝染」と言えば、大阪の出張で、少し自分でも面白い、と思ったことがある。訪問先でいろいろと説明したり、インタビューしたりするのだが、だんだん、イントネーションが「関西言葉」ぽくなってしまうのである。実家が関西圏に近いので、元々近い言葉でもあったが、こちらの「平板アクセント」に慣れてきた耳にとっては非常に興味深いことで、自分でも吹き出しそうになって困った。

2009年10月17日 (土)

「てよだわ言葉」その2・・・

以前、「てよだわ言葉」についてここに書いたが、今朝コメントを頂いた。その時のやり取りについては、そちらを参照頂きたいが、「現実味があって現実にはない」という非常に不思議な存在が、世の人々を魅了しているようだ。

私がここに「てよだわ言葉」を取り上げた発端は「大正野球娘。」というアニメだったが、先日そのDVD(もうBlu-rayの方がデフォなのよ(泣))の第1巻が出た。特典として副音声に「オーディオコメンタリー」が収録されていて、監督と主人公格の声優たちの対談が興味深かった。

とにかく、大正期の風俗に関する資料(史料)が少ないのだそうだ。これは想像にすぎないが、「大正デモクラシー」と呼ばれた時期のすぐ後に「戦争」の時代に突入してしまったために、軍部によって、「退廃的」と徹底的に糾弾されてしまったからなのではないだろうか。

奇しくも、昨日のNHK教育「美の壺」という番組で、「少女雑誌」が取り上げられていた。黄金期は大正期から昭和初期。挿絵の少女の顔全体に占める「目」の割合が、だんだん大きくなっていくくだりは非常に興味深かった。このことは、大正期から昭和初期のモダニズム絵画を集めた展覧会を見に行ったことを書いた時にも触れた。また、豪華な付録(今考えると手作りだったのだろうか?)や「エス」は非常に少女たちの心を捉えたらしい。しかし、少女雑誌も、次第に戦時色を強めさせられ、中原淳一などはその時期に表舞台から去っている。

祖母は存命ならば99歳。来年は生誕100周年ということになる。こうしたことからは縁遠い家庭に生まれ育ったと思うが、「てよだわ言葉」の話題をきっかけに、コメントを頂いたり、久しぶりに母と祖母についての話ができた。どんな話の中にも、いろいろな「きっかけ」がある、そういうことに気付かされた一日だった。

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